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開催終了本質と人格

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2009年10月29日 20:05 更新

 グルジュフ・ワーク
 生涯と思想より〜
 
 人間の本質と人格のついて書かれていて
 なかなか分かりやすく説明されているので抜粋してみた。 

 

 彼によれば、人は必ず一つの本質的な性質を持って生まれるという。
 この本質は(タブラ・ラサ)すなわち空白もしくは無定形ではない。
 しかし、そこには生の体験がその影響を刻印づける空白の部分が含まれてい  る。
 本質はその誕生時の恒星や惑星の位置によってすでに色づけられてはいるもの のそれ自身、固有の傾向と素質を具えた真の個性である。
 
 そして、それが抑圧されることがなければ、やがて自己意識を持った大人へと 成長するのである。この過程の中で、古いスーフィーの寓話に登場するダート 王子のように、われわれは昏睡の淵に沈みこんだも同然である。つまりこれは 通常の覚醒状態のことに他ならず、人は自分の由来と使命を忘れ去るのであ  る。

 幼い子供の立ち居振る舞いは、彼の存在の真実が反映されている。
 幼な子はまだ狡猾ではない。いわば、誠実に生きている。
 だが、社会で生活するにつれて人格の形成が始まる。
 子供は自分の振る舞いを文化的な行動規範に合ったものに直すことを覚える。
 この学習は意図的な訓練、あるいは模倣への自然な性向から生ずる。
 長期間わたる社会への依存(下等動物に見られる本能的な規制力の欠如)の当 然の結果としてわれわれは、一連の習慣、役割、趣味、嗜好 概念、先入観、 偏見、欲望、欠乏感等々を身につける。
 すべてこれらは、家庭環境や文化的環境を反映しているが、必ずしも生まれつ きの傾向や素質を反映しているわけではない。こうして(人格)が形成され  る。
 
 ある匿名の作家がこの状況をするどく表現している。

 
 いったいどうして自己を失ったりしてしまうのだろうか。
 幼少の頃にある秘められた精神的な死とともに知られざる思いもよらない裏切 りが始まる。
 それは、彼をこの単なる魂の殺害者たるにはとどめない完全な二重の罪なの  だ。
 その自己にかかわってちっぽけな自己が除々に知らぬまに頭をもたげてくるよ うになる。(彼)はそのままでは承認を得られなかったのだ。
 人々は彼が好きだ。だが彼らは彼がもっと違った彼であることを望み期待し、 強いる。だからこそ彼は受け容れるの値しないということにならざるを得ない のである。
 彼自身それを信じるようになり、ついにはそれを当然だと見なすようになる。
 彼は真実、自己を放棄してしまったのだ。もう、こうなってからでは彼が人の 言うことに、従うかどうか、執着するのかどうか、それに反抗するのか、ある いは引き下がるのかなどは問題外になる。
 彼の行為、振る舞いだけが問題のすべてとなってしまう。
 たとえ彼がそのことに気が付いたとしても、それはあたりまえのことだと考え るだろう。こうして何もかもが全くの真実のように立ち現れる。それによって 何もかもが目に触れることもなくなり、機械的になり、無名のものとなってし まうのだ。
 これは全くの矛盾というものだ。何もかもが正常に見える。いかなる犯罪も企 まれなかった。死体も残されておらず、それゆえ罪はない。
 いつものように太陽が昇り、そして沈む。われわれに見えるのはそれだけだ。
 でも、一体何がどうしたのだろう。(彼)は人々によってばかりか彼自身によ ってさえ拒まれたのだ。(だから実際の彼にはもう自己がない)
 彼の失ったものとは一体何なのだろう。
 
 それは彼自身の真実も部分、命そのものに他ならない。
 つまり、彼自身の肯定感情なのだ。ああ、なのに彼は死んではいない。
 (生活)は続いているし、だから彼も生きざるを得ない。ともかく彼の自己放 棄の瞬間から、その度合いに応じて、全く無意識のうちに彼がこねあげ、そし て維持しようとしているのは一つの偽ー自分なのである、だが、こんなのは、 方便もいい所だ。願望も持たない自己な んて。ともあれそれは(彼)蔑まれるところで愛され(あるいは恐れられ)るだろうし、(彼)が弱体な時には強いだろう。そして、それは、喜びのためでも楽しみのためでもなく、ただ生き残るために活動を続けていくだろう。(しかしそれはまさに諷刺画だ。)
 しかもそれが動きたいと思うからではなく、ただただ服従しなければならない という理由からである。
 こんな必然など生活ではないし、ましてや(彼)の生活ではない。
 そんなものは死に対する防衛機構である。しかもそれは死の機械でもあるのだ その瞬間から、彼は強制的な(無意識な)葛藤によって散りじりに分断され、 麻痺させられてしまう。
 一瞬ごとに、彼の存在、彼の統一性は抹殺されていく。
 なのに、彼が知ったのは、われわれは偽ー自己、自己の体系を求めるために、 あるいはそれをふせぐために神経質になるのだ。
 つまり、われわれは、自己欠如の度合いに応じて神経症なのである。

 上記引用なので、誤字、脱字あるかも。
 
 これを、読むといかに自分が現代社会に適合すべく努力する反面、そこでの評 価を気にするあまり、本来の自分らしさを失って、その評価を自分だと思い込 み、最後には他人の価値基準で自分をがんじがらめにしてしまう。挙句、自分 を放棄してしまう恐ろしさに気が付く。
 私がこの本に出会ったとき、自分を他人の眼からの評価がすべてだと思い込ん でいて、本来の自分を置き去りにしてきた自分を改めて知った。
 そして、その価値基準に随分と長い間苦しむことになる。
 今一度、本来の自分に立ち戻って、改めて自身を見直したいと思う。
 もっと、自身の内なる声に正直に耳を傾けることを忘れずに。
 日々のあわただしさのせいにしたりしないで。
 自分の時間を持とうと思う。
 
 ご参考まで。

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