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開催終了沖縄戦〜集団自決の真実

詳細

2007年12月07日 01:29 更新

札幌の僧侶らでつくる「12・8戦禍を語り継ぐ会」は沖縄戦の集団自決で生き残った吉川嘉勝さん(68)の講演会を開きます。
同会は太平洋戦争開戦の12月8日に合わせて毎年、平和の尊さを考える講演会を開催。
講演会は「沖縄戦〜集団自決の真実」と題し、あらためて、死者315人を数えた同島での悲劇を語ってもらう。事務局長は「史実を史実として学ぶことが、過去の過ちを繰り返さないことにつながる。若い人にもぜひ聞いてほしい」と話しています。
場所は札幌市中央区北3西19の西本願寺札幌別院。(011)-771-6433
定員約200人。参加費800円で申し込み不要。

コメント(6)

  • [2] mixiユーザー

    2007年12月29日 19:02

    自分の日記にこの会のレポートを書いて、そのURLを貼り付けましたが、
    ある方の助言により直接書き込んだ方がより多くの人に読んでもらえると思いましたので、長くなりますが書くことにします。何度も済みませんがご了承下さい。

    今月、西本願寺札幌別院で行われた講演「沖縄戦〜集団自決の真実」を聴いてきました。
    話をした方は、沖縄・ケラマ諸島の渡嘉敷島で生まれ育った吉川嘉勝氏。
    大勢の人が集った9月29日の沖縄県民大会でも話されていた方です。
    要約しながら吉川氏の言ったままを書いていきます。

    「この講演を北海道で行うにあたり、知人から沖縄のことなど北海道の人に分かる訳が無いと言われたが、やってきました。
    9月29日の集会には小さい子から学生まで若い人がいっぱいでした。
    沖縄の戦後の教育が理解されたものと思ってます。

    琉球王朝時代は武器を持たずに平和に暮らし中国との貿易で潤っていました。
    ケラマ諸島は風光明媚(ふうこうめいび)な所で世界に誇る美しい海があります。
    沖縄は日本の縮図です。明治以降の国策、公民化政策は負の結実です。
    渡嘉敷、座間味は小さな島。
    ここでの出来事を、なぜ文部科学省が決めることが出来るのか?

    昭和19年、特攻艇の基地ができました。
    朝鮮人が、船を隠す壕堀りや、日本人の食料運びなどをろくな飯も与えられずに従事してました。その人たちが生きている限り日本人は許されないかもしれません。

    終戦の年、私は6歳。そんな子どもに何が分かるかという意見があります。
    でも、後に本で読んだことではなく自分自身と家族の体験を言います。

    あの日、住民は「西山に集まれ」と言われたのです。
    軍の赤松隊→巡査→防衛隊を通して連絡網が回ってきました。
    住民たちは、そこに行けば軍が守ってくれるものと思いました。
    しかし、近くに壕などの逃げ場も無いその場所で艦砲射撃の嵐が始まります。
    とても小さな島に鉄の暴風が撃ち込まれたのです。
    赤松隊の兵士達は掘らせた壕に避難していました。

    そんな時、赤松隊と住民の間を行き来していた防衛隊員が村長に耳打ちをします。
    村長はうなずき、そしてバンザイが始まったのです。
    推測ですが、あの耳打ちは命令ではなかったかと思います。
    母は冷静でした。
    「命は宝だ。生きられるまでは生きるんだ。死ぬのはいつでも出来る」と言われました。
    父は艦砲射撃で頭から血が噴き出してました。義理の兄は失明。
    あの時、死のうと思っていた人はいません。そういう状況をつくられてしまったのです。
    あまりにインパクトが強すぎて前後はよく覚えてないが、その瞬間はよく覚えてます。
    それから3日、山の中で暮らしマラリアにかかった人もいました。
    渡嘉敷島の死者は329名。そのうち200名は半日の自決で亡くなりました。
    自決場で生き残った人を治療した米兵もいましたが、日本兵は逃げました。
    生きる見込みが無い人にはモルヒネを与えました。

    なぜこんなことになったのか?
    そこに軍隊が来て、もろもろの指示や誘導があったからです。
    各家庭には壕があり、そこに避難していれば良かったのに、何の避難場所もない所へ連れて行かれた。
    赤松隊は巡査から「住民からどうしましょうと聞かれた」と言われ、「西山へ集めた方が良い」と示唆しています。
    当時、島は孤立状態で赤松隊長は天皇的存在でした。
    「集めた方が良い」は、「集めなさい」に等しいのです。

