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開催終了Rd.6スペイン(Barcelona)

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2006年05月13日 07:43 更新

サーキットが設立されたのは、1991年の9月、初めてのF1GPの2週間前だった。それまで、スペインGPは4つのサーキットに割り当てられていたが、スペインモータースポーツ連盟はその開催方法の中止を決定し、新たにカタロニアサーキットが造られた。

バルセロナの真北に位置し、観客にオーバーテイクを観せることのできるようなデザインを採用したため、他のサーキットと比較してもより魅力的なレイアウトになっている。第1コーナーは強いブレーキングを要する急な右コーナーでのドライビングは見物。トラックは8つの右コーナーと5つの左コーナーで構成された現代的なもので、壮大な広がりを見せる高速カーブと2本のロングストレートを含む。F1カーなら6速から3速にギアを落とす、2つのブレーキングエリアもある。フランスの多くのコースに似て、F1開催地としてはとても安全で芸術的なトラックである。けれども、恐らくは、巨大な車の流れを受け入れる地域としては、冷静過ぎて熱気に欠ける部分があるだろう。サーキット・デ・カタロニアは、バルセロナ地域のモーターレースの舞台としては、第4番目のトラックとなる。

最近では、エストリル(ポルトガルのサーキット)がGP日程表から外されてからは、特に冬のテストコースとして多くのF1チームに好まれ、南ヨーロッパの文化的都市の入り口としてもポピュラーになっている。サーキット・デ・カタロニアの足跡をたどって見よう。

1991年のGP、ポールポジションのゲルハルト・ベルガーがエンジンブロー、アイルトン・セナはタイヤの選択ミスをして5位。結果、ナイジェル・マンセルが勝利を手にした。1992年もマンセルが勝利。ミハエル・シューマッハは当時ルーキーながらも2位に食い込む大健闘を見せた。アイルトン・セナは残りわずか数周というところでスピン、そのまま壁に激突という不運に見舞われた。

1993年、ウィリアムズのアラン・プロストがセナに大差をつけて勝利。翌1994年はデイモン・ヒルが勝利し、イモラでのセナの死によって沈んでいたウィリアムズチームに再び笑顔を取り戻した。この年2位だったミハエル・シューマッハは翌1995年に勝利を手にし、さらに翌年の1996年もウェットコンディションの中、わずか12周で6位からトップに躍り出て勝利し、2連覇を達成した。シューマッハ時代到来の片鱗を見せつける。

1997年のレースではウィリアムズのジャック・ビルヌーブが勝利した。

1998年、1999年、2000年はミカ・ハッキネンが3連覇を成し遂げた。

2001年、2002年はフェラーリのミハエル・シューマッハが2連覇を達成している。

2003年、ミハエル・シューマッハが地元の英雄フェルナンド・アロンソを抑えて優勝を飾った。

2004年はチームメイトのルーベンス・バリチェロと共に1−2フィニッシュ。

2005年に向けて安全面からコースに数ヶ所の改修が施されたが、著しい変化はオープン以来、初めて路面の再舗装が行なわれた点だ。

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