■本名はJan Tomas Forman。両親はあのアウシュヴィッツで死亡。10代より学校演劇の演出などを手掛け、51年にプラハの国立映画学校へ入学。シナリオと演出を学んだ後、助監督や脚本家として活動を始める。63年に長編映画“Cerny Petr”を発表後、65年の「ブロンドの恋」など2作品がアカデミー外国語映画賞にノミネートされ、チェコ映画界の注目監督となる。68年にワルシャ同盟軍の戦車によってプラハ市街が席巻された、いわゆる『プラハの春』を機にアメリカに渡り、71年に「パパ/ずれてるゥ!」を演出。75年の「カッコーの巣の上で」でアカデミーとゴールデングローヴの監督賞を受賞。秀作「ヘアー」を経ての84年、母国チェコで撮影した「アマデウス」は、アカデミー賞を8部門獲得して大きな話題となった。79年にコロンビア大学の映画部教授に就任し、同年アメリカの市民権を獲得している。