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開催終了藤波夫妻&GRACEが伊万里に!

詳細

2008年01月25日 11:13 更新

しんやさん、メグさん、GRACEの皆さんが伊万里にやって来ます。
みんなで行こう!

2月2日(土)19:00〜20:30
伊万里いのちのことばキリスト教会(LOCCO斜め前、ウェルサンピア隣)
ゴスペルコンサート
藤波慎也&藤波恵withグレイスゴスペルシンガーズ
参加無料

コメント(19)

  • [2] mixiユーザー

    2008年01月28日 06:58

    なぬ?山の祭りの打ち合わせとダブっているではないか?俺の記憶違いであることを
    願うのみ。2月1日であってくれ!無理か。

    参加お勧めです。ゴスペルってこんなにすばらしいって(今以上に)思ってください。なぜか、自然に涙が溢れる・・・なんて体験しちゃってください!
    慎也さんもアメリカでの最初のゴスペル体験で、そんな事があったそうです。

    最近では・・・そもそも東京でしたが、日吉とか(ローカル過ぎるかな?)でも
    WSなさっていて、マイミクのおりょうちゃんさんとかも出ているそうです。

    背後で祈っています。(と言う参加で・・・)
  • [3] mixiユーザー

    2008年01月28日 07:10

    行きたい手(チョキ)
  • [4] mixiユーザー

    2008年01月28日 11:02

    行きたいでっすぴかぴか(新しい)
    (いろんな事の調子が良ければって事になりますが・・・)
  • [5] mixiユーザー

    2008年01月28日 21:49

    すみませぬ。。。。
    厳しそうです。
    その日はバドミントン仲間での厄入りの飲み会(単に飲みたいだけ??)があるので・・・・
    申し訳ないです。。。。
  • [6] mixiユーザー

    2008年02月02日 12:49

    今日です。
    私はk浪さんの仕事終わりにあわせて6時半ぐらいに出ます。
    では現地にて車(RV)
  • [7] mixiユーザー

    2008年02月02日 13:39

    Praise the Lord!
    いよいよ今晩ですね。
    慎也さん、メグさんそれにグレイスゴスペルシンガーズの皆さんの上に主の祝福があるように
    また、コンサートが主の恵みに満ちた素晴らしいライブとなるよう祈ってます。
    God bless you!ぴかぴか(新しい)
  • [8] mixiユーザー

    2008年02月03日 22:16

    ライブの様子をお聞かせ下さいませんか?
  • [11] mixiユーザー

    2008年02月04日 10:49

    大雨のなか、1時間弱?だったでしょうか、めちゃくちゃ恵みいっぱいでした。
    いのちのことば教会は初めて行きましたが、ここもかなりあったかい教会でした。
    ボーカルの3人さんの賛美、慎也さんのディレクション・ピアノ、どれをとっても熱くすばらしかったです。
    風邪ひきの子ども引き連れてだったので、いまいち自分自身集中できなかったけど、一緒に行ってくれたKさんは大興奮でした。

    HARmiiさん
    その気持ちはよくわかりますよ。ゴスペルに真剣に向き合えば向き合うほどいやでも直面してしまうことですから・・・。
    「ゴスペルを歌うノンクリスチャン」コミュのトピ、私も以前目を通してました。書かれてる意見もそれぞれで、どのコメントにも共感できます。

    私も、滑り止めに受けたプロテスタント系高校でイエス様に出会ったものの、「なんかうさんくさ〜」としか感じられず礼拝の時間が苦痛で仕方なくて(賛美歌だけは好きだった)、聖書の言葉も吐き気がするほどいやでした。実家はバリバリ、アクティブな日蓮系の宗徒ですし、「信教の自由の侵害だ!聖書の履修単位を廃止してください。」と級友と先生にかけあったこともありました。
    不思議な縁で26歳でゴスペルを始め、12年たってようやく昨秋、ジーザスを受け入れようかな、というとこにきました。
    出会ってから24年です。

    だから、ゴスペル始めて5年ぐらいまでは「いくらジーザス、ハレルヤ口先で言っても所詮似非やし。」とか「こんな気持ちで歌ってたらクリスチャンの人に失礼やんなー。いつか怒られるで。」とか「やめて違うジャンルの音楽やったほうがいいんじゃないか。」とかずっと思っていました。

    まあでも、やめようと思ってもすでにやめられなかったんですが・・・。
    心の中では絶えず葛藤してるのだけど、それがゴスペルを捨てる衝動にはつながらなかったというか、ゴスペル取られたら人生どうなってしまうのだろう、というとこまで自分がはまってたというか。

