■DATE■ 2010.11.19(FRI) ■TITLE■ GRAND Cafe 16th Anniversary Party Vol.1 ■DJ■ KENNY DOPE(MASTERS AT WORK) QUENTIN HARRIS K-katsu ■OPEN■ 22:00 ■DOOR■ 3,000YEN ■PLACE■ GRAND Cafe 06-6213-8637 http://www.grandcafeosaka.com 20歳未満の方はご入場できません。 入場の際には、自動車運転免許証/写真付住民基本台帳カード/パスポート/外国人登録証明書のうちいずれかの有効期限内身分証明書原本ご確認が必要です。 ご確認が取れない方はいかなる場合もご入場できません。予めご了承ください。 運転をされるお客様へのアルコール類の提供は固くお断りさせて頂きます。 You must be over 20 with photo ID required.
KENNY DOPE(MASTERS AT WORK) グラミー賞に3度のノミネートされたケニー・ドープは、ダンス・ミュージック世代に最も数多くの作品を残し続けているプロデューサー/DJの一人だ。ビーツへの豊富な知識を持つことでも知られ、ハウス、ヒップホップ、ラテン、ジャズ、ソウル、ブロークン・ビーツを取り入れた類を見なかったスタイルで、ケニーは数知れないマスターピースを世に送り出している。 1970年、ケニー・ドープはブルックリンのサンセット・パーク地区に育ち、80年代初め頃から地元のストリート・パーティーで、ハマりだしたばかりのヒップホップ・ビーツをプレイしている。既に当時から、マスターズ・アット・ワーク (Masters At Work)の名義で、ケニーは地元のパーティーをオーガナイズしており、そのパーティーにはトッド・テリー(Todd Terry)も参加していた。 1990年、トッド、ケニーの二人が”リル・ルイ”ヴェガと出会い、直ぐに気が合った3人は、マスターズ・アット・ワークの名にふさわしく、彼らの共同制作を開始した。MAWサウンドがクラブで浸透し、アーティストやレーベルの間で騒がれるようになり、ビヨーク、R. ケリー、ジャネット・ジャクソン、ダフト・パンク、ルーサー・ヴァンドロス、ビービー・ワイナンズ、ジョージ・ベンソンといったビッグ・ネーム達のプロダクションやリミックスを手がけていく。 ケニー・ドープのソロ・アーティストとしての飛躍的進展は、1995年にレコーディングされたアルバム『Bucketheads』たっだ。特にこのアルバムで異彩を放ったトラック”The Bomb!”にはケニーの「素材を生かしながらカッコ良く、誰もがノレる」曲を作りたかったという熱意が込められていた。シカゴの”ストリート・プレイヤー”の走るドラムと高音域のサウンドをサンプリングしたこの曲は、アンダーグランドでセンセーショナルなヒットとなり、直ぐさまヨーロッパ・ポップ・チャートに乱入、ケニーのメジャー初となる大ヒットとなった。 『Bucketheads』の成功後、ルイとのコラボーレション・プロジェクトに集中するため、ケニーはソロでの活動を休止した。運命的に重要な転機ともなったアルバム『Nuyorican Soul』には、紛れもなくケニーのクリエイティブなインプリンツが作品全てに刻み込まれている。この作品全ての裏側にケニーの存在があった。『Nuyorican Soul』のリリースにより、アメリカでも最も重要なプロデューサーの一人となったことが分かる ここ10年間、ケニーは無数のトラックをリリースと何百ものシングルのリミックスを手がけながら、世界を股にかけDJプレイをこなしてきた。プロダクション・ワークでは、マルチプルなミュージック・スタイルをブレンドしながら、優れたビート・プログラミングで際だった才能で、究極のミックスを見せつけている。また長年積み重ねられたDJとしてのケニーへの評価は並外れに高く、ハウス、ジャズ、ファンク、ソウル、そしてヒップホップの音楽的メルティング・ポットを、カラフルに、エネルギッシュに、またソウルフルに聴かせてきた。 プロダクションとツアーをフルタイムでこなす傍ら、ケニーはスコットランドのファンクDJのレジェンド、ケブ・ダージと共にKay-Deeレコードを設立。Kay-Deeはレアなクラシック・ファンク・レコーズを再発するレーベルで、「紹介されるべき、素晴らしい音楽がまだまだ眠っている。」とケニーは語る。またKay-Deeでは新人バンドも紹介していく予定だ。 近年、ケニーのアーバン・ミュージックでの活躍も著しい。2010年初めにリリースされたR&Bシンガー、ラヒーム・ディヴォーンの『Love & War Masterpiece』(Jive)では、16曲中11曲のプロデュースを手がけ、自身のプロダクションにおいて新たな境地を開いた。 ミキシングボードの前でも、クラブでのDJプレイにしても、再発するクラシックスを探すにせよ、ビート・マスター、ケニー・ドープは”マスター・アット・ワーク(職人)”として常に輝き続けてる。
