Mixrooffice & Toby nation Presents ●『Tuesday Expo#4!!!!! - CHRISTOPHER JUST x TOBY Play Mixrooffice 2007』 @Mixrooffice ( UKAWA NAOHIRO avant-garde studio )
■『Tuesday Expo#4!!!!! - CHRISTOPHER JUST x TOBY!!!!!』 ドテクノ外交官TOBY氏オーガナイズのTuesday Expo!!!!!!!!!!!! 第4興目はCHRISTOPHER JUSTがウイーンから来渋オフィス!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ウイーン(Vienna) とは......( Text by Mixro 第8地下ツアーシンジケート課) ヨーロッパのほぼ真ん中に位置しているオーストリアの首都ウィーンの歴史は古く、ハプスブルグ家の繁栄とともに多くの音楽家、芸術家が集まってきた芸術的な都市です。ウィーンが世界に誇れるものは多く、中でもオペラ座やウィーン少年合唱団の公演のために一年中観光客が耐えません。ウィーンでは世界遺産にも登録されている古い町並みや建物を辻馬車にのって観光したり、貴族の邸宅を利用したホテルに宿泊することもできます。ウイーンは歴史と芸術の都市なのです。山や湖などの自然豊かな国、オーストリアの首都として「音楽の森」「森の都」などと呼ばれることも多いウィーンには13世紀〜20世紀ころまで続いたハプスブルグ家の繁栄のもと、多くの歴史的建造物がある都市です。ハプスブルグ王朝時代に設立されたバロック様式の建築が大変美しいスペイン乗馬学校や、バロック建築の傑作といわれるハプスブルグの皇帝が居住していたホーフブルグ王宮は、今までにも舞踏会や演奏会が行われ現在もウィーン少年合唱団がミサの際賛美歌を歌う礼拝堂など様々な催しを見ることができます。また、世界中から芸術家たちが集まってきたウィーンではクラシックは特別なものではありません。モーツァルトやベートーベンによってヨーロッパの音楽はウィーンを中心として動いていました。ですから、現在でもオーストリア・ウィーンではウィーンフィルハーモニーを中心として沢山のオーケストラ・バンドが存在し、オペラ座や宮殿など色々なところでクラシックを楽しむことが出来、世界屈指の国立オペラ座では、ほぼ毎日のようにバレエやオペラ、舞踏会などが開催されていて日常的にオペラを楽しむこともできます。長い歴史の中で優雅で煌びやかだったオーストリア・ウィーンのハプスブルグ王朝は1918年に終わりを告げ、第二次世界大戦後永久中立国のオーストリアの首都として、世界中の国際会議などが頻繁に行われる国際的な都市という一面と古い歴史的な面を兼ね備えて持つ都市となりました。
ウイーンで生まれ育ったクリストファーは、小・中、そして高校4年まで 在籍したのち、ゲイバーにて初めてDJを経験する。Casio SK5-4を 手に入れてからは音楽製作に取り組むようになる。初めて作曲したのは “Wenn der Toni mitdem Polster und der Edi mit dem Finger”で、“Best Song for the Football WM 1988”の コンペティションにて見事チャンピオンに輝く。5年後ウイーンにある服飾学校に通うが、その後 絵画の専門学校のマスタークラスにて絵の勉強を始める。 校長であったWolfgang Hutterは、クリストファーの才能を感じ取り試験なしで入学させた。 Hutterはクリストファーに「ファンタスティック レアリズム」という第二次大戦後の20世紀に向ける50年代を描写したものを教え込んだ。
その間、テクノと出会ったクリストファーは(Unique 3 / Digicallity.)、 全ての絵画に関する道具を売り払い、909と303をすぐに購入した。 レコードショップで働きながら多くの人と出会った。 その中でPeter aka DJ Pureとは”Ilsa Gold“というユニットを組み、ライヴやレコードの リリースをした。 学校に行く事が少なくなってきたが (校長は私の事を諦めるようになった)、”UP”のリリースがセールストップになっていたので自分は気にする事はなかった。ドイツでのギグや セカンドマキシの”slike”のリリースがmaydayの出演につながる。その後 自身のレーベル”Sons of Lisa”も好評価を受ける。同時期にウエストバムは”raving society”を設立したが、Peterにとっては負担となり ライブパフォーマンスを共にやらなくなってしまった。その後”Cheap”, “Labworks”, “Pomelo and Test Tube”等からもリリースするようになる。