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開催終了11月15日 薔薇絵「メドゥーサの首」公演(音楽:宮西計三ほか)

詳細

2010年11月14日 20:32 更新

11月15日(月) PM 2:40 〜5:50 
東京経済大学6号館地下「スタジオ」にて
薔薇絵公演「メドゥーサの首」が行われます。
http://www.grottesco.net/yotei.htm

粉川哲夫教授が主催する
「教室を教室でなくするチャレンジ」への出演です。

学生向けの講義の一環ですが、一般の方も入場できます。
入場無料ですので、是非ご参加ください。

ダンス:薔薇絵
音楽:宮西計三
   鈴木峻
   ルイス稲毛
映像:高橋哲也
写真:masae

場所:東京経済大学国分寺キャンパス
   6号館地下「スタジオ」
http://www.tku.ac.jp/access/index.html
「教室を教室でなくするチャレンジ」
http://www.grottesco.net/yotei.htm
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 舞台活動入り口で、グロトフスキーというポーランドの演劇人の書いた「貧しい演劇」という本に出会った。以来30年近く[余計なものを排除して、剥いで、剥いで、剥いで、肉体の拠り所にした表現]に固執してきた。

私の考えるダンスは、行為ではなく存在のダンスである。ただ立っていることや、座っていることさえもダンスになり得ると考え、一連の動きのどの断面をとっても絵として成り立つ芸術性を追求する。

現場でたち現れたダンスが、個々の作品のコンセプトの説明であってはならない。コンセプトに隷属させてはならない。コンセプトの対極に現象としてのダンスがあり、極と極との綱引きによって生じる緊張感が磁場を生む。「異質でありながら、エッセンスであること。」花と匂いの関係が、表現とコンセプトの関係に似ている。

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今回の作品:パフォーマンス「メドゥーサの首」について−−−−。

通常の舞台では、綿密に照明プランを立て、味わいのある空間をつくろうと苦慮するのだが、今回はあえてそれを破棄して「肉塊としてそこに在ること」に取り組むことにした。

鍛えられた表現体としての身体のみせびらかしではなく、肉屋のショーケースに置かれた肉。果たしてただの肉をもってして表現がなり立つのか。「身体」という字面の美しい言葉で語られるのは、表現者に深い精神性のあることが条件なのか、あるいは、観者の側の精神的作用なのか。ほとんどの芝居では、お客様にメッセージをつかんでいただこうとする意図がある。「セリフという主人」と「身体という奴隷の懸命な御奉仕によって、主題を納得して戴き、感動をおみやげに!と。

私の表現のベクトルは、あきらかにそれとは異なる。ここでは肉体は手段や道具ではなく、肉体そのものが表現自体なのだ。

60年代の実験演劇も今や解体して、あえて実験と名乗る者もなくなった。そういうカオスの中だからこそ、たかが肉、されど肉というパフォーマンスをしてみたいと思うようになった。スペクタクルとしてまとめずに、肉を置いてみること。事はいたってシンプルである。
−−−−−薔薇絵

(代理投稿:masae_R)

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  • 2010年11月15日 (月) 東京経済大学
  • 東京都 国分寺
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