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開催終了銚子雑学塾講義・神幸祭は大いなる文化遺産

詳細

2009年06月30日 11:34 更新

銚子雑学塾講義
演題:東大社式年銚子大神幸祭は大いなる文化遺産
講師:野口 稔(ジャーナリスト)
日時:2009年7月11日(土) 13:30〜15:00
場所:銚子市青少年文化会館中ホール
(http://www.city.choshi.chiba.jp/edu/sg-guide/seibun/sb_access.html)
    郵便番号288-0031 千葉県銚子市前宿町1046
    電話:0479-22-3315、ファックス:0479-24-1640

入場料:無料
問合せ先:銚子雑学塾事務局 山崎さん 電話 0479-24-8819

銚子雑学塾講義・レジュメ
東大社式年銚子大神幸祭は大いなる文化遺産
後世へのスムーズな継承を願い、出版を決意

 20年に1度、1千年近くもの歴史を持つ東総地方最大のお祭り「東大社式年銚子大神幸祭」をわたしはまだ見たことがないし、知識も極めて乏しい。従って今回の演題の講師には相応しくない。それを承知で敢えて講師を引き受けたのは、来年4月(10〜12日)に開催される54回神幸祭の記録を残そうと決意したからだ。ただ、結果を記録するのではなく、神幸祭の意義や意味を分りやすく伝えたい。そうしないと神幸祭の後世へのスムーズな継承は、難しくなるだろうと考えた。

 ただし、今回のような難解なテーマを知識の乏しい人間が、多くの人々に理解してもらえるように平易に伝えることは至難の技である。どう取材を進めていくべきか。しばし考え込んでしまった。「立ち止まっていても埒が明かない。取材の原点に返ろう」。今春から取材活動を始めた。無知であることを肝に銘じて、現地に足を運び、識者の話を聞く。そして、文献に当たる。この作業を繰り返す。今回の講演は、こうした事前取材の一環として位置付けている。皆様のご協力を切にお願いしたい。

 これまでの事前取材は、幼稚とも思える素朴な疑問からスタートしている。「東大社は台地に鎮座されている。それなのになぜ、祭神が海神の御女、玉依姫命なのか」「東大社の由来に『景行天皇は上総国より海路当地に渡御』とあるが、どうして陸路ではなく海路だったのか」「神幸祭は平安時代に堀川天皇がから宣旨が下ってスタートした。当時は都と東の果ての千葉県は現代に比べると非常に遠く離れている。朝廷はどうして遠隔地のことをこれほどまでに意識したのか」etc。

 2005年の詩集「レヴィンの系譜」の出版のお手伝い、さらに08年9月1日の父の命日に「無名人からの伝言―大利根用水に賭けた野口初太郎不屈の人生―」を出版した。故郷を意識するきっかけとなった2冊の出版で強く感じたことは、わたしが「下総台地の子」なのだという確かな自覚だった。

 千葉県教育委員会ホームページに総国の由来は「麻を植えたところ良く育ったので、麻の別名・「ふさ」=手偏(てへん)に求=その地を「ふさの国」と名付けたとされており、この文字は「盛る」という意味がある一方、房となって実った果実を意味する。何れにしろ『ふさのくに』は、豊かで実り多い土地を示す国名だったと思われる」と書いてあった。記録出版というゴールはまだ濃い霧の中にあるが、最近、感じていることが一つある。それは神幸祭が豊穣なる「総国の原風景」のようなもので、大いなる文化遺産であるということだ。「総国の原風景」のイメージを固めながら取材を進めたいと思っている。

参考資料
東大社と神幸祭の由来
[鎮座地]千葉県香取郡東庄町宮本字八尾山

[社名]東大神又は東大社 最も古く東宮又は八尾山と称し、堀川天皇の御代宣旨あって、惣社玉子大明神の称号を賜うと言う。古来または俗にオウジン様と唱え、その名遠近に親しまれているが、これは王子大明神のオウジが訛ったものと思われる。

[祭神]
 玉依姫命。海神の御女。神武天皇の御母君。

[創立並びに由緒]
 景行天皇の御代五十三年、天皇親しく王子日本武尊東夷平定の跡を巡られ、上総国より海路当地に渡御、白旗の行宮に駐られること七日、十月庚申侍臣春臣命に勅して、八尾山に一社を営み、玉依姫命を祀きまつらしめ、東宮又は八尾宮と称え奉られたという。即ち現在の東大社である。

