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開催終了This is DISCO

詳細

2006年10月24日 01:52 更新

[ This is DISCO ]
DATE: 2006.9.27 FRI PM8:00-AM2:00
VENUE: NAKED-SPACE( http://www.naked-space.com )
DJS: DJ YOSHI,DJブギ, AKI-CHANN
FEE:
MENS WITHFLYER_2000YENw/1d, DOOR_2500YENw/1d
LADIES WITHFLYER_1500YENw/1d, DOOR_2000YENw/1d

※先着10名様にThis is DISCOセレクトCDプレゼント!



誰にでも楽しめる音と雰囲気を大切に、素人の方はもちろん
玄人な方も遊べる"THIS IS DISCO"開催!!

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  素敵な出会い、気持ち良いお酒、楽しいディスコ♪
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今っぽい空間で、懐かしの曲と雰囲気を浴びながら、松江の大人(30代〜)が
社交できる夜遊びの場に足を運んでみてはいかがでしょう。

http://www.naked-space.com/party/thisisdisco.html

コメント(7)

  • [1] mixiユーザー

    2006年09月07日 03:48

    先着10名様用のセレクトCD、先ほど出来上がりました〜!

    収録曲は…

    I CAN'T GO FOR THAT / HALL & OATS
    Video Killed the Radio Star / THE BUGGLES
    BIZARRE LOVE TRIANGLE / NEW ORDER
    I.O.U / FREEEZ
    SO MANY MEN / MIQUEL BROWN
    などなど


    今回も老若男女にお薦め♪


    「老」=「懐」
    「若」=「鮮」
    かもしれませんね〜(笑)
  • [2] mixiユーザー

    2006年09月17日 22:04

    いよいよ今週の金曜日となりました!

    管理人も当日はスタッフとしてオープンからラストまで、皆様のお越しを楽しみにお待ちしております☆

    昔懐かしいアノ曲!
    今話題のCMのアノ曲!
    いつか見た映画の中で流れてたアノ曲!
    再びドラマの主題歌で脚光を浴びたアノ曲!

    誰もがどこかで耳にした事のある曲の数々と共に、楽しいお酒、楽しい会話、そして楽しい時間を過ごしましょう♪
  • [3] mixiユーザー

    2006年09月21日 23:37

    いよいよ…あ、同じ切り口だ(汗)
    明日でございます!!

    踊るも良し、語るも良し、口説くも…良し?
    それが「DISCO」です☆
  • [4] mixiユーザー

    2006年09月22日 16:52

    いよ…

    えー…本日でございます!
    「DISCO」とゆぅコンセプトで、いつもの[NAKED SPACE]とは一味違ったスタイルでお楽しみいただけるよぅ、DJ・スタッフ共々張り切っております!!

    今宵、楽しいひとときをあなたとと・も・に☆
  • [5] mixiユーザー

    2006年10月24日 02:43

    9.22.Friに続き、Update
    10.27.Fri開催!
  • [6] mixiユーザー

    2006年10月27日 00:18

    おっと!
    日付も変わって、「This is DISCO」は今夜です☆
    新旧様々なディスコミュージックと共に、金曜の夜を楽しく過ごしましょう♪
  • [7] mixiユーザー

    2006年12月14日 21:07

    DISCO

    ディスコ(英語:disco, discotheque)とは、音楽を流し、客にダンスをさせる飲食店である。時には生バンドが演奏する場合もあるが、語源から言っても、ほとんどの場合はレコードを流す。選曲や曲紹介を行うDJの役割が重要である。現在のクラブ音楽でディスコと言う場合は、かつてニューヨークに存在した伝説的なゲイ・ディスコ、パラダイス・ガレージ、ギャラリーなどでプレイされていた様々なジャンルの音楽、またそれらのディスコでのDJの特異なスタイルを指し、今現在でも様々なスタイルに変化しつつ、未だに進化を続けている存在であり、現在ガラージュと呼ばれる音楽の元となったものである。しかし現在の日本ではクラブという形態に流行が移り、一般的にディスコといった場合、過去に存在していた飲食店の形態や風俗を指す。

    ディスコの語源となったのはフランス語のdiscothèque(ディスコテーク、または、ディスコテック)であり、マルセイユの方言で「レコード置き場」の意味であった。形態としては第二次世界大戦中に生バンドの演奏が困難となったナイトクラブでレコードを代わりに掛けるようになったのが始まりであり、第二次大戦後にパリにラ・ディスコテークと呼ばれるクラブが出現したことにより定着した。

