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開催終了坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡 建碑 除幕式の御案内

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2009年09月03日 16:37 更新

坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡 建碑 除幕式の御案内

この度 皆様方のご協力により下記の場所に石碑を建立することになりました。除幕式を以下の通り開催いたしますので御参加賜りますようご案内申し上げます。

除幕式日時:平成21年9月6日(日) 午前11:30
場所:京都市東山区三条通白川橋東入五軒町 東山ユースホステル前
主催:特定非営利活動法人 京都龍馬会
監修:中村武生 先生
碑文:坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡
   此付近 青蓮院塔頭金蔵寺跡

解説文:
当地は青蓮院の旧境内で、その塔頭金蔵寺跡です。
 元治元年(1864)8月初旬、当地本堂で、坂本龍馬と妻お龍(鞆)は「内祝言」、すなわち内々の結婚式をしました。
 龍馬とお龍(鞆)の出会いや「内祝言」の具体については、1889年(明治32)ごろに聴きとられた、彼女の回想に詳しい。お龍(鞆)は1906年まで生きていました。
 一般には、慶応2年(1866)1月の伏見寺田屋遭難のあと、西郷隆盛(あるいは中岡慎太郎など)の媒酌で二人は夫婦の契りを結んだようにいわれます。が、この話は根拠が薄く、他の史料との検討からお龍(鞆)の話こそ信用すべきだと思われます。
 この地が選ばれたのは、お龍(鞆)の亡父楢崎将作が青蓮院宮に仕えた医師であったためでしょう。その縁により金蔵寺住職智息院が仲人をつとめました。
当時は池田屋事件(6月)や禁門の変(7月)のおきたあとで、京都は物情騒然でした。しばらくして龍馬は、薩摩島津家から望まれ、対立した長州毛利家との和解に奔走します。龍馬は新婚生活を楽しむいとまもなく、お龍(鞆)を寺田屋などに託します。二人はながく別居夫婦だったのです。
当地を京都における龍馬とお龍(鞆)の重要史蹟として、ここに建碑します。
歴史地理研究者 中村武生

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  • 2009年09月06日 (日) 日
  • 京都府 京都市東山区三条通白川橋東入五軒町 東山ユースホステル前
  • 2009年09月06日 (日) 締切
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参加者
1人