    続けながらずーっと葛藤してました。属してたクワイアが中立的というか、神様のほうに顔は向けてても多様性も大事にする、という性格だったので、周りのメンバーもみんなそんな感じでした。曲や先生の指示によっては「宗教的すぎ!」とブーイングしたり、一方では「もっとクリスチャニティを表に出したい。これでは物足りない」という声もあり。それぞれの理由で、いわゆる純粋に音楽として楽しむクワイアと、より教会的なクワイアに流れていく人も大勢いました。

    ということで(?)人それぞれなのです。
    そうやってみんな自分が納得いくこといかないことと向き合うところがたぶん神様は大好きなんじゃないかなと思います。

    教会で行われるゴスペルコンサートは、一般の方が気軽に教会に足を運んでもらうきっかけづくりとして行われることも多いです。
    でも、やっぱり賛美・ワーシップ、証といったものに時間を多くとるので、教会的な集団が苦手な人や宗教的なことに違和感を感じる人(こっちのほうが圧倒的に普通だと思う)にはきついですよね。
    これでは、ゴスペル自体に興味のある人も嫌気がさして逃げるわな、と思うことも多々あります。

    個人的には、最近は証もお説教も大好きなんですけど、以前はこれが始まると「帰ろう」と一気に興ざめしたものです。意識的に教会のにおいのするところは避けてました。自分の居場所じゃないし、と。

    クリスチャンの中にも信仰告白や証を強要するかのような雰囲気が嫌い、
    という人もいるし、牧師さんのお説教が嫌い、という人もいます。
    静かな礼拝が好きだから最近のゴスペルブームとやらがうっとおしいという人も。
    何がいいか、いやか、というのはほんとに千差万別ですね。

    で、結局、人それぞれで、その思いというのも時間とともに変っていくもので、
    何が正解で何が間違いというのもなく、要は自分がどうしたいか、ということではないでしょうか。
    そのどうしたいか、という内容がラッキーにも合致する人とともに楽しい時間を共有する。それでええのんとちゃうかなー、と思います。
  • [12] mixiユーザー

    2008年02月04日 11:08

    先日はお疲れ様でしたぴかぴか(新しい)
    ほんとに素晴らしいコンサートでしたね。
    これこそが心の感情のこもった歌だとすごく実感いたしました。
    歌っている方の表情、心から捧げる神様への祈りが伝わって参りました。

    上記HARmiiちゃんのコメントにもありますように、私もずっと思っていたことがあります。
    この『ゴスペル』というジャンル。
    奥深いトコロに入れば入るほど自分の心の中に葛藤を抱いておりました。
    まずクリスチャンではないのにこの歌を歌っていいのだろうかと。
    クリスチャンではなくても歌っていいんだよ、とおっしゃる方も多数いらっしゃることと思いますが、「感情込めて」って言われると私の中の神様は「キリスト様」ではなく「お釈迦様や仏様」ですので今までは『信じる神は違えども神様を敬う気持ちは同じ』だと、歌詞を自分の中で勝手に置き換えて歌ってきたトコロがあるのです。
    それでも、歌が好きだと言う思いが強いため、当日も「皆さんご一緒に」と言われると一緒になって歌ってる自分もいました。

    しかし会場を後にした時現実に引き戻されたと言いましょうか、日本語の歌詞で意味がわかり易かった事、グレースの皆さんの表情、藤波慎也さんのお言葉などを思い出すと、このジャンルの歌を私が歌っていいのだろうか?という気持ちでいっぱいになりました。
    どこのステージにもたたず、ただ近くの練習場でみんなで集まって歌うだけなら出来ない事も無いのですが、まずステージに立ち、人様の前で堂々と歌うなどという事はもう無理な気がしてなりません。。。

    どうしても、信仰が関わってくる。
    特に先日のコンサート会場が教会だったこともあり、それも関係しているというのもありますが、最後に藤波さんが「皆さん頭を垂れて神様へお祈りを捧げましょう」と言われ、その後に「キリスト教に少しでも興味をもたれた方手を挙げていただけませんか?」との問いかけに手を挙げれなかった自分。
    もちろんキリスト教の存在自体には全く否定などいたしておりませんし、あんなに信仰できる方々を目の前にして尊敬したほどです。
    しかし、その一方でこれから先の事を思うと・・・
    今まで抱えてきた葛藤が、実際に私の目の前に現れて、現実を知ったというか。
    歌が好きだから、と言う安易な気持ちだけでは『ゴスペル』は歌えない、と。