    この生バンドの代わりにレコードを掛ける「ディスコ」(もしくはクラブという形式)が本格的な発展を遂げたのは60年代以降のアメリカのニューヨークのゲイ・シーンである。客層はゲイの黒人・ヒスパニック系などのマイノリティが主流であり、掛けられる音楽はファンクやソウルミュージックや特にフィラデルィア・サウンドと呼ばれる滑らかなリズム・アンド・ブルースであった。こうしたディスコはゲイ男性のための発展場としての役割とアンダーグランドな黒人音楽の発展の場でも合った。現在のクラブ音楽の基本的パターンである、DJがヒット曲ではなく自らの個性を発揮した選曲で独特の世界を作り上げて客を躍らせるというスタイル、二枚のレコードをミックスして継ぎ目なくレコードを演奏するスタイル、既にある曲をリミックスしてダンス向きにする手法、家で聞くためではなくクラブで掛けるためだけに製造される12インチのシングル盤といった形式などはこの時期に確立された。

    やがてゲイが社会的に認知されると社会の多方面に堂々と進出すると同時に、このディスコ音楽も表舞台へと登場し、ゲイ以外の一般のリスナーにも聞かれるようになる。70年代後半にはディスコ・ブームが世界的に巻き起こり、大都市のみならず全米でディスコ・クラブが登場し、一般人が押し寄せるようになり、ヒットチャートの上位を独占するようになる。しかし粗製濫造された質の低いレコードや流行の一過、また中核を担ったゲイ音楽シーンがエイズにより壊滅的な被害を蒙ったことにより、ディスコ・ブームは数年間の短命に終わり、再びアンダーグランドな物へと回帰し、現在のクラブ音楽へと変貌していく。

    日本へと輸入されたディスコとはこのディスコ・ブームの時の白人大衆向けにコマーシャル化されたものであり、ゲイや黒人音楽の要素は非常に薄いものだった。このため日本ではディスコという言葉はかつての風俗としてのディスコと、現在のクラブ音楽の源流としてのディスコの二つの意味が存在している。以下に述べるのはそうした日本独特の風俗としてのディスコである。


    日本での歴史
    1960年代-1970年代
    日本では1968年に赤坂に出来た「ムゲン」「ビブロス」がディスコの走りといわれている。当時、生バンド演奏にあわせてダンスを踊るゴーゴー喫茶が流行しており、ゴーゴーガール目当てに通う者もいたが、それらの店とは一線を画して主に芸能人やモデル、富裕層や外国人客を主な客層としたことで、一気に時代を先んじた存在に上りつめた。当時の「ムゲン」は、川端康成や三島由紀夫、三宅一生などの時代の先端を行くそうそうたるメンバーで賑わっていたという。

    その後、ジョン・トラボルタ主演の映画「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977年)が大ヒットし、新宿、渋谷、上野、池袋などの繁華街に多数のディスコが開業し、夜遊びの趨勢は完全にディスコに移った。大勢の「ディスコでフィバる」(熱狂すること。現在では死語)若者を生んだ。

    1970年代-1980年代
    1970年代後半から1980年代前半にかけては、ディスコの定番音楽となる名曲が数多く生まれた時代でもある。ABBAやBee Gees、Chic、Boys Town Gangなどが歌うこれらの曲は、後にはディスコクラシックと分類され、根強いファンを持つようになった。(西城秀樹が青春ポップス曲「YOUNG MAN」としてカバーしたヴィレッジ・ピープルの「Y.M.C.A.」などは、球場等で流れ、応援ソングになっている。2006年現在)

    この頃の日本では、新宿の「ツバキハウス」、「ワンプラスワン」、上野の「ブラックシープ」、浅草の「シャトー」などが有名であったが、1982年、中学3年生の少女がディスコの帰りに殺害される「新宿ディスコ殺人事件(未解決。97年時効成立)」が起こったことから、深夜営業の禁止・未成年者の入店規制など取締りが強化され、新宿のディスコは衰退した。

