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開催終了☆キラキラ プロジェクト〜アフリカンフェスタ 2008 横浜☆

詳細

2008年04月08日 21:36 更新

「場所」
赤レンガ倉庫 横浜市 (例年は日比谷公園での開催ですが、今年は横浜です)
横浜高速鉄道みなとみらい線「馬車道駅」「日本大通り駅」から港の方向へ徒歩6分
JR・市営地下鉄「桜木町駅」または「関内駅」から港の方向へ徒歩約15分







わたくし、アジア、中東、アフリカの様々な国を友人と歩き、多くの現地人と出会い、衝撃的な光景をみてきました。
そんな中、ケニアとタンザニアの国境線上で、日本人の医師・相原功志氏の存在を知りました。氏の現地での功績は多大なもので、多くの子供たちの未来を創っております。このプロジェクトを通じて、学生の皆様にも、何かを感じ考えてもらいたく、この企画をご紹介いたします。 当日、みなとミライで、お会いできたら、お声をかけてください。また、ご興味のある子はメッセージください


当日は、現地プロジェクト支援のために民芸品などを販売したりしています。
ここでの収益は、現地ナマンガの子供たちのために使われますうまい!
(毎年、日比谷でやっていたのですが、今年から桜木町です)



web
http://www.geocities.jp/kj_kirakira/

「ナマンガのマザーテレサ」
教会の牧師が若い女性信者何人かに尋ねた。
「あなたたちが欲しいものは何ですか?」
彼女たちは口々に、お金、車、家、素敵な夫などと答えていく。その中で一人
「私はこどもたちを助けていく力が欲しいのです」
と答えた者がいた。
彼女の名はジャシンタ。ケニア・タンザニア国境の田舎町ナマンガで生まれ育った。15の頃、修道尼になろうとして親に反対された。
高校を出て間もない頃、ナマンガで一人暮らしをしていたことがあった。突然遠い親戚の母子が転がり込んできた。母は20代で知的障害、子はまだ1歳に満たなかった。何となく他の親戚たちに、母子の世話を押し付けられたかっこうだった。まだ20歳くらいで大人としては未熟な彼女には荷が重すぎた。母は子の世話ができないばかりか、自傷他傷を繰り返した。このため夜は部屋の鍵を閉めた。その閉ざされた部屋の中で刃物を振るう母とそれを制止する彼女、傍らで泣きまくる子。子は肺炎を繰り返し、彼女は子を背負い昼に夜に医者のもとへ走った。やがて、子は力尽きた。彼女はすぐさま葬式の準備を始めた。従兄弟に借金して家にあった廃材の板で棺桶を作ってもらった。知り合いの若い衆に埋葬する穴を掘ってもらった。1日と経たないうちに葬式は終わった。親戚の者たちの多くは全て終わってからことのてん末を聞いた。子の母は精神病院に入れられた。
その後あちこちの保育園や学習塾を転々とし先生として働いてきた。多くが、給料もろくに払われず、待遇もずさんなものだった。そんな中で、こどもへの愛情を深めていった。一方、多くの離婚や家庭内暴力や育児放棄を目のあたりにし、結婚に対する夢は半ば失っていた。
2001年、私はナマンガのとある保育園を訪ねた。そこで、ジャシンタは一人で200人もの園児とその保護者たちを相手にしていた。そこには、愛情に裏打ちされた厳しさがあった。
「将来ここアフリカで学校をつくりたい」
という私に、
「そのときは私を雇ってくださいな」
と彼女は言った。
2004年、ついに私の学校、キラキラ保育園が創立を迎え、ジャシンタはそこで働き始めた。プライベートでも私に永久就職した。いや、ジャシンタが私を公私共に雇ったといった方がふさわしいだろう。とにかく自分たちの手によるこども支援の活動が始まった。
あのときの牧師がジャシンタに言った。
「君の真剣な祈りを神様が聞いてくれていたんだね」
インド留学から帰ってきたばかりの従兄弟は、ジャシンタを"Mama Teresa ya Namanga!"(ナマンガのマザーテレサ)と呼ぶ。
長年目に見える深い貧困と対峙してきたマザーテレサは晩年こう語った。
「物質文明が豊かな国々にこそ貧困がある、心の貧困が」
真に豊かな未来を築こうと、今ジャシンタは国境の町ナマンガから国境の無い世界へ向けて、また大きくなろうとしている。
(相原功志 記)





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  • 2008年05月17日 (土) 10時から
  • 神奈川県 ミナトミライ
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