    帰りの車の中で、一緒に行った3人で話しましたが、
    この様な私達がゴスペルを歌う事は『本当に信じている方々に対して失礼だよね』
    と、言う言葉がみなの口を突いて出ておりました。

    ただ、コンサートに参加させて頂けて、泣きながら歌われる姿、歌の合間合間に祈りを捧げられる姿には、本当に心打たれるものがあったし、感動もしましたし、行ってよかったという思いもあります。

    しかし、正直今は複雑な思いでいっぱいです。
  • [13] mixiユーザー

    2008年02月04日 12:13

    はっちゃん、じえたん、ぼたかりさんの正直な心境が聞けて、私自身はとてもうれしく感じています。
    2日の夜の賛美を聞いて何かがつーんと胸に響いた、その表れですから。
    真剣に、ジーザスと向き合う姿を見て「これは違う、歌えない」と思うのは
    その歌がちゃんと聞く者に確かに届いていたということの裏返しですもんね。

    ゴスペルって、難しいですね。やればやるほどふるいにかけられてるような気がする。でもふるいにかけてるのは人間であって、神様は誰一人としてふるい落としたりしません。

    今はともかく、ゴスペルの根底に流れる無限の愛を受け取るだけでいいんだと思います。
    あなたは異教徒だからあげません、とかけちなことは絶対おっしゃらないので、遠慮なくおなかいっぱい受け取ればいい、しかも向こうはお代も見かえりも請求してきません。これは底をつくということがなく永遠にぼっこぼこ湧き出し続ける愛です。

    自分がおなかいっぱいに満たされたら、2日の夜のようなすんごい歌が歌えるんではないかと。まずは自分のコップをいっぱいいっぱいに満たしてもらう。空のままでは歌えません。
    「自分のようなものが歌う資格はない」という気持ちそのままでゴスペルを楽しむ。ゴスペルにぱんぱんに詰まってる愛のかたまりを「遠慮なく」いただく。もー腹いっぱいに。

    愛とかどうとかいうとまたよくわからないかもしれませんが、きっと、皆さんがゴスペルって何だろう、興味があるわ、歌ってみるととっても気持ちいいな、というところがすでそうなんだと思います。
    大丈夫だよー、心配ないよー、それでいいんだよー、大好きだよーという全肯定が。

    私は、無神論の人がゴスペルを歌うことには「???」ですが、仮にお釈迦様であれご先祖さんであれ近所のお社であれ宇宙であれ、何か人間以外の大きな存在に対する崇敬が少しでもあるならゴスペルを歌うのはまーったく問題なしと思います。

    あと、ジーザスについては、家や親やお墓のことはおいといて、大切な友人として個人的に一対一の関係をもてればなおよしだと思います。
    実際の人間としてのイエスは、かなり白黒はっきるつける激しい人物だったんじゃないかと思いますが(その先鋭さゆえに磔にされたのかなと)、神の子イエスとは、一生の友達で、絶対にこいつは裏切らん!もし借金の保証人にさせて夜逃げしてもまず怒らん!っていうすごいいいヤツ的なつきあいでいいと思います。

    また語ってしまいました。。。うざくてすみません。

  • [14] mixiユーザー

    2008年02月04日 13:32

    『何事も神様のお導き』(これは当日めぐみさんが言葉に詰まった時に、それすらも神様によってそうさせられたとおっしゃいましたが)・『無限の愛』とか『ジーザスが大切な友人』等という部分がまだ理解に苦しむところなのです。
    (これは私自身がであって、信仰なさっている方の事を『理解できない』と言っているのではないと言う事をわかって頂ければ幸いです)

    これは、私がゴスペルを何年も続けたとしても揺らぐ事のない部分かもしれません。
    イエス様の誕生などの歴史的背景を知る事には興味はあるのですがあせあせ(飛び散る汗)

    現在の私も、毎日もがき苦しみ、手を合わせて祈っている時や仏様と対話している時が心安らぐ時でもあります。

    その対象が違うという事がここまで悩み、苦しいことなのか!と思います。
    歌いたいけれど、歌えない・・・。
    あの日まで毎日のように聞いていたゴスペルCDがもう聞けなくなってしまいました。
    どうしたらよいものか・・・。