    原宿の歩行者天国(ホコ天)でラジカセを囲み奇抜な衣装で踊る竹の子族が流行ったのもこの頃である。


    バブル経済期(高級ディスコブーム)
    代わって1980年代中期から六本木周辺では、比較的大規模で豪華な内装を売り物にした高級ディスコが隆盛し、全国展開したNOVA21グループの麻布十番「マハラジャ」、青山「キング&クイーン」やパチンコ業界で有名な日拓系列の六本木「エリア」「シパンゴ」などが人気店になった。六本木周辺では「マハ・エリ時代」、全国的には「マハラジャ全盛時代」と呼ばれた。また大和実業グループの日比谷「ラジオシティ」はOL・サラリーマン専門ディスコで、男性はスーツ・ネクタイ着用の上、身分証明書(社員証)を提示しないと入店できない店であり、一流企業の社章を着け店内で名刺を配る男性サラリーマンの光景がよく見られた。

    これらの店は内装に数億円掛け大理石や真鍮を使用した豪華絢爛な店内、コンサートホール並みの音響や照明機器、女性の踊りがより目立つためにお立ち台を設置、一般席と区別したガラス張りVIPルームの併設、従業員によるホテル並みの丁寧なサービス、本格的なシェフを迎えての高級レストラン並みの料理、来場者の男性同士の入店拒否やジーンズ不可などの服装チェック、店の雰囲気にふさわしくない客の入店拒否(ドレスコード規制)を行い、高級感と非現実空間を出すことで従来のディスコとの差別化を図り、新たな客層を獲得していったバブリーディスコである。このような高級ディスコはモデル並みのイケメン従業員に化粧をさせ、階級別に色分けされた派手な制服を着てアイドル並みに振舞うウェイターやDJを目当てに女性客が押し寄せる。また黒服と呼ばれた役職付き従業員がモデルや常連女性客に入店のフリーパスやサービスドリンクを振舞うなどの優遇措置を取り、ダンスフロア入口近くのLV席(レディースVIP席)に座らせたりお立ち台で踊らせて目立ちさせ、入店してきた男性客にいい女がいっぱいいる店と錯覚させる手段をとっていた。そうした女性客を目当てに集まった男性客から高額な入場料(当時4000〜5000円)やVIPルームチャージ料を取るといったいわゆる「花のある所に蝶が集まる」商法が当時の高級ディスコの集客システムであった。

    この高級ディスコブームにより高校生や10代は子供としてドレスコードで締め出され新宿や渋谷などの一般大衆ディスコでしか遊ぶことができなくなった。そのおかげで六本木周辺などのディスコは大人が安心して遊べる社交場となり、それまでのディスコとは不良が集まる場所といったイメージを一新させ、一般の人達がお洒落して行く流行の発信スポットとして認知されるようになった。こういった高級指向は、当時のバブル景気下の若者のセンスにもマッチしていた。女性のファッションはDCブランドが中心で「ピンキー&ダイアン」「ロペ」「ジュンコシマダ」などのボディコンやスーツにエルメスのスカーフやシャネルのチェーンベルトを巻きワンレンやロングソバージュにクリスチャン・ディオールの「プアゾン」をつけるのが定番スタイルで、男性は「コム・デ・ギャルソン」「ワイズ」「アーストンボラージュ」などのDCブランドスーツにシャネルの「アンテウス」をつけるのが人気だった。ちなみにディスコで「ジョルジオ・アルマーニ」などのイタリア系ブランドスーツが流行るのは1980年代後半から1990年代前半になる。

    また、この頃には都内の大学生イベント系サークルが開催するディスコの貸切パーティーが盛んになり大学などでパー券をさばく光景がよく見られ、多くのディスコにとって良い収入源となった。それらの学生には「カレッジカード」と称される割引カードが配られていた。

    1980年代中期からのディスコの曲は、よりポップス調を強める一方で、デッド・オア・アライブ、リック・アストリー、カイリー・ミノーグ、バナナラマに代表されるストック・エイトキン・ウオーターマン(PWLサウンド)によるプロデュース作品や、マイケル・フォーチュナティなどのイタリアからのユーロビートに代表されるような、コンピュータを用いた打ち込み系の音楽が多く使用され始めるようになる。日本の歌謡曲に似たメロディータッチに単調なリズムとビートを強調した超アップテンポなこれらの曲が日本人にマッチし大人気となり、これがいわゆる第一次ユーロビートブームで邦楽でも荻野目洋子、BaBe、Winkなどがユーロビートの曲をカバーし大ヒットする。そしてこのユーロビートから生まれた振り付けダンスがパラパラである。

