DJ で沖縄のクラブを訪れていた石野卓球に自ら声をかけ、作品のデモテープを渡したことがきっかけとなり、2004年6月に石野卓球が主宰するレーベル “Platik(プラティック)”からデビュー・ミニ・アルバム『LEQUIO DISK(レキオ・ディスク)』をリリース。7月には国内最大のテクノフェスティバルWIRE04(横浜アリーナ)に出演。“これまでにないテクノ・ミュージック”の噂を聞きつけた人々が、そのライヴを一目観ようと殺到し、多数のフェスで入場規制がかかった。同年11月には、大好評を得たWIRE04 でのライヴパフォーマンスを収録したDVD『LEQUIO LIVE -LIVE at WIRE04-』を発売した。
2005 年3月には、豪華ゲスト陣(石野卓球、TOBY、NAOTO等)とのコラボレーションを実現した待望のファースト・フル・アルバム『RYUKYUDISK O TECH(琉球ディスコテック)』を発売。さらに6月、初の本格的ボーカルトラックを収録したマキシ・シングル「CHURAZIMA(美ら島)」をリリースし、その新曲を携えて7月から8月にかけWIRE05、FUJI ROCK FESTIVAL、ROCK IN JAPAN FESTIVAL、SUMMER SONIC、RISING SUN ROCK FESTIVALと、数ある夏フェスを総なめにした。年末には日本最大の冬のロックフェスティバルCOUNTDOWN JAPAN 05/06(幕張メッセ)にも出演し、ロックファンにもその存在を十分にアピールした。
2006 年1月〜2月、初の全国DJツアー『Pitchwork DJ Tour 2006』(全13公演)を実施。ちなみにこのツアータイトルは、自身がレジデントを務め、定期的に沖縄で行っているレギュラーパーティ−の名前である。同年7月には、約1年ぶりとなる待望のセカンド・アルバム『PEEKAN(ピーカン)』をリリース。前作よりも、さらに幅を広げた沖縄産ダンスミュージックの名盤とともに、前年に引き続き FUJI ROCK FESTIVAL、WIRE06、COUNTDOWN JAPAN 06/07等、数多くのフェスに出演。さらにこの年には、前年に続くアジア各国(香港、台湾、韓国など)へのツアーに加え、初のヨーロッパ公演となるロンドンでのライブも果たした。
2007 年、活動の拠点をキューンレコードに移し、6月発売のファースト・シングル「NICE DAY feat. BEAT CRUSADERS」を皮切りに、「ナサキ feat. MONGOL800」(7月発売)、「夢のFUTURE feat. KOTOMI」(8月発売)とコラボレーション・シングルを3枚連続リリース。続いて8月29日には約1年ぶりとなるオリジナル・サード・アルバム『INSULARHYTHM(インスラリズム)』と、Platik時代の未発表曲やRemixを含むレア音源集『R3(アール・スリー)』を2枚同時リリースし、その音源を携えて、音楽フェスへの出演はもちろん、初の全国ワンマンライブツアーも行うなど、これまでにも増して精力的に活動している。