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開催終了 宮城沿岸部とフクシマ視察

詳細

2014年11月28日 09:41 更新

と き 11月27日(木)19:30〜
場 所 石打集落センター 会議室
参加費 100円 
報告者 稲葉耕一・西浦武男さん

今年10月。3年半を経た宮城県と福島県へ視察に行き、それぞれ現地に住まう方に案内していただいた。宮城では「すべてが無くなった」と聞くも元を知らない者には何が無くなったのかがわからない。ただ草の生えた荒地が、砂浜から緩やかな斜面を登り数百mに渡り広がっている。福島は津波の跡が見えるものの、荒れ果てた生活の痕跡とその範囲の広さが「死の街」という言葉が間違いでないことを感じさせる。
目的を持って今回の視察に参加した報告に加え、各地で撮影したビデオ見てご自身の目で被災地の現状を確認していただきたい。

コメント(1)

  • [1] mixiユーザー

    2014年12月18日 10:07

    今年10月末。4名で被災後3年半を経過した宮城県沿岸部、福島県沿岸部を訪問した。
    住まいの異なる参加者それぞれが夜行バスで仙台駅へ集合する。駅では被災時に小学校教員であった相澤瑞男さんが出迎えてくれ案内してくれた。まずは仙台市内の海岸へ。海岸へ近づくにつれ廃墟と思われる家屋が増え、遠くに海が見えるころにはまったくの草原になった。「このあたりも家がたくさんありました。」と聞くもまったく実感が無い。その後多賀城市、塩釜市と主だった被災場所へ立ち寄りながら北上する。塩釜市から松島市までは山を越えねばならず、曲がりくねったカーブと高低差はリアス式海岸に近づいていることを感じる。松島市に入ると谷間の草原にぽつんとある校舎が目に留まり、集落がここにあったことを想像させた。松島市中心部の入り口にはブルーインパルスのモニュメントが誇らしげに立っている。そしてまた山を越え女川へ入る。石巻市女川町は牡鹿半島の根元にあり、本島東面に当たるこの地域はまさにリアス式海岸の谷間の集落。一見何か判別の付かない横倒しの鉄筋ビル2棟がまだ放置されており、どちらかをモニュメントとして残すのだそうだ。2階に避難した人が足元まで水が来たといっていた女川町地域医療センターは、港を抜ける国道398号線のはるか頭上にあり襲ってきた津波の高さに驚愕する。近くにあったプレハブの資料館には観光バスで群馬県の生徒たちが研修に訪れていた。教員の認知不足で多くの被害を出した大川小学校を経て、防災無線で避難を呼びかけ続けた悲話で知られる南三陸へ。各地に周辺の山を削った土砂を運ぶ大型ダンプがひっきりなしに行き交い、とてつもなく大きな堤防が築かれている。だが、痕跡の残る津波の高さとの差は歴然であり盛り土のこんなもので津波が防げるのだろうか?ゼネコンのために公共事業を出しているようにしか見えないことがさらに空しさを増長する。南三陸は町ごと高台に移転することになったようだが、住民がその地に住まうのはまだまだ先のようだ。100km近い距離を仙台へ戻り、その夜はまなぶ宮城県協の方の当時の状況や進まない復興について話を伺った。
    翌朝鉄道で福島市へ。こちらでは福島原発避難者訴訟起こしておられる国分富夫さんが案内をしてくれる。国分さんは被災当事南相馬市小高区に住まわれていた。この地域には“希望の牧場”という出荷できなくなった和牛を殺処分せず今も飼育し続けている牧場がある。広々とした緩やかな斜面はとても気持ちがよく、線量の高いことを忘れて深呼吸したくなる。この地域も各地で表土がめくられ、黒いフレコンバックが数千トン集積された場所があった。そして道路だけが開通した国道6号線を南下する。車は停車禁止、わき道は閉鎖され随所にガードマンが立っている。家屋は当然のことながら人気は無く、草と埃にまみれまさに死の町である。左手に原発の排気塔を望み、津波で流されたあとのセイタカアワダチソウに埋め尽くされた田畑を見ながらただ南下するのみ。
    「現地を見たい」そんな思いを災害当初から抱いていた。ボランティアツアーで日程を調整したり知人にボランティア参加の声をかけたりしたが実らず、3年越しでやっと念願が叶った。今だからこそ得られた情報も多いと思われる。実際現地で説明を聞いても実感は湧かない。だが現地へ行かなければ何も得られない。地形や雰囲気を感じながら旅程を進み、その土地その土地に立つことの大切さを噛みしめた視察だった。     
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  • 2014年11月28日 (金)
  • 奈良県
  • 2014年11月28日 (金) 締切
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参加者
1人