    しかしバブリーディスコが浮かれていた1988年に六本木「トゥーリア」で大惨事が起きた。「MZA有明」大阪「ゲネシス」を手がけた空間プロデューサー山本コテツなどが演出し、鳴り物入りで登場したばかりの店であったが、吹き抜けの天井から吊られた巨大な照明器具が落下し、3人が死亡した。


    1991-1993年(ジュリアナ東京ブーム)
    バブル崩壊後の1991年、東京都港区芝浦に外資系の巨大ディスコ「ジュリアナ東京」がオープンした。外国人DJジョン・ロビンソンによる本格的なMCにユーロビートに代わって人気がでたテクノサウンド(レイヴテクノ)にボディコンの女性たちがジュリ扇と呼ばれた羽根付き扇子を振り回し、巨大お立ち台で踊るといったブームが生まれた。このジュリアナ東京ブームのファッションは1980年代中期以降のDCブランドによる上品なボディコンと違い肌を露出した過激なボディコンが特徴で、中にはより露出度を強調するために手作りのボディコンを着る女性まで現れた。こうした過激なボディコンで下着やTバックが見えるのも構わずに先を争ってお立ち台に上がるといった光景を目当てに男性客が押し寄せるといった異様な熱気となった。この過激な光景はマスコミやメディアによってクローズアップされジュリアナ東京ブームは地方にも飛び火し、人気が衰えていた地方店の「マハラジャ」「キング&クイーン」などではスーパーお立ち台を増設してジュリアナ東京ブームに便乗し全国的に再人気が出る。また赤坂「ロンドクラブ」では「日拓舞踊宴」と称しボディコンだと入場料が100円になり過激さに拍車を掛けた。そしてこのようなブームで荒木久美子(荒木師匠)、麗舞、きしめんダンサーズなどのカリスマ女性も生まれた。

    ジュリアナ東京ブームの主流となっていた音はいわゆる「ジュリテク」や「レイヴテクノ」と呼ばれ、現在のテクノとは異なりどちらかといえばユーロビートにも近いサウンドである。当初はT99「ANASTHASIA」、LAスタイル「JAMES BROWN IS DEAD」、2アンリミテッド「TWILIGHT ZONE」などが代表されるインスト的なヒット曲が多かったがエイベックスによる「EXPLOSION」「CAN'T UNDO THIS!!」などの和製ジュリテクが生まれ、さらにジョン・ロビンソン自ら唄う「TOKYO GO!」でブームの頂点となりエイベックスから出たCD「JULIANA'S TOKYO」シリーズが驚異的セールスを記録した。

    この空前のジュリアナ東京ブームは、名古屋などの地方が東京より過激になり露出競争はとどまることがなく、とうとうニップレスや下着のみだけで踊る女性まで現れその光景はストリップに近いものになる。そしてジュリアナ東京では余りに品のない露出競争に嫌気をさした純粋にダンスを楽しむ常連客の急速な客離れや大家との内紛(湾岸の倉庫を格安で借りて、豪華な設備とDJとメデイア戦略に投資して集客していたが、儲かるのを見た倉庫主が大幅な家賃引き上げに走ったという)や世論の批判や警察の指摘もあって巨大お立ち台は撤去され、クリスタルステージが設置されたが集客と熱気は戻らず1994年に閉店した。閉店日は感謝と称し入場料が無料となったこともあり全国からジュリアナ東京の閉店を惜しむファンが詰めかけ、数千人入る巨大ディスコにも収容しきれず、田町駅から行列ができ、アンコールの声が閉店翌日の昼過ぎまで続いたという。 ちなみに現在でもメディアがバブル経済を紹介するときにこのジュリアナ東京のお立ち台で扇子を振ったボディコン女性たちの映像を出すが、実際はこのジュリアナ東京ブームはバブル崩壊後の光景である。


