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開催終了オキタさん招待します!2006 3 14 アインシュタインロマン ホワイトデイ記念 NPOブックス説明会

詳細

2006年03月14日 16:09 更新

オキタさん[POSi-MEDiA] 各位

ホワイトデイおめでとうございます.
本日は、20世紀の奇跡の天才 アルベルト・アインシュタイン博士の誕生日を祝して、

NPOブックス説明会 ライター・フォトグラファー・絵本作家・イラストレイターの方、
志望の人々の集いを行います。

日時 3月14日 19時より 第一部 21時まで 無料説明会
内容:NPOブックスの現状と展望 http://www.valuebook.jp 
「アースデイ環境出版大賞」 www.e-bookland.net/square/earthday/
現在募集中のライター・フォトグラファー・絵本作家・イラストレイターなどの職種について

21時より 順次 交流会 ホワイトデイ企画でキャンディのプレゼントあり 
一品持ち寄り もしくは 会費制で千円程度

当日連絡先:アインシュタイン博士の代理としては恐れ多いですが、不肖 同じ誕生日の
 木下拓己 1974314 生まれ 070-5578-4872

参加予定者:
白銀流吉報師(愛の伝道者)
古川千勝(さんが出版代表)
オキタリュウイチ(POSi-MEDiA コンセプター)
須賀 ミミ(画家だった故秋野卓美の源氏絵巻の娘 造形作家)
大脇準一郎 未来構想戦略フォーラム共同代表(詳細⇒http://www.wmiraiforum.com) 

ほか大物ゲスト予定
   

◇場所のご案内〜さんが出版◇

住所:東京都武蔵野市吉祥寺本町2-22-5 マミール2F  
TEL:0422-23-1718 FAX:0422-23-0607
地図:
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.42.0.938&el=139.34.41.504&fi=1

   西北西←―                    至新宿   
            ||            //      
           ||          //      
             ||        (JR線)
         (吉祥寺通り ) //    
             ||     //    
              ||    //
              || 吉祥寺駅 
     |←150m→ ||//    *
――――――――――//――――――*――(井の頭通り)―
―――■―――――//|――□―――――*―――――――
  ↑     //||    ↑         *
さんが出版 //   ||   丸井         (京王線) 
      //    ||                 *
   至三鷹      ||                  至渋谷


吉祥寺駅を南側に降り、井の頭通りに出て三鷹方面へ。吉祥寺通りとの交差点を越えて

JRのガードをくぐり、約150m先の横断歩道信号の左側、
「外国家電」という看板が出ているビルの2Fです。マハリシ研究所内。


★アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein、1879年3月14日 - 1955年4月18日、男性)は、
ドイツ出身の理論物理学者。相対性理論をはじめとする多くの業績のほか、
特異な風貌とユーモアあふれる言動によって、専門分野を超え世界中に広くその存在が認知されており、
しばしば天才の例としてひきあいに出される。
光量子仮説に基づく光電効果の理論的解明によって1921年のノーベル物理学賞を受賞。

従弟に音楽学者でモーツァルト研究者のアルフレート・アインシュタインがいる。


業績
1905年に特殊相対性理論を発表。ニュートン力学とマクスウェルの方程式を基礎とする物理学の体系を根本から再構成した。特殊相対性理論では、質量、長さ、同時性といった概念は、観測者のいる慣性系によって異なる相対的なものであり、唯一普遍なものは光速度cのみであるとした。

特殊相対性理論は重力場のない状態での慣性系を取り扱った理論であるが、1915年-1916年には、加速度運動と重力を取り込んだ一般相対性理論を発表した。一般相対性理論では重力場による時空の歪みをリーマン幾何学を用いて記述している。さらに後半生では、電磁気力や重力を統合した統一場理論を構築しようと心血を注いだが、失敗に終わっている。

一般相対性理論の解として、宇宙は膨張または収縮をしているという結論が得られる。アインシュタインは重力による影響を相殺するような宇宙項を場の方程式に導入することで、静的な宇宙が得られるようにした。しかし、エドウィン・ハッブルによって、宇宙の膨張が発見されたため、アインシュタインは宇宙項を撤回した。後にこれを「生涯最大の失敗」と述べている。しかし、宇宙望遠鏡による超新星の赤方偏移の観測結果などから、宇宙の膨張が加速しているという結論が得られており、この加速の要因として、宇宙項の存在が再び注目されている。