    でも9日の練習で少なからずも何らかの答えが見える事は確かだと思います。
    歌う事自体は決して辞めたくない!
    ただそれが『ゴスペル』でならないのかどうかを少し見失ってしまいました。

    時間が解決する事なのでしょうかね〜・・・・。
  • [15] mixiユーザー

    2008年02月04日 16:34

    なるほどですねー・・・。
    いや、正直、そうだと思います。
    いきなり理解できたらそれはそれで怪しいw。

    自分の中でヘンだ、なんか悶々とする、という状況の中で歌うのは
    大変しんどいことですから、一度お休みする、というのもひとつの方法かもしれません。

    しばらくゴスペルと距離をおいてみて、また歌いたい、聞きたい欲求がわいてきたら、今までとはまた違った気持ちで関わることができのではないでしょうか。
  • [16] mixiユーザー

    2008年02月06日 04:47

    ご様子がわかりました。ありがとうございます。

    唱歌とゴスペルにはつながりがあります。故郷(うさぎ、追いし、かの山、おぶな釣りし、かの川)などは、クリスチャンの作った歌だとまずいと言うことで、意図的に作者が伏せられていたようですが・・・。いつくしみ深きと星の世界(♪月無きみ空に〜)など懐かしさを感じる所以と言われます。

    最近では、アメージング・グレースが最も有名です。日本人に定着しました。
    (奴隷船の船長が嵐に遭い、牧師になってゆく、ジョン・ニュートンの話。お母さんは
    彼が、5歳の頃から牧師になるように祈っていたそうです。無神論と豪語していた彼が
    嵐の中で思わず『神よ!助けたまえ!』と叫んでしまい、『今、俺は何と言ったんだ』
    という疑問から、探求が始まったそうです。)

    何か違うと感じたのは、藤波さんも最初は、同じだったと思います。
    でも、その違いを、ご自分の中に受け入れる決心をされて、そちらの方に
    向きを変えて前進され、ゴスペルを伝える側の人になって行かれたのでしょう。

    その先、それに向かって行くか。それから距離を置くかは自由であり、
    でも、それを先に知ってしまった人物は、特に愛する人物に知って欲しいと夢中になってしまいます。逆にその熱心さを引かれてしまって悩む訳ですが、その点をご理解いただければ幸いです。

    ゴスペルが、歌えなくなるのは本当にお気の毒です。

    ゴスペルをクリスチャンで無いから
    歌ってはいけないとは思いません。

    感動したり、興味を持ったり、自分の好きなアーティストさんが、
    ゴスペルの影響を受けていたことがわかり、割り切りながらも歌う人、
    距離を置く人、様々ですが、牧師の立場から言えば、ぜひ、歌い
    続けて欲しいと思います。歌うことで、わかることもあると思うのです。

    教会にいながら、今のいわゆるゴスペル・ブームには疎かった私です。
    でも、藤メグさんにお会いして、初めて長崎にて、ゴスペルを習い、
    全身がぞーーーーっと鳥肌が立つような感動の経験をしました。

    アフリカの人も、
    日本人も、アメリカ人も神様の目から見たら
    同じ大切な存在であって、人間の側で、
    勝手に狭い了見を持ち込んでしまうみたいです。

    (狭い見方も大切だとは思うのですが、教会で歌っているのが本物のゴスペルで、
    中島美嘉さんの歌うアメージング・グレースは違うとだれが言えるのでしょう?)

    それを失礼に思うほどの見識のある方々には、是非、歌い続けていただきたいと
    思います。失礼とも、何とも思わない人よりも、数段、リスペクトしていただけていると思い、嬉しく思います。(すべての牧師がそう考えてはいないと思いますが・・・)
    心が最後まで見抜けるのは、天の父だけですから・・・。

    聖書によれば、天国に行って、何をするかと言えば、ゴスペル三昧です。
    心に残るのは、讃美歌であって、牧師の話では無いことが大半です。
    教会の外に讃美歌を持ち出した方法は、『十字架にかかりたる救い主を・・・』の作者で知られる三谷種吉らで、当時は路傍伝道が行われ、コーディオン片手に全国を練り歩いたそうです。
    亀淵さんのような方が現れて、教会にルーツがあるのだけれど・・・それよりも解放されることの欲求を自身満たされた方が、あちらこちらで、ゴスペルを教え始め、日本では
    瞬く間に拡がりました。全国の様子はすべて把握出来ませんが、九州は熱いそうです。
    ブームで終わらずに、広がり続けている理由には、今の日本の中で、
    ゴスペルのもつ、癒しや解放、その必要があるからだと私は見ています。
    私自身の経験からも、この音楽には他に無いものがあると思っています。