    1992-1997年(第二次ユーロブームとクラブの台頭)
    1992-1994年まで第二次ユーロブームが神楽坂の「TwinStar」や六本木の「Area」を中心に起こった。全盛期にはエイベックス主催の東京ドームイベントで全国から集結したパラパラ愛好者でドームが満杯に成る程であったが、1990年頃、欧米で現代テクノの発生と細分化が始まり、1994年頃から日本でも音を求めるコアな常連客だけで営業が成り立つクラブが主流を占めるようになった。欧米で流行した近代テクノやハウスを掛けるクラブが集客に成功し、ユーロビートやテクノレイブを掛け続け、豪華な内装やイケてる黒服と舞姫的常連女性客等で差別化を図ろうとする水商売的営業方針の「Area」等、在来ディスコ高級店は神楽坂「TwinStar」を除き、1997年頃迄に相次いで潰れてしまった。(その後、往時を懐かしむオールドファン向けにK&Qが復活
    1998年(第三次ユーロブーム)以降、現在迄
    1994年以降 日本のダンスシーンの主体はDiscoからクラブ に移行したが、1998年SMAPがバックダンサーにパラパラダンサーを起用しTVで露出が増えた事をきっかけに、80年代から 90年代前半のパラパラが一世代下のギャルの人気を集め、1998-2001年にかけて第三次ユーロブーム(所謂パラパラブーム)が巻き起こった。 しかし、現在のトランスシーンの荒廃と同様、低年齢層・大衆層でのブームは両刃の剣であった。エイベックス社とTwinStarの極端な商業主義によりアニメの「名探偵コナン」やミッキーマウスマーチにまでパラパラが付く有様になると、1980年代から続けていたコア層の反発を招いた。更にスーパーフリー事件に於いて同サークルが当時流行していたパラパラをイベント集客に利用していたためにパラパラのイメージの悪化は決定的となり、ギャル層がパラパラからトランスに移動すると商業的にも壊滅的状況に陥り、最後に残った大箱Disco TwinStarも潰れてしまい。現在東京で残っている大箱Discoはユーロビート楽曲版権を大量に抱えるエイベックス社の直営Disco Velfarreだけになった。(Velfarreは1994年に開店、2006年12月で閉店)

    なお、第三次ブームの時期に、台湾及び香港でも、日本のアニメ等と並んで日本のデイスコ文化・ストリートダンスとしてパラパラが注目され流行するに至った。都市圏人口3000万の東京が発展途上国の都市と同様、自分より小規模な都市でしかないNYやLondonのダンス文化を一方的に受信して真似ていたのにたいして、とりあえずオリジナルな物を海外に輸出できたのはエイベックス社の行跡の功績面といえようが、アニメ等と異なり日本本国の第三次ユーロブームは腰砕けになってしまい、香港・台湾でも風化しつつある。

    現在、都内のディスコは、風俗営業法と東京都条例で営業は午前1時までしか認められていない。このため、開店当時はアルコールだけでなく、食事も提供し、表向きは飲食店として届け出をする店舗も多い。のちに食事を出さなくなったり、こっそり営業時間を伸ばしていく。スケジュールに「10:00-MID NIGHT」と書かれているのは、本来は1時に営業終了しなくてはならないから。4月に閉店するクラブが多いのは、人事の月でもあり新任の警察本部保安部長や署長の方針で、違法営業を摘発されるクラブが増えるからである。

    また2005年、東京六本木で最大級のディスコ「ベルファーレ」を経営するエイベックスは、「六本木のディスコ営業を明け方まで許可してほしい」と要望。「ロンドンやニューヨークのディスコは明け方まで営業している。近年、六本木地区のディスコは半減しているが、明け方まで営業すれば衰退に歯止めがかかる」と説明。いるいわゆる「ディスコ特区」を都に要望したが2006年2月、警察庁が「犯罪の温床になる可能性がある」として見送りになった。エイベックスは「ディスコは文化的なレジャー施設」とし、同年6月に再申請したが認められなかった。
    チークタイム
    ディスコ、特に1970年代〜1980年代初期の特徴の1つに、チークタイムがある。店のボルテージが最高潮を迎え、全力を出し切って踊った後に設けられる、チークダンスの時間である。様々な色をきらめき放ち、空間を鮮やかな光線でみたしていたミラーボールが一転、メローな曲とともに、おだやかな光を投げ始めると、男女が密着して体を前後に揺らし始める。実に粋で、素敵な計らいの文化だが、残念ながらディスコの衰退とともに、今では昔話になりつつある。

    当時としては、つのだ☆ひろの名曲「メリージェーン」が非常に有名であった。この曲は当初の発売枚数6000枚と、ヒットはしていないものの、ディスコのチークタイムで流されることで名曲となった、珍しい楽曲である。



    This is DISCO DJ YOSHI
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