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開催終了ドキュメンタリー頭脳警察〜爆音上映会〜@京都西部講堂!!!

詳細

2009年10月20日 00:17 更新


告知失礼します。


☆☆★★☆★映画ドキュメンタリー★☆★☆☆★


「ドキュメンタリー頭脳警察 」〜爆音上映会〜 @京大西部講堂

15.00〜 瀬々敬久監督挨拶!!!

2009.11.07. SAT 15:00〜21:00(三部制)
DOOR : 1,800 yen ADV : 1,500 yen STUDENT : 1,300 yen
10/10(土)一般発売開始
ぴあ(P : 555-696)ローソン(L : 58411)e+ ( pre : 9/29-10/4 )
各種問合わせ:090-8162-9566 daisuketadokoro@t02.mbox.media.kyoto-u.ac.jp

∞公式サイト:http://www.brain-police-movie.com/

∞映画『ドキュメンタリー 頭脳警察』予告編
 http://video.aol.co.uk/video-detail/-/1517742184


40年間、変わらない。闘い続けるバンド頭脳警察とPANTAのすべて。 ロック映画史の伝説を塗り替える、革命の5時間14分。

「止まっているということと、変わらないということは、違うんだよ」――PANTA

1969年。19歳のPANTAとTOSHIを中心に結成されたバンド、頭脳警察。学生運動の時代、72年に発表されたファースト及びセカンドアルバムは、その歌詞の過激さから発売禁止の処分を受け、頭脳警察は反体制のバンドとして担ぎあげられた。そして75年。学生運動の終焉を告げるかのように、彼らは突然解散する。数々の伝説的なステージと6枚のアルバムを残して…。
本作は、幻野祭でのパフォーマンスを含む貴重なフッテージに加え、PANTAがニューバンド・陽炎を結成した2006年から頭脳警察を再始動させる08年までの3年間にわたり、ライヴやレコーディングシーン、さらにはプライベートにまで密着し、実に計250時間以上もカメラを廻し続けたドキュメンタリーである。

3部作として構成され、総時間は約5時間14分。1部一作品として、独立して鑑賞できる構成になっている。

PANTAの母は従軍看護婦として働き、病院船・氷川丸で帰国した。その母の死をきっかけに知る戦争の断面。東京拘置所に収監された元日本赤軍・重信房子との交流。14歳の少年がひとりで200人のアメリカ軍と戦ったという事実を扱った新曲。その一方で、多くのミュージシャンとの共演し、独自の活動を続けるTOSHI。それぞれの想いが交錯し、重なり合い、遂に伝説のバンドは再始動の時を迎えるのだった…。
監督は『感染列島』『MOON CHILD』の瀬々敬久。自らもPANTAに密着し、膨大な記録を渾身の3部作にまとめ上げた。これまで決して語られることのなかった頭脳警察の全てが、いま明かされる!

●本3部作は、1部ごとに独立した作品となっています。
どの作品からでも順番に関係なくご鑑賞頂けます。


頭脳警察 第1部 (107分)
結成から解散。PANTAの母親の死と、TOSHIの想い。
再始動に至るまでの軌跡を網羅した、頭脳警察ヒストリー。

1969年、「日本語でロックをやろう」という想いから、頭脳警察の歴史は始まった。 それから30年以上が過ぎた06年、PANTAは新バンド陽炎を中心に、積極的な音楽活動を続けていた。 そして訪れた、最愛の母の死。その通夜に訪れたTOSHIは、翌日、アルバム・レコーディング中のPANTAを訪ね…。 頭脳警察結成から解散までの経緯、高校時代から友人だったPANTAとTOSHIの青春と半生を、08年のライヴ映像を交えて描く、壮大なる第1部。


頭脳警察 第2部 (103分)
病院船・氷川丸から知る戦争の断面。
重信房子との共作による楽曲。
日本の戦後史とパレスチナ問題が交錯する感動の第2部。

太平洋戦争のさなか、病院船・氷川丸で、従軍看護婦として働いていたPANTAの母。その死をきっかけに、当時の氷川丸関係者を訪ね歩くPANTAは、氷川丸の歴史から日本の戦後を感じとる。 そして彼は、重信房子の詩に曲をつけ、アルバムを制作。重信の娘メイを迎えてレコーディングを開始する。 さらに、フセインの孫にあたる14歳の少年が、ひとりで200人の米兵と戦った実話を基に生まれた「七月のムスターファ」。 その曲が披露されたライヴで、カメラは凍りつくかのような殺気を記録していた・・。


頭脳警察 第3部 (104分)
移りゆく時代の中、変わらぬ前進を続けるPANTA、ソロ活動に打ち込むTOSHI。2人の想いは交錯し、“頭脳警察”再始動の物語は、やがて奇蹟のエンディングへ。

07年12月、いよいよ再始動する頭脳警察。カメラはそのレコーディング風景やバックステージに加え、PANTAとTOSHI、それぞれの想いを丁寧に捉える。 08年9月28日、京大西部講堂でのライヴ。熱狂的歓声で迎えられた彼らは、かつてないほど白熱したステージングを見せつける。「笑ってんじゃねぇよ、お前。」 観客に怒りをぶつけるほど熱く燃えたPANTAに、メンバー全員の、そして会場の魂がひとつとなる。 これまでの伝説をも凌駕した、新たな頭脳警察ストーリーの誕生を目撃する、白熱の第三部。


☆★☆

1980年から6年間、京都にいた。
大学に行き、映画部というところに所属し西部講堂で自主上映をやっていた。
西部講堂は自主管理の場所なので、端っこで関わった。当時もまだ京都には新左翼運動の跡継の火があちこちで燃えていた。そのまま住めば安住してしまいそうな居心地のよさが逆にイヤになり、東京に出てピンク映画の助監督を始めた。
頭脳警察の音楽をよく聴いたのはその頃だ。

