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開催終了SEEDS Tokyo Impact 6th 紫陽花

詳細

2006年06月19日 00:30 更新

和風アートのパフォーマンスイベントです。
興味ある方は是非。連絡を
次回は、6月24日青山骨董通りeverで
今回は、舞踏・木版画ライブ・現代画ライブ・三味線
ブログhttp://kw.cocolog-nifty.com/seedstokyoimpact/
ページhttp://shokido.jp/seeds/new/main.html
■■SEEDS Tokyo Impact 6th 紫陽花■■

コメント(3)

  • [1] mixiユーザー

    2006年06月22日 09:28

    参加アーティストの方の紹介です。木版画アーティストのこんどうあやさんです。当日は、ライブカービングをします。


    こんどうあやはパンクか?

    パンクとは何か?衝動の具現化であろう。ならば、こんどうあやは、パンクアーティストである。しかも、「やり抜くこと」を信条にしている彼女は、一方、「自分を知る」ことを知る、社会性を持ったパンクである。アートと社会性の関係については別述に譲るが、SEEDSの目指すアートは、社会性を持ったモノに限ることにしている。世の中へのメッセージを持っているなら、アートへの衝動と社会性の両立は、メッセージの必要条件である。

    ベンチャービジネスにおいても、初期衝動の持続、社会性の保持が、成功への方程式である。それは、アートの世界でも同じなことを、こんどうあやは感じさせてくれる。
    偶々通りがかった新宿ビームスギャラリーで、版画を刷っている彼女は、ビームスというちょっとブルジョア的な空間に潜むパンク衝動を体現していた。

    絵、版画を鑑賞することはブルジョア的な楽しみであるが、実際に製作する過程は、パンクである。感性の鋭いアーティストであればあるほど、自らの想像性を外部に委託し、自らを表現のパイプとして位置づける。こんどうあやが、ビームスの空間から吸い上げていたパンクな感性、多様な人種が集まるSEEDSという場では、どんな衝動を感じてくれるのか楽しみである。
    パティー・スミスは言った「ジーザスは死んだ」と。しかし、こんどうあやが刀で刻んだジーザスは生き続ける。

    1.今回、”SEEDS Tokyo Impact-紫陽花"に参加されるにあたり抱負を

    前回よりより遊びに来てくださるお客様とコミュニケーションを図りながらオールのテンションをアゲアゲにしたいと思います。

    2.紫陽花をモチーフ、テーマで、今回の参加をお願いして いるのですが、当日パフォーマンスで考えていることのヒントをください。

      グラディフィカル、バット、トラディショナル。

    3.今回のパフォーマンスで、一番伝えたいことは何でしょうか??

    意外にクールッしょ?木版画。

    4.彼方にとって、アートととは何でしょうか?

    人々個人個人の生きる力に希望を与えるもの。魂のエーテルに作用するクスリ。

    5.ご自身のアート、パフォーマンスについて、一番影響を受けたモノはなんですか?

    パティ−スミス

    6.1年後の自分が、今回のパフォーマンスを見たら何と声をかけるでしょうか?

    がんばってるねえ。まずはやりぬけよ。


    7.日本の若者に一言!

    ますは自分を知ること。そして自分を生き抜くために戦うこと 、楽しむ気持ちももってね
  • [2] mixiユーザー

    2006年06月22日 11:03

     この間、人生で始めて自分に花を買いました。

    それは、アジサイ。小学校のとき大好きで梅雨時期が待ちどうしかった。
     
     そんな私がこの間Deliでアジサイを見たとき「買うべし」っと思ったのはなぜなんだか・・・分からない。

     でも、アジサイとヒマワリほど懐かしいって思う花は無いと思う。
  • [3] mixiユーザー

    2006年06月22日 18:48


    http://kw.cocolog-nifty.com/seedstokyoimpact/

    参加アーティストの方の紹介です。

    SEEDSバトン第4弾は、伊藤虹さん です。
    複雑系、フラット化と舞踏

    人間は、頭に頼りすぎている。優れた頭脳で、精緻に作られた事業計画も、地震、台風で台無しになってしまうことは、現在もよくある。だからといって、直せばいいみたいなことは、厳島神社や伊勢神宮くらいしか許されるはずもなく、いい加減な計画は、”良い加減”な計画と取られることは稀で、行き当たりばったりな”いい加減”な計画として、現代社会では相手にされない。一方、東京での生活で、環境破壊、温暖化という言葉を認識しても、自然を大切にする、畏怖する、尊敬するということを感じ、表現することはオシャレでなく、クールでない。しかし、実感はなくても、人間社会が自然に生かされている事実は変わらない。そこで、舞踏の体感で、頭脳を解放し、バランスを保つのが賢い選択である。

    舞踏は、人間の自然な表現である。言葉ではないコミュニケーション、また、涙、笑いよりも深い表現である。危険なもの、嬉しい衝動への反射的な行動は、頭脳が生み出す反応ではない。体の細胞すべてで反応する表現である。ロジックな反応ではなく、人間の力=頭脳では、コントロールできないものへの反応、表現である。自然なものに対する、自然な反応である。プリミティブな人々は、人智を超えた現象を神として、ロジックの最高位に据えた。舞踏はロジックではない、つまり、自然への畏怖を人間が頭を通さないで表現するアートである。

    伊藤虹の舞は、フラット化する現代社会の反映である。昨今は、中央集権体制な組織、国家ではなく、分権、フラット化が流行である。トルシエJAPANよりもジーコJAPAN、イラク軍ではなくアルカイーダなのである。実際に、インターネットの影響で情報の流れは、国家、企業が一方的に発信するものでなく、顧客同士のインタラクションが増加し、予期せぬ事象が増加している。リアルな反射的な反応が頭脳を通さないのと同様に、複雑系といわれるこの予期せぬ出来事に対処するには、フラットな組織、現場の意思決定の方がスピードが早い。頭脳が作り上げたバーチャル空間に、無数の人智の結晶としての、”自然”現象が発生している。そこで、伊藤虹の舞である。舞踏は、体全体の細胞の反応である。個としての人間のフラット化した状態の表現だ。伊藤虹の舞に触れると、自然の畏怖と現代社会に必要な体の動きを感じ取ることができる。

    1.”SEEDS Tokyo Impact-紫陽花"への抱負を
     体当たり

    2.当日パフォーマンスで考えていることのヒントをください。
    青色。夜明けの空の濃い青色ですね。ブログ”紫陽花の源流”に神に捧げるとありました。うんうん、そんな色。

    3.今回のパフォーマンスで、一番伝えたいことは何でしょうか??
    ことばにはできないこと。

    4.彼方にとって、アートとは何でしょうか?
    これなくしては生きられない。そういうものかな。

    5.ご自身のパフォーマンスについて、一番影響を受けたモノはなんですか?
    大野一雄氏。”生と死のはざまを歩く”なんてよく話しておられました。そしてもうひとり、いだきしんの即興ピアノ。

    6.1年後の自分が、今回のパフォーマンスを見たら何と声をかけるでしょうか?
    1年後の自分が全然わからない。

    7.日本の若者に一言!
    ぜひ、SEEDSTokyoImpact 6th "紫陽花"にいらしてください。
    すべてはそこで!
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