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開催終了第97回喜びの会の集いのお知らせ

詳細

2011年09月17日 04:48 更新

「喜びの会」が下記の要領で開催されます。

講演は「脳力開発研究所所長 志賀一雅」先生を迎えます。
 (脳力開発研究所HP:[http://www.alphacom.co.jp/])

 先生はアルファ波脳波研究の第一人者で、ご自身が瞑想の森内観研修所で内観を重ねられていらっしゃいます。 
 内観に対する深い洞察や、専門である脳波研究の立場からの大変興味深いお話しになると思います。

なかなか聞く機会がないので、この機会をお見逃しなく。

◎内観体験の有無、会員・非会員に拘わらず、どなたでもお気軽にご参加になれます。


[開催要領]
●日 時  2011.9.25(日) 13:00〜19:30

●会 場  浅草公会堂 3F会議室 [http://www.taitocity.net/taito/koukaidou/annai.html]

●会 費  1,000円 当日受付


●プログラム

  14:00〜 講演『メンタルトレーニングの立場から内観をみる』
            脳力開発研究所所長 志賀一雅先生

  15:00〜 集中内観体験発表 数名

  17:00〜ラウンドテーブルディスカッション

コメント(2)

  • [1] mixiユーザー

    2011年10月20日 02:17

    今回の喜びの会に出て感じたこと。

    ☆内観を深めるために☆
     両親への感謝だけにとどまらず、両親の感謝を通り越して、今、自分が生かされていること。今いただいていることに感謝できること。今かかわっている周囲の方たちに感謝できること。自分か生きてきたすべての過程に感謝できること。
     内観は両親・家族だけに感謝すればよいわけではない。
     両親は自分が行った行為を全て受け入れてくれている。
     他人だったらどうだったのだろうか??
     そういう対象に対して自分はどんな態度をとっているのか、何を思って日々一緒にいたのだろうか?
     内観とは自分を見る。両親に対してわがままな自分が一番出ている。自分の悪い部分が出ているので、傲慢な自分を見るには一番いい相手である。
     特に母親に対しては、何をしても許されるということを前提にいきている。食べさせてくれることに始まり、下の世話から人間として生活することの基本をせっせとおしえてくださる。すべてが当たり前をしてただ受け取り、少しでも不足があると不平不満を母親にぶつける。
     そんな自分を見つめるのである。自分がどんなときにどんな行動・態度をとるのか?その癖を内観で見るのである。感謝はその結果である。結果は先にはない。両親への感謝である結果は内観の最終目的ではない。
     生かされている喜び。ここにおいていただける喜び。これから生きていけることへの喜び。
     吉本先生は、『たとえどんな逆境の中にあっても、喜んで生きていける心境』になることが内観の目的であると述べていらっしゃいます。
     両親への感謝ができるようになったからと言って内観が終わるのではなく、そっから新しい内観が始まるのである。
     満足せずにもっと自分を見ることに貪欲になってほしい。
  • [2] mixiユーザー

    2011年10月20日 02:44

    今回の喜びの会に出て感じたこと。

    ☆内観者は結果を焦るな☆
     自分もそうであったが、結果がほしい。それも早く欲しい。とにかくイイものを早く欲しい。
     時代はスピード時代であるから、早く処理すること。時間が金を生むし、時給で換算され、短時間で多くの収穫を求められ、景気悪いんで低賃金で多作業・高効率を追求される。

     そういう考えから離れて、自分を見てもよいのではないか?
     自分のペースで自分を隅々まで見る。
     内観はどうやっても自分のペースでしか進めない。他人とも争えない。比べられない。

     面接の先生が敏腕であるとかないとかには一切関係ない。それは内観しているのは面接者ではなく内観者本人だからだ。
     面接の先生を神格化してしまう。過去の自分をすべてわかってくれるはずだ。と思い込む。自分の過去を理解してほしくせっせと面接者に説くわけだ。わかってもらえないことにがっくりする。面接の先生にがっくりする。
     親でもわからなかったことを、内観ではじめて会った面接の先生がわかるはずがない。とわかってから楽になった。考えてみれば当たり前のことであるが、内観中は苦しいのでアタル相手が面接の先生なだけだった。ときには隣りの内観者。自分とはどこまでも自分勝手なのである。

     早かれ遅かれ「気づき」「悟り」は降りてくる。独自のタイミングで。
     焦ったところでそのタイミングはそのタイミングでしか降りてこないものだ。
     人生をかけてやってやろう!!と覚悟を決めたらだんだん降りてきたし、気づきやすくなった。その方が苦しくないってことに気づいた。それも「気づき」
     早く結果がほしいと焦る自分がいると気づくのも「気づき」
     力を抜いて気づくものもある。時間が過ぎたら気づくものもある。
     「気づき」にもいろいろあるようだ。

     理想の結果がほしいと内観をしていた。理想の結果を探せなかったことに焦り、もともとないのでは?という結論を認められず思い悩む。

     内観をして見えた自分が自分である。理想の自分が出てはこない。それをただ認めればよかったことであった。それが楽になることであった。苦しみからの解放だった。

     内観とは何事にもとらわれず、ただ自分を見る。ただただ自分を見る。ことではないかと喜びの会に出て気づいた。

    瞑想の森内観研修所の皆様、お世話になりました。そしてありがとうございます。
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  • 2011年09月25日 (日) 日曜日
  • 東京都 浅草公会堂
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