    あたたかいもの=愛 と藤メグさんは、教えてくれました。
    その愛が、神様だと。

    その場にいなかったので、何とも申し上げる事は出来ませんが、
    きっと集まられた皆さんの歌声を聞き、皆さんの姿を見、きっと
    壇上で歌われた方も感動していたに違いありません。もしかすると、
    かつての自分の姿を映していたのかも知れませんね。

    日本人が拒否反応するのは、当然だと思います。(私にとっては、悲しい事ですが・・・)

    自分が、一線を退いていて言うのは、申し訳ないけれど・・・正面から向き合いつつ、
    違いを感じつつ、その気持ちを全面に出しつつ、関わって行った方が、断然リスペクト
    している行動だと思います。ガチで、反対は反対。賛成は賛成。かなり疲れるかも。
    でもね。余力があれば、思い切って反対してぶつかってきた人ほど、はまって抜けられなくなってるよ!パウロがそうだったと大学の学院長先生が入学式の時に教えてくれました。人とぶつかるのではなく、何なんだ!って思いながら、ゴスペルの内容に、ぶつかるのは有りだと思います。
  • [17] mixiユーザー

    2008年02月12日 12:50

    かなり深い話になってますが、私はこういう話、大好きです。(すんません)
    てか、こんなことを考えるのが好きだから、ゴスペルと縁ができたのかもしれません。

    日本人がゴスペルやる上でどうしてもつまずくのが
    キリスト教的世界や聖書のイメージがあんまりにも自分からかけ離れてる、
    というのがあると思います。
    私自身、あのヨーロッパ宗教絵画的な世界が頭に浮かんで、そのバタ臭さがどーも真実味を感じられないというか。。。イエス様も青い目、ロン毛に髭のイケメン風ですしね。

    そういうのをがっぱりと拭い去ってくれるのが音楽の力なんじゃないかなー。
    または文学、言葉の力ですね。ダンス、というのもありでしょう。
    芸術全般がだいたい、ひとつの宗教的行為でもありますね。

    ゴスペル会場で聖霊に満たされてイッちゃってる人をよく見ます。
    仏教的にいうと「法悦」です。
    こう言うと乱暴かつ異端かもしれませんが、宗教行為の行き着くところは同じ、
    人の求めるものも同じ、答えもだぶん同じではないかと。

  • [19] mixiユーザー

    2008年02月14日 13:30

    HARmiiさん
    えらい!何が違うのかどこにつまずくのか、まず聖書を読んで向き合うことを実際にされているなんて、頭が下がります。そこまでする人は、そうそういないと思いますよ。

    ゴスペルは音楽としてはいいけど宗教ぽいのはイヤだ、という人はかなり多いと思いますが、そこから「なんでイヤなのかを考える」ことに向き合える人は少ないです。

    音楽として惹かれる→内容について理解する→それをどう咀嚼するか。
    やっぱりダメだ、飲み込めない、という答えもよし。
    あー、こういうのもありね、と客観的に見るもよし。
    違うとわかったうえで、合致する部分をまた探してみるもよし。
    正しい答えなどなく、答えは人それぞれですから、納得できるまでとことん迷ってみるのがいいのかなと思います。
    個人的には、「理解できないことから逃げないで、妥協せずぶつかる」のが日本人がゴスペルをやること、と思って関わっています。
    日本語ゴスペル、という形もありますが、いずれにしてもルーツは異文化の財産ですものね。

    個人名出しますが、さゆりさんの場合は、入会直後からものすごい勢いで勉強されて、憑かれたように図書館行って関連本を読み漁ってました。
    あの間のさゆりさんの、「知りたい」という欲求、行動力は恐ろしいほどでしたね。
    入院中も聖書を傍らにいつも置いていました。さゆりさんが聖書を読み出したのはあの頃からじゃないかな。えば父の中では一番深くゴスペルにはまった人ではないでしょうか。

    考えれば考えるほど、ゴスペルが遠くなる、楽しめなくなる。
    私も今でもそういう時期があります。
    ゴスペルのゴの字もいらん!っていう時も。
    そういう時は無理せず時間をおいてみるといいと思います。
    1ヶ月なり、半年なり、ゴスペルを断ってみて、それでも問題なく過ごせるなら
    そのままでもよいでしょう。
    でも、いずれ禁断症状が出てくるんですよ〜。これが。

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