mixiで趣味の話をしよう

mixiコミュニティには270万を超える趣味コミュニティがあるよ
ログインもしくは登録をして同じ趣味の人と出会おう♪

開催終了2008 雲仙市・観櫻火宴

詳細

2007年12月15日 12:32 更新

観櫻火宴(カンオウカエン)と読みます。
龍造寺隆信 VS 千々石大和守直員(キリシタン大名有馬晴信の一族)

天正10年、安土城の図面を持って、ローマへ赴いた天正遣欧少年使節。
その正使・千々石ミゲルが旅立つきっかけとなった戦いです。
参加希望者を募集しております。

因みに、祭りは、夜の松明武者行列がメインです。
行列の最中は、参加者の武者も、見学する観客の方も常に声を出しますので、
・・・元気になります。(のどはカラカラ)

よろしくお願いします。


― 日本一の松明武者行列 ―

第12回・観櫻火宴の開催日が決定!!!

日時:平成20年3月29日(土)
場所:メイン会場:長崎県雲仙市千々石町 橘公園・橘神社
松明武者行列スタートは、千々石海岸
HP観櫻火宴
http://www.geocities.jp/tachibanajinjyaseinenkai/

時は、天正5年(1577)12月。
龍造寺隆信率いる佐賀軍2万余が島原半島・神代に上陸した。
神代貴茂は龍造寺の軍門に降る。
龍造寺と有馬は多比良附近で激突!
三会、寺中城を陥すも深追いはせず、神代へ引き上げる。
しかし、有馬軍いまだ侮れず、ここで、龍造寺隆信はここで兵を二手に分け、
その一隊1万余の軍勢を千々石へと向かわせたのであった。
龍造寺軍は瑞穂、吾妻、愛野を侵攻、千々石へ迫ったのであった。
千々石の釜蓋城の城将は千々石大和守直員(ナオカズ)。 有馬氏の一族、若干25歳。
木戸、町田の2家老と共に龍造寺の軍を迎え撃つ。

千々石大和守直員
「龍造寺軍は、来年3月29日(土)に千々石へ来襲する。
千々石城(釜蓋城)は有馬の本領を護る西の最終防衛の地である。
ここを陥されれば、龍造寺軍は一気に有馬殿の本拠・日野江城へ向かうやもしれぬ。
我らの兵は少数なれど、なんとしてもこの地で、龍造寺軍をくい止めるのだ!
イヤサカーーーオオオオオオーーーー」  ×3


配役(・・・昨年のもの、今年はまだ未定)
 【有馬・千々石軍】
★城将・・千々石大和守直員
★千々石ミゲル(天正遣欧少年使節の正使)
★千々石大和守直員の妻(千々石ミゲルの母)
★家老・・木戸万九郎
★家老・・町田兵七郎
★武将・・千々石兵次郎、千々石兵四郎、千々石小三郎。
★武将・・千々石左京亮、千々石西彦七郎、他千々石一族の将。

【佐賀の龍造寺軍】
★大将・・龍造寺政家(龍造寺隆信の嫡男)
★副将・・鍋島直茂 
★武将・・鍋島信房
★武将・・龍造寺家盛
★武将・・空円
★鍋島七本槍、他。


>天正5年12月、釜蓋城(千々石城)落城〜


ルイス・フロイスの『日本史』によれば

「釜蓋城の初代の指揮官で城主だったのはドン・ミゲルの父親で・・・」

「 有馬晴信が龍造寺隆信のために、いかに追い詰められ窮地に立たされていたかを理解するには、有馬殿には小浜という城しか残されていなかったという事実を知らなければならない。それは隆信が高来の支配者になるために押さえていた二つの(高来への)入り口の一つである千々石城に向き合ったところにあって、貧弱、かつ防御設備がほとんどない城である。
 そこから(先)わずかのところに串山という別城があり、その地から加津佐までは二里の距離がある。そこから半(里)の口之津は、シナ(マカオ)の定航船が入る港の一つである。その先に日野江と呼ばれる有馬の城があるが、そこは有馬殿の居城で、口之津から二里(離れている)。 」

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!
  • 2008年03月29日 (土)
  • 長崎県 雲仙市千々石町
  • 2008年03月01日 (土) 締切
  • イベントに参加する
  • 気になる!
参加者
1人