QUENTIN HARRIS 次世代NYアンダーグラウンド・サウンドを担うDJ、プロデューサー、Quentin Harris。その歴史故、保守的になりがちなNYのクラブ・シーンにおいても果敢に新しいサウンド、コンセプトに挑み、確実な進化を遂げている希有なアーティストである。これまで彼の制作した作品群を知れば、あのThe ShelterのTimmy Regisfordが惚れ込んだのも頷けるはずだ。Ristricted Access、Un-Restricted Accessを中心に多数発表さてたその傑作remix群は何れも世界的大ヒットとなっている。代表的な作品としてDONNIE”CLOUD 9””ROCKETSHIP”、STING”SEND YOUR LOVE””IT’S PROBABLY ME”、JILL SCOTT”GOLDEN””WHATEVER””NOT LIKE CRAZY”"HATE ON ME"、CHAKA KHAN feat. MARY J."DISRESPECTFULL"、JUSTIN TIMBERLAKE"WHAT GOES AROUND"、LEELA JAMES"MY JOY"、JAMIROQUAI"CORNER OF THE EARTH"、PATTI LABELLE”NEW DAY”、FEMI FUTI”TRAITORS OF AFRICA”、MARIAH CAREY"DON'T FORGET ABOUT IT"、STUDIO APARTMENT"WE ARE LONELY"等がる。また、自身のプロデュース作品としてもQUENTIN HARRIS presents CORDELL McCLARY”TRAVELING”、QUENTIN HARRIS”THE SHELTER ANTHEM””LET'S BE YOUNG””HOUSE""U DON'T KNOW"等、何れもここ数年の大ヒット曲で、誰もが一度は耳にしたことがある楽曲群である。他にもCOLDPLAY、TIMBALAND、NELLY FURTADO、PEVEN EVERETT、MICHAEL JACKSON、SEAL、BAH SAMBA、BEYONCE、TERENCE TRENT D'ARBY、RAY CHARLES、AK等多数のREMIXを手がけている。 現在はNYに在住のQuentinであるが、もともと彼はミシガン州デトロイト出身であり、シンガーの母、ミュージシャンの父を持つ音楽一家に産まれ育っている。若い頃からRockからJazzに至るまで様々な音楽を聴いて育ち、5歳でピアノを始め、他にもトランペットやサキソフォン、ドラム等をプレイするようになる。デトロイトのDJ、Mike HuckabyとMike”Agent X”Clarkeの影響を受け、プロデューサー/アーティストとして活動することを決意。そして彼は最初にHip Hopのアーティストとして活動をし始める。自らのグループはThe Bio Chemistと名乗り、当時のまだメジャーレーベルと契約以前であったSlum Village、Eminem、そしてD12のメンバー等と活動を共にしていたのである。その後、NYへ移住し、Hip HopグループThe MastermindsのDJ/プロデューサーとして活動。1999年にはアルバム”The Underground Railroad”のプロモーション・ツアーに参加するものの、ツアー後には突如脱退。独立してDJ/プロデューサーとして活動しはじめる。この頃からハウス・ミュージックのリミキサーとして注目されはじめ、その後は飛ぶ鳥を落とす勢いで素晴らしい作品の数々をリリース。DJとしてもTHE SHELTERを中心に活動を開始し、現在は自らのパーティー"KISS MY BLACK ASS"を地元NYで不定期で行っている。MIX CD”SOUTHPORT WEEKENDER”や日本のみ先行で発表されたオリジナル・アルバム"NO POLITICS"によって、その人気は決定的なものとなり、もはや確実に次世代のシーンを担うトップDJの一人として注目を集めている。2008年には KING STREET SOUNDSの大人気MIX CDシリーズ”MIX THE VIBE"をリリース。そして今年5月、STRICTRY RHYTHMより待望のセカンド・アルバム"SACRIFICE"を遂にリリース。あのTimmy Regisfordが見込んだ才能Quentin Harris、待望の再来日である。