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開催終了★江戸の名所を歩こう会★ 【第39回】 芝離宮・増上寺

詳細

2012年11月09日 14:21 更新

12月22日(土曜日)JR「浜松町」北口改札前 午前10時集合
浜松町駅・芝離宮(150円・65歳以上70円)・
世界貿易センタービル展望台(620円)・増上寺

1時間ちょっと、ぶらぶらして、
12時前には昼飯を食べて酒を飲む。
あとは適当に自主解散のような、
お気楽会です。
沢山の皆様のご参加をお待ちしています♪
★会費無料、現地集合、昼食後現地解散。
交通費・昼食代は自腹です。(笑)
Mailto: otasuke@as.airnet.ne.jp おたすけ社鳥

コメント(4)

  • [1] mixiユーザー

    2012年12月17日 19:11

    浜松町駅は1909年(明治42年)12月16日開設。竹芝や芝浦など東京港の桟橋があり、伊豆七島へ向かう航路などへの連絡駅。1964年(昭和39年)9月17日には東京モノレールが乗り入れて空港連絡のターミナル駅となり、さらに2000年(平成12年)12月12日には近くに都営地下鉄大江戸線の大門駅が開業している。
  • [2] mixiユーザー

    2012年12月18日 19:17

    芝離宮は、小石川後楽園と共に、東京に残る江戸初期の大名庭園の一つ。
    回遊式泉水庭園の特徴をよくあらわした庭園で、池を中心とした庭園の区画や石の配置は、非常に優れています。
    明暦(1655〜1658年)の頃に海面を埋め立てた土地を、延宝6年(1678年)に老中・大久保忠朝が4代将軍家綱から拝領しました。
    忠朝は屋敷を建てるにあたり、藩地の小田原から庭師を呼び庭園を造ったと言われています。
    庭園は「楽壽園」と呼ばれていました。
    庭園は、幾人かの所有者を経たのち、幕末頃は紀州徳川家の芝御屋敷となりました。
    明治4年には有栖川宮家の所有となり、同8年に宮内省が買上げ、翌9年に芝離宮となりました。
    離宮は、大正12年の関東大震災の際に建物や樹木に大変な被害を受けました。 
    翌年の大正13年1月には、皇太子(昭和天皇)のご成婚記念として東京市に下賜され、園地の復旧と整備を施し、同年4月に一般公開しました。
    また、昭和54年6月には、文化財保護法による国の「名勝」に指定されました。
    (回遊式泉水庭園)
    泉水は、この庭園の要を成す施設です。池は海水を引き入れた「潮入りの池」でした。
    引き潮の時は中島から浮島に渡れたり、潮の干満により州浜や島々の風景が劇的に変化したといわれています。
    今は残念ながら海水の取り入れができなくなり、淡水の池になっています。
    (西湖の堤)
    西湖は、中国の杭州(現在の浙江省)にある湖、西湖堤は風光明媚な西湖の蘇堤を模した石造りの堤です。古来、詩歌や絵画の題材として珍重されました。
    (勇壮な石組)
    旧芝離宮恩賜庭園には、数々の名石が用いられた庭造りが行われています。
    根府川山や中島の石組は一見の価値があります。
    特に大久保家の藩地であった小田原から、多くの根府川石が運ばれ、いくつか石組と泉水周りの飛石に使われ ています。
    泉水の護岸は富士の黒朴石が用いられています。
    (鯛橋・根府川山・飛石(根府川石)
    鯛形の根府川石の橋を渡ると右手に豪壮で圧倒されるような築山があります。その山麓に根府川石の飛石が端正な形に敷かれています。
    (蓬莱山)
    中国で仙人が住むと言われる「蓬莱山」を表した中島の石組です。
  • [3] mixiユーザー

    2012年12月20日 00:14

    東京都港区浜松町の世界貿易センタービル - 展望台シーサイドトップは
    東京タワー、 東京湾、お台場のイルミネーションが一望できます。
  • [4] mixiユーザー

    2012年12月20日 21:16

    増上寺は、浄土宗の七大本山の一つ。三縁山広度院増上寺が正式の呼称。
    酉誉聖聡上人により、江戸貝塚(現在の千代田区平河町付近)に、浄土宗正統根本念仏 道場として創建。その後、文明2年(1470)には勅願所に任ぜられ、関東における浄土宗教学の殿堂。江戸時代の初め源誉存応上人が徳川家康公の帰依を受け、大伽藍が造営。徳川将軍家の菩提寺として、また関東十八檀林の筆頭として興隆。江戸時代総録所として浄土宗の統制機関。戦災により徳川将軍家霊廟焼失、焼失をのがれた三門・経蔵・黒門などを含む境内は、昭和四十九年(1974)完成の大本堂とともに、近代的に整備されました。

    (大殿)
    昭和四十九年(1974年)、浄土宗大本山の念仏根本道場として、あらゆる儀式法要が行えるよう斬新な設計と意匠で、戦災に遭い焼失した本堂が再建されました。本堂に御座します、ご本尊阿弥陀如来(室町期製作)は、両脇壇に高祖善導大師と宗祖法然上人の御像が祀られ、参拝される方々の厚い信仰をあつめて います。
    (三解脱門・三門)
    増上寺の表の顔として、東京都内有数の古い建造物であり東日本最大級を誇るこの門は、当山の中門にあたり(表門は大門)、正式名称を三解脱門といいます。
    徳川幕府の助成により、幕府大工頭・中井正清とその配下により建立。
    元和八年(1622年)に再建されました。増上寺が江戸の初期に大造営された当時の面 影を残す唯一の建造物で、国の重要文化財に指定されています。
    三解脱門とは三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門のことです。建築様式は 三戸二階二重門、入母屋造、朱漆塗。
    唐様を中心とした建物に、和様の勾欄などが加味され、美しさを見せています。
    二階内部(非公開)には、釈迦三尊像と十 六羅漢像が安置されています。
    (安国殿)
    恵心僧都の作と伝えられる秘仏黒本尊(阿弥陀如来)が祀られています。(御開帳・祈願会、正月・五月・九月の十五日)
    黒本尊は家康公が深く尊崇し、そのご 加護により度重なる災難を除け、戦の勝利を得たという霊験あらたかな阿弥陀如来像で、
    勝運・厄除けの仏様として江戸時代以来、広く人々の尊崇をあつめています。門は旧国宝で「鋳抜門」文昭院殿霊廟(六代将軍 徳川家宣公)の宝塔前『中門』。
    (徳川家墓所)
    左右の扉に五個づつの葵紋を配し、両 脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれている(青銅製)。
    増上寺は東京上野の東叡山寛永寺(天台宗)と共に徳川将軍家の菩提寺で、当山に埋葬されているのは、二代秀忠公・ 六代家宣公・七代家継公・九代家重公・十二代家慶公・十四代家茂公の六人の将軍のほか、崇源院(二代秀忠公夫人)、皇女和宮さま(十四代家茂公夫人)ら五 人の正室、三代家光公側室桂昌院(五代綱吉公実母)はじめ五人の側室、及び三代家光公第三子甲府宰相綱重公ほか歴代将軍の子女多数が埋葬されています。旧 徳川将軍家霊廟は御霊屋ともよばれ、増上寺大殿の南北(左右)に立ち並んでおりました。墓所・本殿・拝殿を中心とした多くの施設の数々からなり、その当時 の最高の技術が駆使された厳粛かつ壮麗な霊廟は、いずれも戦前国宝に指定されていましたが、昭和二十年(1945年)三月十日に北廟六十八棟被災、五月二 十五日に南廟二十八棟被災、二度にわたる空襲直撃で焼失。
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