光量子仮説によって光電効果の理論的な説明付けを行うなど、初期量子論の確立に多大な貢献をしたが、量子が確率論的に振舞うとする量子力学自体については、アインシュタインは「神がサイコロを振るとは思えない」と懐疑的な立場をとった。アインシュタインの提示した反論の一つがアインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックスである。量子力学の矛盾点として提示されたものであったが、後に「量子テレポーテーション」として確認され、量子通信などの新たな技術の基礎として注目されている。

その他、ブラウン運動の理論の構築、固体における比熱の理論である「アインシュタインモデル」の提唱、ボース=アインシュタイン凝縮の予言など、物理学の全領域に渉り多大な業績をあげている。

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生涯
1879年ドイツのウルム市に生まれた。アメリカの俳優アルバート・ブルックスは本名Albert
Einsteinだが、血縁関係はない。
5才頃まであまり言葉を話さなかったと伝えられる。そのことが、彼の頭脳の働きを単なる記号的ではない、全体を把握する能力を養ったという意見もある。5歳のときに父親からもらった方位磁石が、自然界の仕組みに対する興味を持たすきっかけとなった。
11歳の時にピタゴラスの定理の存在を知り、その定理の美しい証明を寝るのも惜しまず考え、そして自力で定理を証明した。
12歳のときユークリッド幾何学の本をもらい、独学で微分と積分を学んでいる。
父親が事業に失敗したため、一家はイタリアに引っ越したがアインシュタインはミュンヘンのギムナジウムに残された。
1894年アインシュタインはドイツの軍国主義的な教育を嫌って(兵役を逃れるためにドイツ国籍を放棄していた)一家を追ってイタリアへやってきた。
アインシュタインはスイスのアーラウという町のギムナジウムに編入し、スイスのチューリッヒ連邦工科大学の入学試験に備えた。アーラウの学校の校風はある程度自由が保障されており、さらにこの学校は視覚教育に力を入れていた。言語に障害があったアインシュタインに、この視覚教育はよく合っていた。そして、昔培った視覚能力をそのアーラウでさらに高めた。それがのちの研究者としての人生に大きく関わる事になる。
チューリッヒ連邦工科大学に入学し、自由な気風とミレーバ・マリッチという女学生と出会う。チューリッヒ連邦工科大学は女性にも門戸を開いていた当時の数少ない大学のひとつであった。アインシュタインは自分の興味ある分野だけに熱中し、物理研究室での実験は最低の「1」、「電気技術」の研究では優秀な「6」の成績をとっている。
1900年にチューリッヒ連邦工科大学を卒業したが、大学の物理学部長ハインリッヒ=ウェーバーと不仲であったために、大学の助手になれなかった。臨時の代理教員や家庭教師のアルバイトで収入を得ていた。
1902年に友人のハンス・グロスマンの父親の口利きでベルンの、スイス特許局に3級技術専門職として就職した。年俸は3500スイス・フランであった。この頃、モーリス・ソロヴィーヌ、コンラット・ハビヒトらと「アカデミーオリンピア」を設立した。
1903年1月、アインシュタインは、ミレーバと結婚した。
1905年、博士号を取得すべく「特殊相対性理論」に関連する論文を書き上げ、大学に提出した。しかし内容が大学側に受け入れられなかったため、急遽代わりに「分子の大きさの新しい決定法」という論文を提出し、受理されている。この論文は「ブラウン運動の理論」に発展した。この年は「奇跡の年」として知られている。アインシュタインは「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」に関連する5つの重要な論文を立て続けに発表したのである。無名の特許局員が提唱した「特殊相対性理論」は当初、周囲の理解を得られなかったが、マックス・プランクの支持を得たことにより、次第に物理学界に受け入れられるようになった。
1907年、有名な式E=mc2を発表している。この年には、箱の中の観測者は、自らにかかる力が慣性力なのか重力なのか区別ができないという、後の一般相対論の基礎となるアイディア(等価原理)を思いつく。アインシュタインはこれを、生涯最良の名案であると述べている。
1909年、チューリッヒ大学の教授となった。
1916年に一般相対性理論を発表。1919年の日食において、太陽の重力場で光が曲げられることがエディントンによって観測により確認され、一般相対性理論は物理学理論としての不動の地位を得た。同年ミレーバと離婚し、いとこのエルザ・レーベンタールと再婚する。
1921年にはノーベル物理学賞を受賞。受賞理由は光電効果の発見によるものであった。