    手りゅう弾は辱めを受けそうになったらやりなさいと指示されました。
    32ヶが最初に配られ、20ヶ追加。
    防衛隊は軍隊の一員で、スパイ容疑で殺されている人もいます。
    彼らは手りゅう弾の使用に卓越していたから爆発したのです。
    家族が軍の壕に行ったら追い払われてしまいました。

    沖縄人は言葉など様々なことで差別を受け、日本人になることを強要されていました。
    立派な日本人になりたいという気持ちがありました。
    小学生から特攻艇を海に出す訓練をさせられています。情報は筒抜けです。
    自決は、家族が皆死んで一人残されては可哀そうという「兄弟愛」で片付けられるほど単純なものではありません。捕虜になれば女は強姦され男は虐殺と吹き込まれている。
    「自決の誘導」ではなくて何なのか。
    自決と知覧の特攻兵の死の痛みは違います。特攻兵は天皇陛下のために死んでいった。
    自決場所と赤松隊の避難場所は1kmも離れてませんが、何が起こっているのか知らなかったと彼らは言ってます。
  • [3] mixiユーザー

    2007年12月29日 19:03

    家に戻ると食料は無かった。軍に取られたのだろう。でも軍人にもいい人はいました。
    防空壕の中で泣き止まない我が子の口の中に綿を詰めて死なせたり、出て行って母子もろとも射殺されたりもしました。アメリカ兵に保護されることもありました。
    戦争は命に無関心です。勝つためにありとあらゆる手段を尽くすのが戦争です。
    二度と繰り返したくないものこそ戦争。
    間違いないことは、愛しい我が子を失くして悲しみの中で生きる母親がいるということです。
    戦争のことを、戦争を知らない人が言っているのです」

    吉川氏の話はここまでです。
    配られた冊子に載っていた詩が、そのまま私の感じ方になります。

    「真実を覆うもの」 詩創作 : 打本 顕真

    座敷の奥の長押に掲げられた
    若い兵士の遺影があった
    終戦半年前に召集され
    沖縄で戦死したという
    いっしょに出征した人々もみな死んだ
    年老いた母親は
    目をしばたたせて呟いた
    もう半年遅れていたら・・・
    無念そうな母親の顔を
    いまも忘れることができない
    このひとは沖縄戦のなかで
    何をし
    どうやって最期を迎えたのだろう
    間違いなくわかったこと
    それは柱とも頼む愛し子を失って
    悲しみをたたえて生きる母親が
    ここにいるということであった

    基地の島・沖縄
    戦場となった島・沖縄
    そして
    沖縄に犠牲を強いることによって
    日本は戦後復興を果たしてきた
    (一部省略)

    政治的な圧力によって
    教科書が書きかえられているのに
    その訂正を求める沖縄県民の声を
    政治的圧力と言いかえる詭弁

    人間はことばを使う動物だ
    だが そのことばによって
    ひとはひとをだまし
    ごまかされてもきた

    「テロとの戦い」
    「国際貢献」
    「人道復興支援」
    それさえいえば
    すべてが認められる
    そんな雰囲気を私たちは許し
    そして 作ってきた

    自由主義史観なるものが跋扈している
    歴史の真実を
    真っ当に見つめようとする人びとに
    はりつけられるレッテル・・「自虐史観」
    「南京虐殺はなかった」
    「侵略ではなく進出」
    「アジアの人びとを開放するための戦争」
    「沖縄の集団自決に日本軍の関与はなかった」
    それらの声の行き着く果てに
    憲法改定がある

    なぜ日本はアジアの人びとを
    踏みつけにすることができたのか
    なぜ私たちは
    沖縄の人びとを死に追いやり
    戦後は沖縄の人びとを踏み台にして復興し
    しかも沖縄のうめきを
    無視することができたのか
    その根底には
    根深い差別がある

    差別の罪業性を
    いまこそみずからに問うていきたいものだ
  • [4] mixiユーザー

    2007年12月29日 21:09

    *以下は以前、地域の9条の会HPに投稿した拙文です。ロンさんの文章を読み、投稿させて頂きます。

    沖縄での民間人集団自決は日本軍の命令だったかどうかが、大問題になっていますが、なぜ「軍命はなかった」と強硬に主張する人がいるのでしょうか。
    普通に考えて、あの沖縄戦の最中に、日本軍が沖縄各地で民間人に手榴弾を配布したことだけから考えても、命令に決まっていると言えます。
    軍隊は武器弾薬を民間人に、何も命令なしに、渡すことなど、決して、ないからです。
    と、私は思っていたのですが、
    そんな一般的な話ではないことを知りました。

