mixiで趣味の話をしよう

mixiコミュニティには270万を超える趣味コミュニティがあるよ
ログインもしくは登録をして同じ趣味の人と出会おう♪

開催終了ライブ当日ですが(汗)

詳細

2010年02月27日 12:59 更新



カイノナマエ現代詩ライブ
第74回
「(べつのしかたで)間島パルチザンの歌を読む」


出演 サイコポムプ(とはべつのしかたで



 02月27日(土)16時半〜17時半
        ¥1,000ドリンク付
       於  平和資料館・草の家
   高知市升形9-11 TEL.088-875-1275



↑とゆうコトで本日、五年弱ぶりのヨコタのワンマンで、槇村浩の『間島パルチザンの歌』を読むコトにしました。槇村浩は高知出身のプロレタリア詩人。治安維持法吹き荒れるあの時勢の活動家で、監房下での苛烈な拷問が祟って26歳の若さで亡くなったヒトです。


奇天烈けったいな改造手術になると思います。ぜひ観にいらしてください(^^;)。



槇村浩来歴(Wikipediaより)

 槇村 浩(まきむらこう 本名:吉田 豊道  1912年6月1日-1938年9月3日)は 高知県高知市生まれのプロレタリア詩人。
 1931年、日本プロレタリア作家同盟高知支部を作り、その後、槇村浩のペンネームで作家活動をした。反戦運動・労働運動にも参加し、反戦詩『間島パルチザンの歌』は代表作とされている。槇村の作品は朝鮮人民との連帯、植民地解放を訴え、日本兵士に中国軍兵士と共同して日本軍への反乱を呼びかけるなど、当時のプロレタリア文学においても例のない国際連帯の視点に貫かれていた。これらの活動のため政府の弾圧を受け、拷問と投獄により身体を壊し、1938年に病気で死去。享年26。
 没後、高知市在住の作家・土佐文雄の小説『人間の骨』(1966年)によって、その存在が知られるようになり、県民の顕彰運動の高まりの中で 木之下晃明監督により、その生涯が映画化された。『人間の骨 - 槇村浩物語』(1978年)
 2003年9月3日、槙村浩の墓碑(高知市平和町通称蛭ヶ谷)が修復され、墓前祭が行われた。2004年9月3日、平和資料館・草の家『槇村浩祭』での猪野睦の講演『アジアのなかの槙村浩』。2004年8月15日、韓国で韓国京仁放送が制作した槇村浩と『間島パルチザンの歌』を紹介するドキュメント『平和主義者の肖像』が放映されるなど、槇村は韓国で戦時中に植民地解放を訴えた日本人として評価されている。2008年9月6日、 高知市の高知城ホールで没後70周年記念集会が開かれ150人参加。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!
  • 2010年02月27日 (土)
  • 高知県
  • 2010年02月27日 (土) 締切
  • イベントに参加する
  • 気になる!
参加者
1人