機材も増えたその後は、First Choise "Let No Man Put Asunder", The O'Jays "Bad Luck", James Brown "Body Heat"といった曲のニューミックスをプロデュースし、シカゴエリアのDJから絶大な支持を得る。 Frankie Knuckles, Ron Hardy, DJ Pierre、そしてLil' LouisといったシカゴのDJ/プロデューサーが手がけ、プレイした音楽がその後ハウスミュージックと呼ばれ、世界中で知られる様になったのもこの頃である。
わずか2週間の制作期間で作られたアルバム"From the Mind of Lil' Louis"も100万枚のセールスを記録しハウスミュージックのアーティストとして頂点を極める。その後、ロンドンへの移住期間を経て、NYに移り住んだ彼がNYという街にインスピレーションを得て制作された2ndアルバム" Journey With the Lonely"により彼の名前はハウスミュージック界ではもはや永遠となる。
その後はBaby Face "This Is for the Cool in You", Me'shell Ndege'Ocello "If That's Your Boyfriend", Donna Summer"Melody Of Love", Groove Theory "Tell Me", Jay-Z "Ain't No Nigga"等のコラボレーションを経て、1996年にはBlack Magic名義で"Freedom"の大ヒットを送り出す。 その後、健康上の理由に因る3年半のブランクを経てKing Street/Nite GroovesからKOF "Stormy Black" ,Carlton "In Love/What's So Funny", Rain "Give It Up"そして、Kimara Lovelaceの"Misery"をリリース。 2001年には彼自身の27年間のDJ活動を統括した初のMix CDであるMix the Vibe:Lil' Louis (27 Years in the Mix)がKing Street Soundsからリリースされ、大ヒットを記録している。
2004年12月の"Last Dance" ツアーを最後にDJを引退した天才Lil' Louis。 アルバム"Two Sides to Every Story"、そして自身初の著書"a Man's Diary"のリリースを記念して、実に5年振りに再始動する。
Lil' Louisが感謝の念を表わしている人々: 神(全てにおいて)、母と父、Jazzy、今まで僕を駄目だと言ってくれた人達、今まで僕は出来ると言ってくれた人達、僕の音楽でダンスしてくれた人達、僕の音楽を聴いてくれた人達、僕に愛を示してくれた全ての女性、僕の世界を広げてくれた人達全て、僕と音楽で繋がっているファミリー(DJ、アーティスト、ミュージシャン)、そして僕を広い世界へと連れ出してくれた音楽そのものに。 Music Saved My Life!