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開催終了村田 和人 LIVE at India the RocK?

詳細

2012年08月24日 02:01 更新

2012年10月6日(土)
  open /19:00 start / 19:30〜
  ticket / \3000-(1drink付)

  ご予約、受付中


村田 和人(むらた かずひと、1954年1月2日 - )は、日本のシンガーソングライター、作曲家。専門学校東京ミュージック&メディアアーツ尚美講師。東京都出身。
1982年4月、シングル『電話しても』でデビュー、同年6月にファーストアルバム「また明日」がリリースされた。

『終わらない夏』のプロモーション終了後、スケジュールの空いていた村田に山下達郎のツアーにコーラスとして参加する話が舞い込む。山下によってリハーサルでかなりしごかれたが、現場での多くの音楽的経験を積んでいった。ツアーで村田が一番参ったのは、他の女性コーラス陣と合わせての「踊り」だったという。1983年、山下達郎のプロデュースでシングル&アルバムを制作。マクセルからの依頼で「一本の音楽」というコピーを使用するという条件で制作された先行シングル『一本の音楽』がスマッシュヒット。CMの露出が多かったこともあり、6月に発売されたセカンドアルバム「ひとかけらの夏」は売れ行きも上々、ライブもコンサートホールで行う事ができるようになった。
数多くライブ活動を行う中で、山本圭右、阿部薫、小板橋博司、小室哲哉のバンドメンバーでサウンドを確立していった。翌1984年TMネットワークでデビューする小室を除くメンバーでサードアルバム「MY CREW」を製作。本来このサードアルバムで再び山下がプロデュースを行う予定だったが、村田サイドがこのバンドメンバーでのレコーディングを選択。セカンドアルバムでの経験を生かした、村田のセルフプロデュース作となった。全国主要5都市を含む全国ツアーも行われた。 しかし、翌1985年は再登板の予定だった山下が諸事情により(自身の音楽制作へのコンピュータ導入による試行錯誤など)、制作に着手できず、村田も収録予定だった楽曲を他のアーティストに提供する等、ちぐはぐな活動となってしまい、結局アルバムの製作は流れてしまった。 翌1986年に新しいディレクターの手引きで渡米し、ロニー・フォスターの元で「showdown」を製作。LAのスタジオミュージシャンを起用した本作は、これまでの村田にはないアーバンでスタイリッシュなテイストを盛り込んだ意欲作となったと感じるファンも多い。 翌1987年に再渡米、 LAでベーシックトラックを製作し、日本でダビング及びヴォーカルを録音する形で製作された「Boy's Life」はこれまでの村田の音楽活動の集大成というべき作品となったと多くのファンは考えている。
へ移籍する。当時大流行していた打ち込みによる音作りを大胆に持ち込んだアルバム「GO POP」を1988年にリリース。アレンジも他人に委ねた本作は、村田独自のポップなメロディーは健在ながら、これまで培った生音中心の綿密な音作りと逆方向の仕上がりになった。 次作「太陽の季節」(1989年)はざっくりしたバンドサウンドに振った作品、「空を泳ぐ日」(1990年)はややMOONレーベル時代の作りに戻った感はあるものの、総じてやや停滞した音楽活動となってしまった感は否めなかった(「電話しても」のアンサーソング「電話しなくても」も収録)。また、村田本人もどこかルーチン的になってしまった音楽活動に新鮮さを失い、コーラスやアレンジの仕事をこなしつつ、湯川トーベンのフォークロックスや杉山清貴とのユニット「INN&OUT」等のアマチュア的な音楽活動へ向かい、表舞台からは徐々に姿を消していくこととなった。
アマチュア的に純粋な音楽活動に携わるうちに、村田は音楽製作に対する意欲を取り戻していった。また、東芝時代の反省も生かし、「やりたいことを、やりたいメンバーで、自分のプロデュース・アレンジで製作する」という決意の元、「HELLO AGAIN」(1993年)をリリース。ドラムだけは打ち込みになったものの、当時のメンバーによる演奏、山下達郎の参加により、村田復活を感じさせる佳作となったと感じたファンも多い。続く「evergreen」(1994年)は完全バンドサウンドによる村田サウンドの復活を、「sweet vibration」(1995年)はサウンドスタイルはそのままに楽曲の多様化をそれぞれ目指した作品で、いずれも村田らしさに満ちた充実した作品となったと多くのファンは感じた(村田自身、アルバム解説に「3枚とも迷いのないアレンジ、妥協のないメロディ、アイデアやメリハリなど、自分の音楽活動のひとつの区切りをつけたもの」と発言している)。ただ、当時全盛期であったビーイングサウンド中心のマーケットには受け入れられたとは言い難い状況だった。以来、村田のオリジナルアルバムのリリースは2008年まで途絶えることとなる。
再びアマチュア的な音楽活動に戻っていた村田に、音楽学校の講師の依頼が入った。最初は気乗りしなかった村田だが、次第にやりがいを感じ、講師活動に精力的に取り組むこととなる。また、学校を卒業した生徒から個人的にレッスンを依頼されたりするうち、いつしか活動はレッスン一色になっていった。 そんな中、自分の音楽活動を総括するため、1・デビュー前のデモソングの再録、2・夏海物アルバム、3・ロック物のアルバムの三部作を製作するという着想を得、2008年4月に13年ぶりの新作となる「Now recording」を自主リリースした。同アルバムは反響が大きく、同年8月にメジャーレーベルからボーナストラック5曲入り、24bitリマスターでの再リリースとなった。 翌2009年には夏海物のアルバム「ずーーっと、夏。」をリリース。次作はロック物の予定だったが、「ずーーっと、夏。」の反響が大きかったため、翌2010年には同傾向のアルバム「ずーーっとずっと、夏。」のリリースとなった。 現在はブッキングまで自分で行い、日本各地を訪れるライブを中心に精力的に活動している。 2011年6月17日から、東芝「住宅用太陽光発電システム」のCM「次の暮らし篇」のCMソングを担当している(「太陽のPrecious」(作詞:安藤芳彦/作曲・編曲・歌:村田和人))。


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