[祭祀]
 満二十年毎に、四月八日の例祭を中心に、前後約十日間に亘って、式年神幸祭が執行われる。堀川天皇の康和四年(1102)、海上郡高見浦(銚子市高見一体)にわかに海鳴り起こり、震動月余に及んで止まなかったので、四月八日、総社たる當社の神輿初めて高見に幸し、祭祀を行うに及び、海上忽ち浪静まり、爾来大漁豊作が続き、天皇は総社玉子大明神の称号を賜ったという。これにより毎年この日を以つて同地に渡御せられたが、天永元年(1110)に至り二十箇年一度の制とし、その間隔年桜井の浜(今の銚子市桜井町利根川畔)に神幸される事となった。

 四月八日早亘神輿出御、地元青馬、宮本両部落青年奉…氏子並びに関係諸郷の芸能を先供とし、御手洗及び敷薦塚(諸持)を経て、桜井御産宮に着御、古来の祭典を奉仕、それより大利根の流れに沿い、二十有余の町内の送迎を受けつつ高神に至る。この間、小舟木神遭塚では、當社に格別縁故深い、小見川町貝塚の豊玉姫神社及び海上町見廣の雷神社両社の神輿も合わせ奉安して、厳かな祭典が行われる。

 高神では渡海神社に御駐泊、翌日浪切旗を先頭に、外川の海中に渡御、続いて浜辺の広場で、厳粛盛大な祭祀が斎行され、裃姿の宮三郎以下山口一門が神輿に海水を濯ぐ儀がある。終って神輿は旧跡を経て、山口宮三郎(一般にミヤサブという)宅に渡御される。先ず海水に濡れた水引絹を徹して、同家より献る新しいのに替え、祭典が執行われる。水引絹は、本社鎮座地八尾山から涌き出でて北方に流れる水を引いて水田を耕す、今郡、谷津、羽計及び鹿野戸の四部落と、同じく東に流れる水によって耕作する、諸持、今泉、宮原及び桜井の四部落から、神輿に巻くために献る絹で、桜井神幸の時は北側東側交互に奉納する。

 宮三家の祭典が終って、おすべらかし礼装の山口家の乙女が進んで、静かに扇を三たび挙げ、「おうじん様お発ちませ」と申す声を合図に、神輿は遷幸の途に着かれる。かくして銚港神社に御駐泊、白幡神社等に御駐レンの上夫々奉迎の祭典が行われる例である。
(出典:「東庄町史研究第2号」香取郡東庄町史編さん委員会)

*詩集「レヴィンの系譜」
 2003年5月2日朝、一人の若者がこの世を去った。若者の名は千葉県香取郡東庄町笹川の高木昌宣さん。享年26歳。自家用車で出社途中、無謀運転の大型トレーラーの下敷きになり、間もなく死亡した。生前、昌宣さんは、自らのホームページに 「レヴィン」というペンネームで恋、家族、友達、生きがいなどをテーマにした多くの詩やエッセイを掲載し続けていた。これらの遺作は詩集「レヴィンの系譜」として出版された。

*「無名人からの伝言」
 野口初太郎の人生は、大利根川用水の実現に向けた一人の技術者の30年余りにわたる挑戦の日々でした。「亡己利他」を実践し、命の水を下総台地にかよわせ、ついに米どころ干潟八万石を実現します。こうした取組は、今、私たちが直面している自然と農業の問題に光を投げかけるものです。地域づくりに携わる行政や県民の皆さんにぜひ読んでいただきたい「希望の一書」です。(堂本暁子・千葉県知事=当時)

【講師・プロフィール】
野口 稔(のぐち みのる)
 1948年千葉県生香取郡東庄町生まれ。千葉県立佐原高卒、一橋大学経済学部卒。72年共同通信社入社。福岡支社、長崎支局、大阪支社経済部、本社経済部などを経て2004年7月から本社メディア局編集部担当部長。08年7月共同通信社を定年退社。任意団体・北鎌倉湧水ネットワーク代表。NPO法人「北鎌倉の景観を後世に伝える基金」正会員(前理事)。鎌倉団塊プロジェクト実行委員会委員。著書に『北鎌倉発 ナショナル・トラストの風』「団塊世代よ、帰りなん、いざ故郷へ!」「無名人からの伝言―大利根用水に賭けた野口初太郎不屈の人生―」。共著に「ガイドブックに載らない北鎌倉の神々」。出版社はいずれも夢工房。

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