1922年に来日。神戸港に上陸した11月17日から門司港を発った12月29日まで43日間の滞在。 滞在中全国各地で講演を行う。日本の出版社改造社の招待とされる(金子務
『アインシュタイン・ショック』岩波現代文庫)。
1925年、インドの物理学者サティエンドラ・ボースからの手紙をきっかけとして、ボース=アインシュタイン凝縮の存在を予言する論文を発表。また、この時期に行っていた誘導放出の研究が、後のレーザーの開発につながっている。
1932年、ナチス・ドイツの台頭に伴い、日増しに激しくなってきたユダヤ人への迫害から逃れるため、アメリカ合衆国に亡命。翌年新設されたプリンストン高等学術研究所に教授職を得る。
1952年、イスラエル政府はアインシュタインに対し、第2代大統領への就任を要請したが、辞退している。
1955年、哲学者バートランド・ラッセルらと共に世界各国に核兵器の廃絶を呼びかけるラッセル=アインシュタイン宣言を発表。同年、腹部動脈瘤破裂によって死亡した。
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平和活動
科学的業績によって得た世界的名声を背景に、アインシュタインは様々な政治的発言を行っている。第一次世界大戦中は平和主義を掲げ、戦争を公然と批判した。また、ユダヤ人である彼は、ユダヤ人国家建設運動であるシオニズムを支援した。このためナチス・ドイツから迫害を受け、アメリカに亡命している。

ドイツの原子爆弾開発を恐れたアインシュタインはレオ・シラードの勧めにより、当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトに、原子爆弾の開発を促す書簡に署名をする。これを契機に核爆弾を開発する国家プロジェクト「マンハッタン計画」が始まることになる。しかしアインシュタインは原子爆弾の製造に関与することは無かった(日本では、アインシュタインが原子爆弾の発明者と思い込んでいる者が多いがこれは誤解である。アインシュタインが原子爆弾の開発と製造を促すように働き掛けた事は事実だが、原子爆弾製造に関しては一切関与していない)。その後、世界連邦の樹立を提唱するなど、多くの平和的言動を残した。

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人物像
バイオリンの演奏を好んだ。しかしピアニストで友人のアルトゥール・シュナーベルとアンサンブルを行った際、何度も拍の勘定を間違えるため、シュナーベルから「君は数も数えられないのか」と呆れられたという。
睡眠時間は1日10時間と言われている。
菜食主義者(ベジタリアン)であった。
生活には無頓着で、非常に面倒くさがりであったとされる。洗濯用石鹸で顔を洗い、雑巾で顔を拭い、灰皿に食事を盛り付けると云う常識外れの行動もあった様である。
最初の妻だったミレーバとの間に息子が二人。長男のハンスはカリフォルニア大学バークレー校で流体力学関係の教授を勤めた。二男のエドゥアルトは医学生時代に統合失調症を発し、生涯回復せず、精神病院で亡くなった。
アインシュタインが舌を出している最も有名な写真は、アインシュタインが72歳の誕生日に、新聞記者の「笑ってください」というリクエストに応えてした表情を撮ったものである。
アインシュタインは小学生のようにスペルを間違えることがままあったという。
彼は手紙好きであり、有名になってからも一万通以上も手紙をやり取りしていたらしい。

大きな鼻・ボサボサの白髪頭に口髭と云う個性的な風貌は非常に印象的であり、日本の漫画やアニメに出て来る『博士』の風貌は、何故かアインシュタインの姿を真似ている事が多い。アインシュタインが如何に有名な物理学者であるかと言う事の証明である。
一般に左利きだと言われているが矯正したと言う事実はなく、彼自身、ペンや万年筆は右で持った(参考:「アインシュタインは語る」)。

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