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開催終了「命のビザ」ユダヤ人六千人を救った実話が舞台化されます。

詳細

2007年09月29日 11:36 更新

みなさん、杉原千畝(すぎはら ちうね)さんってご存知?
6000人のユダヤ人をホロコーストから救った実在の人物です。

「ユダヤ人大富豪の教え」でも一部触れられているエピソード「命のビザ」の実話が、もうすぐ舞台化されることになりました。

HPを見てあまりにも感動したので、みんなにもご紹介します。
よかったら見てみてください。


詳細 http://www.1chiune.info/
申込 http://www.1chiune.info/kouen20071006.html


【ストーリー】

1939年8月、
フィンランドの公使代理を務めていた千畝のところへ、リトアニアのカウナスへの転勤命令が届いた。
妻と幼い三人の子供を伴い、運命の地カウナスに千畝は到着した。

赴任しておよそ1年たった1940年7月18日。
千畝は見た。日本領事館の前に集まった群衆の目を。

彼らは、ナチスに追われ、隣国ポーランドから命がけで逃げてきたユダヤ人であった。
ナチスによるユダヤ人への残虐な迫害はすでに始まっていたのだ。

ヨーロッパのどこにも逃げ場のない彼らの要求は、日本を通過して国外へ脱出するための通過ビザの発給であった。

群集は、百人、二百人、どんどんと膨れ上がっていく。

これだけの人数にビザを出すことは、千畝の一存では決めることが出来ない。
「このままではこの人たちは殺されてしまう!何とか助けられないのか」
千畝は、悩みに悩んだ。

東京の外務省に問い合わせても、ビザの発給は許可されないだろう。
国に逆らえば、職を追われるかもしれない。
それどころか、ナチスに、命を狙われる可能性だってある。

自分だけではない。妻や、幼い子供たちも。

だが、目の前の人々を見殺しにすることなんて出来ない!
悩みぬいた末、千畝は東京の外務省にビザ発給の是非を問う電報を打った。

しかし、
「通過ビザと言えども発給あいならぬ」
これが答えだった。

当時の日本は、日独伊三国同盟締結への道をまっしぐらに進んでいるという状況であり、友好国ドイツに敵対する行為を許可出来ない事情もあった。

「もう一度だけ電報を打とう」

諦めることが出来ずに、こちらの緊迫した状況を訴えた。
ジリジリしながら返事を待っていた千畝が、ふと外のユダヤ人たちを眺めると、痩せこけた小さな子供が、父親に手を引かれじっとこちらを見ている。

その子供が突然倒れた。

その子供と自分の子供が重なった。
「あの子もこの子も同じ子供。あの子を見殺しになんか出来ない!」
漸く届いた本省からの返答は
「否」
であった。

千畝の心は決まった。
「もう、私一人でやるしかないのだ」

その日から、昼食さえも省き、千畝は、朝から晩までビザを書き続けた。
リトアニアが、ソ連に併合されたため、領事館をたたんで退去するよう命令が出ていた。
しかし、後から後から雪崩れ込むように押し寄せるユダヤ人たち!

ソ連の退去命令も、外務省の退去命令も無視し、ひたすら書き続けた千畝だったが、ついに本省から最後通告が届いた。
千畝は、後ろ髪ひかれる思いで、領事館を後にした。

「一枚でも多く発給したい!」

滞在先のホテルでも書き続けた千畝だったが、とうとう最後の時はやってきた。
国境が封鎖される前に、ベルリンへ向かわなければならなかった。

1940年9月5日早朝、カウナス駅。発車ベルが鳴り響く中、千畝は書き続けていた。

汽車が走り出し、車窓から最後の一枚を渡し、千畝は叫んだ。
「許してください! 私にはもう書けない!」

千畝を見送るユダヤ人たちが、口々に千畝に感謝の言葉を叫ぶ。
ビザを受け取れた人も受け取れなかった人も。

「私たちはあなたを忘れない。
いつか必ず、もう一度お会いします!」

1941(昭和十六)年日本はハワイの真珠湾を攻撃、米英に宣戦布告。

1945年8月15日に敗戦を迎える。

その後、千畝一家は、収容所生活を余儀なくされ、漸く1947年に帰国、日本の土を踏みしめた。

「君のポストはもうないんです。退職していただきたい。」
帰国後のある日、千畝は外務省に呼び出され、こう告げられた。

「例の件で責任を問われている。省としても庇いきれない」
今までビザ発給に関する咎めを受けたことはなかったのに、今になって何故?
 これから外交官として本領を発揮し、国に貢献できるはずだったのに。
千畝は、無念の想いを抱え静かに外務省を去っていった。

「ミスター・スギハラ、これを覚えていますか?」その人はそう言うと、もうボロボロになってしまったビザを見せてくれました。

1968年、千畝は、実に28年ぶりに、あの時ビザを渡したユダヤ人と再会したのだった。

千畝はそれ以降、ビザを手にして、生き延びることの出来たユダヤの人々に会うことが出来た。

「もう一度お会いします」の約束の通りに。

生き延びた人たちが子供を産み、またその人たちが子供を産み、何万という人達が、元気に暮らしている。

その事実を目の当たりにした千畝は、自分があの時下した決断に、間違いはなかったのだと、安らかな笑顔を浮かべた。


詳細 http://www.1chiune.info/
申込 http://www.1chiune.info/kouen20071006.html

コメント(1)

  • [1] mixiユーザー

    2007年09月29日 11:49

    YouTubeで、杉原さんが紹介されてる海外の番組を見つけました。

    http://jp.youtube.com/watch?v=YjU4fHCOVAY
    「A JAPANESE HOLOCAUST RESCUER」
mixiユーザー
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