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開催終了(新生)活動案内;2014/01/18

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2013年12月31日 05:54 更新

イベント&復興住宅訪問

「1.17」を忘れない! 「希望の灯り」とともに 2014

日時:2014年1月18日(土) 午後2時〜5時

JR・山陽垂水、いかなごのモニュメント前に、午後1時20分にお越し下さい。
(各線垂水駅東口(大阪・神戸方面寄り)山側すぐ、レバンテ垂水前の広場です。)
バスで移動、2時〜5時、復興住宅(ベルデ名谷:垂水区)をお訪ねします。 
東遊園地の一角にともる「希望の灯り」の分灯をもって、阪神淡路大震災で被災された方を、神戸市内の復興住宅にお訪ねし、慰霊のひとときをともにしながら、震災のことや今お困りのことなどの「お話し伺い」(傾聴ボランティア)をします。

ご参加の際は、メール、メッセージ(Facebook・Mixi及びTwitter - welove_kobeから)、にて、予めご連絡下されば幸いです。

天候によっては中止・変更させていただくこともあります。
1月18日(土)・19日(日)は、同一場所・時間帯での活動を計画しています。

 阪神淡路大震災から19年となる2014年、この1月は「今こそ「1.17」を忘れない」の気持ちを新たに、これまでの被災地に根ざし、被災者に寄り添いたいと思います。

 近年、被災者の方の高齢化などの事情で、記念行事や慰霊行事が縮小されたり、なくなったりしています。

 それなら、こちらから「出前」をしよう! ということで、2013年に続いて今回も、三宮・東遊園地にある「1.17希望の灯り」を分灯させていただき、それとともに、復興住宅にお住まいの被災者の方々をお訪ねすることにしました。

 今年は、1月17日をはさんで前後の週末、同じ神戸にありながらも、各々異なった情況・環境にある2カ所をお訪ねします。

 11・12日は、Seaside Versionとして、神戸中心部と海岸にも近い東部新都心、HAT神戸・脇の浜住宅の借り上げ復興住宅を中心にお訪ねします。

 18・19日は、Mountain Versionとして、これとは対照的に、神戸中心部から西に離れた山間に造られた復興住宅、ベルデ名谷(垂水区)をお訪ねします。

 なお、「希望の灯り」の分灯は、訪問に先立ち、1月10日午後2時、主宰者が東遊園地に戴きに参ります。もしご都合が宜しければ、こちらにもお越し戴ければ幸いです。

 1回だけでも、初めてでも、お気軽に、ご一緒下さればうれしいです。

コメント(1)

  • [1] mixiユーザー

    2014年02月18日 04:16

    ・80代女性。灘区で全壊。30〜40年住み慣れた,表通りから少し入ったところの,車が入れないところだった。結婚以来住み続け,子どもたちもそこで育て上げた。息子が何時間もかけてやってきてくれて,よくしてくれた。電話が通じなかったので,息子は自分が生き埋めになってもうダメかもと思ったらしい。娘も単車で駆けつけようとしてくれたが,途中で進めなくなったとのこと。区内のグラウンドに避難,近くの人で固まっていられたのが助かった。住んでいた家を解体するとき,立ち会うつもりでいたが,気遣う娘の家にいて,息子が撮ってきてくれた写真を見せてもらった。4月からは仮設住宅で過ごしたが,坂が大変なところだった。仮設住宅からが長く大変だった。あの時の寒さが忘れられない。灘区内の復興住宅は全く当たらなかった。この復興住宅に入居して15年。西日が入るが,夏は涼しい。この棟の住人はみないい人で,よくしてくれる。夫婦2人とも,身体の方は大丈夫。膝も大丈夫で,どこへでも行ける。このあたりの土地勘が泣く,,買い物などはバスで名谷まで行くが,友人3人で垂水まで歩いていったことも。この復興住宅に来てからは,いい病院が解らなかったり,行くのが大変だったりしたことから,何度か救急車を呼んで,近くの病院に連れて行ってもらったことも。また,一時入院したことも。被災時まで居たところは,長く住み慣れたところで,想い出もあるが,ここに来てからは1回しか行っていない。近くでたくさんの方が亡くなったし,かつての近所もバラバラになって,すっかり変わってしまった。慰霊行事なども今更…という感じで,足が遠のく。神戸で地震に遭うなんて思ってもみなかった。自分自身の歴史を戻すことが出来たら…。

    ・20代女性。垂水区で被災。当時はまだ小学生だった。怖かったのを覚えている。2階にいたが,何とか1階に降りて,玄関の近くで家族みんなで固まっていた。落ちてきたものを片付けたりするのが大変だった。住んでいたあたりでは大きな被害はなく,避難もしなかった。学校では給食に変化があって,牛乳が瓶から紙パックに代わったのを覚えている。1月17日が近付くと黙祷したりするようになったが,「しあわせ運べるように」は習わなかった。この復興住宅に入居して4年。高層住宅に住むのはなじめてなので,まだ慣れない。上の子どもが4月から幼稚園に。公立幼稚園を希望していたが,通園に不便なところしかなく,近くまで送迎バスが来る私立幼稚園に決めた。2歳になった下の子どもの保育園を決めるより大変だった。<玄関前でお話し伺い>

    ・60代女性。西宮で全壊。家から脱出して表に出たら足がつったのを思い出す。翌日からの門戸厄神の厄除け大祭のために出ていた露店などがメチャメチャになったのを覚えている。電話は通じてもものが送れなかった。近くの小学校に避難した。震災の3日後には姪の結婚式があり,三田をまわって大阪まで出て出席した。罹災照証明もらうのが大変だった。仮設住宅では訪問ボランティアをした。炊き出しをしたことも。この復興住宅に入居して1年。1月17日が近付くと震災を思い出して,フラッシュバックすることも。ニュースの写真・映像など同じものを眼にすることもあれば,こんな事もあったの?という感じのものも。東日本大震災では,こんな大災害はもうないと思ったのに,まさか東北で起こるとは…。<玄関前でお話し伺い>

    ・「本日は用事が出来外出いたしております。近隣の方々とも、親しくお付き合いさせていただき、今のところ、元気に毎日を過ごしております。ご訪問いただき、ありがとうございました。」<シートに代えてお手紙>

    ・70代女性。地震の時は5*歳だったのに今では70代。19年経つと…。<廊下で通りがかったところにお話し伺い>

    ・10代女性。学校で震災について習った。「しあわせ運べるように」歌っていた。<インターホン越しに応答>

    ・70〜80代女性。(訪問の趣旨を説明したところ)「いいです。元気です。」<ドアを開けて応答>

    ・70〜80代女性。「ボランティアさんですか? いいです。」<インターホン越しに応答>

    ・「なにもお話しする事はありませんのでお断り致します。」<自身でシート記入>

    ・50〜60代女性。「別に困ったことありません。」<インターホン越しに応答>

    ・40〜50代男性。「今風呂入ってるので出られない。」<中から窓越しに応答>

    ・50代女性。「うちはいいです。」<インターホン越しに応答>

    ・60〜70代女性。「結構です。」<インターホン越しに応答>

    ・60〜70代女性。「いいです。」<インターホン越しに応答>
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  • 2014年01月18日 (土) 午後2時〜[1時20分ご集合]
  • 兵庫県 神戸市垂水区
  • 2014年01月18日 (土) 締切
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参加者
1人