ふざけるんじゃねえよ
てめえの善人面を
ふざけるんじゃねえよ
いつかぶっとばしてやらあ
解散し、既に10年は過ぎていたが、彼等の歌詞は映画の底で働く自分達の不満を代弁しているように思え、ロケで運転するワゴン車にカセットテープを突っ込み繰り返し聴いた。
89年、ピンク映画の監督になり、最初に作った映画にPANTAの曲を勝手に使った。自分らの不平や不満は日本だけの問題ではなく世界中の人々と繋がっているような内容の歌詞で、天安門事件やベルリンの壁が崩壊した時代の気持ちとぴったり合っていた。その後も90年の再結成から活動休止、彼等の動向が心のどこかに引っかかっていた。ステージは見たが会ったことはなかった。
だから、この仕事をやったのは必然だと思っている。
確かめたかった。
そうして3年が経った。
ドキュメントの最後は京大西部講堂のライブ。
このライブが素晴らしい。西部講堂の空間と歴史がオリオンの三ツ星によって頭脳警察と繋がり呼応し、新しい物語を生んでいる。
とにかく見て欲しい。
頭脳警察は懐かしの伝説バンドなんかでは決してない。
伝説なんか
糞くらえ。頭脳警察は今を生きるバンドなのだ。
(text by 瀬々敬久ー「感染列島」監督)




<プロフィール>

◆頭脳警察

音楽業界のシステムに振り回されることなく「ダサくてもいいから、日本語でオリジナルをやろう」と、ロックバンド頭脳警察は1969年12月に結成される。中心メンバーはPANTAとTOSHI。頭脳警察の日本語による過激な歌詞と自由なメロディーは、当時の若者の叫びそのものだった。学生運動の時代、1972年に発表されたファーストアルバム『頭脳警察1』は歌詞の過激さから発売中止、セカンドアルバム『頭脳警察セカンド』も発売後に回収となり、頭脳警察は反体制バンドとして担ぎあげられる。その後、数々の伝説的ステージと6枚のアルバムを残して、政治的時代の終焉を告げるかのように1975年12月31日、渋谷のライヴハウス・屋根裏で解散する。
2009年、FUJI ROCK FES ‘09の出演を機に再始動。秋、CDアルバム「俺たちに明日はない」の発売を 記念して全国ツアーを行う。

<頭脳警察のおもなアルバム>
頭脳警察1(1972年3月)
頭脳警察セカンド(1972年5月)
頭脳警察3(1972年10月)
誕生(1973年3月)
仮面劇のヒーローを告訴しろ(1973年7月)
悪たれ小僧(1974年11月)
頭脳警察7(1990年11月21日)
LIVE IN CAMP DRAKE(1991年2月21日)
歓喜の歌(1991年5月21日)
俺たちに明日はない(2009年10月21日・予定)
※2008年6月1日 マキシ・シングル「時代はサーカスの象にのって」「間際に放て」リリース


◆PANTA

頭脳警察の中心メンバー、ヴォーカル&ギター。
1968年 ピーナツバターを結成し、ホリプロに一時所属する。 1969年 千葉正健(元ヴァン・ドックス Key)、PANTA(Vo・EG)、TOSHI(Dr)で、スパルタクス・ブントを結成する。スパルタクス・ブントはPANTAとTOSHIがはじめて組んだバンドである。スパルタクス・ブント解散後、同年12月、頭脳警察を結成。75年12月31日に解散する。 1976年から77年、PANTA&セカンドで活動。77年から81年、PANTA & HALで活動。PANTA & HALでは名盤と呼ばれる『マラッカ』(79年)を発表。その後ソロ活動を経て、通称・PANTAバンドで、82年から89年まで活動する。名盤と呼ばれる問題作『クリスタルナハト』(87年)を発表。のちに結成する不知火と陽炎のメンバーは、このPANTAバンドのメンバーが中心になっている。 1990年から91年、頭脳警察を再結成。91年から2001年までソロ活動として、アコースティックユニット・漣で活動する。2001年から03年、頭脳警察を再度始動させる。

◆TOSHI

頭脳警察の中心メンバー、パーカッション/ドラム。
高校生のときにアロウズを結成し、ディスコやキャバレーで演奏活動を始める。 1969年 スパルタクス・ブントを結成する。スパルタクス・ブント解散後、同年12月、頭脳警察を結成。75年12月31日に解散する。頭脳警察を一時離脱していた時期があり、そのときにエレクトリック・パ?カッション・グループ(ドラム4台と初期のシンセサイザー1台の編成)を結成する。また、タジマハール旅行団のライヴ、四人囃子や遠藤賢司などのレコーディングに参加する。 1976年 人形劇団「ろば」の音楽を担当したり、友川カズキとのレコーディングやライヴ活動を開始(現在も継続)。 1982年 トシ・ライヴ・バンド・シノラマを結成する(シノラマとして現在も継続)。この時期、辻村ジューザブロー人形芝居「高野聖」や外波山文明一人芝居「飛行船とんだ」の音楽を手がける。また、イギリスの前衛音楽グループ、ペンギン・カフェ・オーケストラのサイモン・ジェフ、小林武久や高木元輝、佐藤通弘など、さまざまなジャンルのアーティストとセッションを行う。 1984年 歌人・福島泰樹の短歌絶叫コンサートにドラム及び作曲で参加する(現在も継続)。 1990年から91年、頭脳警察を再結成。 90年代から、三上寛、石橋幸、梅崎幸吉、火取ゆきなど、多くのミュージシャンとセッションを行うほか、遠藤賢司バンド、ノータリンズ、Vajra、三社、緑化計画、JOKERSなどのバンドでも活動している。




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