    家内が購読している『いつでも元気』という雑誌12月号に

    沖縄:「軍の命令だ」と兄はいって
    4人のわが子を手にかけ“自決”した

    という見出しの記事があった。筆者は森住卓さん。
    私はうかつにも、沖縄戦のことを大体分かっていると思ってい
    ました。しかし、本当には分かっていなかったことを痛感しま
    した。

    (記事の要点)
    慶良間諸島・座間味島
    日本軍・座間味島戦隊長 梅澤裕元少佐は、
    米軍上陸後、次々と突撃命令を出して将兵を死に追いやり、住
    民を自決に追い込んだうえ、自分は朝鮮人慰安婦と共に逃げ回
    り、米軍に捕まって生きのびた。

    その梅澤元少佐が、戦後42年も過ぎた1987年に座間味島
    に来た。
    梅澤氏と同行した2人の男が、MY氏の戦友だと言って飲み、
    MY氏が泥酔した朝7時ころ梅澤氏が紙を持ってきて「決して
    迷惑をかけないから」と言って押印を頼んだ。酔って上機嫌だ
    ったMY氏は押印した。
    これが「軍命はなかった。住民は自発的に集団自決した」とい
    う「証文」だった。
    梅澤氏は2005年、この証文を証拠として、『沖縄ノート』
    の著者大江健三郎氏と出版元岩波書店を名誉毀損で訴えた。裁
    判が始まったという事実をもとに(判決はまだ出ていないのに
    )文部科学省は教科書検定で「軍命」記述を削除させたのであ
    る。

    以下、個人感想も少し含みます。

    ■ 裁判が始まっただけで、一方の主張が検定に反映されたの
    はおかしい。
    ■ 大江健三郎氏が言っているように、『沖縄ノート』では、
    梅澤氏が命令したということでなく、沖縄戦全体について、日
    本軍が住民に手榴弾を配布して集団自決を命じたことである。
    梅澤氏の主張から、教科書書き換えに直結するのは飛躍しすぎ
    ている。
    ■ 梅澤氏の「証文」は、MY氏を酔わせて、だまして押印さ
    せたモノである。
    ■ MY氏はそういう証文を作れる立場の人ではない。実は、
    MY氏の兄・宮里盛秀氏が、当時、村の助役で兵事主任兼防衛
    隊長だった。したがって、だまして「証文」を作るとしても宮
    里盛秀氏に押印して貰わなければ意味がないはずである。
    ■ その宮里盛秀氏(当時33歳)は、「軍の命令だ」と言っ
    て、自分の家族(妻と4人の子ども)を含めて村人とともに集
    団自決した。1つの大きな壕(産業組合壕)に、村長・助役・
    収入役など15家族67人が入って自決したのである。
    ■ MY氏は当時徴兵され福岡にいたので、証言することは不
    可能。梅澤氏から「証文」を頼まれた時も、MY氏は、そんな
    証言は出来ないと拒否した。(その後、飲ませて、押印させた
    のだが、その経緯を宮里盛秀氏とMY氏の妹である宮原春子さ
    んがよく知っている。)
    ■ 宮原春子さん(当時19歳)は、その日(1945年3月
    25日)村の助役で兵事主任兼防衛隊長だった兄・宮里盛秀氏
    が「軍の命令で玉砕することになっているから、一緒に死のう
    」と言ったのをハッキリ聞いて憶えている。彼女は村長・助役
    ・収入役をはじめ村民が自決した産業組合壕に入りきれず、さ
    らに数ヶ月逃げ回った後、米軍に降伏し、生きのびた。

    以上のことから、彼ら(靖国派)がいかに卑劣に、しかも計画
    的に、教科書書き換えを企んだかがありありと見えてくるので
    はないでしょうか。
  • [5] mixiユーザー

    2007年12月29日 23:35

    史実をこうして踏み躙る現政権と、その背後にいる人々には怒りを通り越して、
    落胆を感じます。
    日本の恥だ,他の国でたわ言を言って頂きたいものです。
  • [6] mixiユーザー

    2007年12月29日 23:37

    思わず書込みが遅れましたが、貴重なコメントを拝見出来てうれしかったです!!!
    御茶ノ水博士,ありがとうございます。
    そしてロンさんが、ここに書いて下さったお陰です。
    どうもありがとうございました。
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