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開催終了講演会 星供の本尊について

詳細

2009年09月23日 09:05 更新

演題 星供の本尊について
日時 10月6日(火)17:30から
講師 辻 雅榮僧正(元高野山霊宝館学芸員、高野山真言宗宝泉寺住職)

昨年から宿曜道の講習を始めました。本年は人の運勢の吉凶と深いかかわりがある、星まつりの本尊について、詳しく講義いただきます。
講師の辻僧正は学芸員として博学ではありますが、真言行者としても、毎日不動護摩を焚かれ、八千枚護摩供を何度も修される現代の真言行者であります。
実修の真言行者の方には、興味深い話が伺えるかもしれません。
参加希望の方がありましたら、一度メールをくださいませ。
詳しい要綱をお知らせいたします。

宿曜道とは?
その内容は、インド占星術(ギリシャ由来の西洋占星術とインド古来の月占星術が習合し独自に発展したもの)、道教由来の天体神信仰、陰陽五行説等が習合した雑多なものである。 基本的に、北斗七星・九曜・十二宮・二十七宿または二十八宿などの天体の動きや七曜の曜日の巡りによってその直日を定め、それが凶であった場合は、その星の神々を祀る事によって運勢を好転させようとする。
そのために、空海・円仁・円珍らが『宿曜経』を日本に請来し、仁観が深く研究した。957年(天徳元年)、日延が呉越より符天暦を持ち帰ったことによりその研究が盛んになり、法蔵が応和元年(963年)に時の村上天皇の御本命供の期日を巡って陰陽道の賀茂保憲と論争を行っており、この時期に日本の宿曜道が確立したと見られている。なお、『二中歴』では法蔵をもって日本の宿曜道の祖としている。こうした経緯から宿曜師は密教僧である例が多く、誕生月日などを元にして星占いを行ってその結果を記した「宿曜勘文」を作成したり、長徳元年(995年)には、興福寺の仁宗に対して暦道と共同で暦を作成するようにという「造暦宣旨」が下されている(興福寺は法相宗であるが、この時代には真言宗との関係も強かったとされる)。ただし、長暦2年(1038年)に暦道と宿曜道との全面対立により宿曜道側が造暦から撤退しているが、以後も日食・月食の発生日時や大月・小月や閏月を巡って暦道と激しく争った。また、宿曜勘文などや星供・祭供などの祈祷の奉仕を通じて権力者と結びついて、法隆寺や西大寺などの別当に任命される者もいた。平安時代後期には能算・明算父子が活躍して白河天皇や摂関家に仕え、続く平安時代末期には天台宗の流れを汲む珍賀と興福寺及び真言宗の流れを汲む慶算という2名の優れた宿曜師が出現して互いに技術を磨きながら権力者と連携して勢力を争い、一族・門人によって流派が形成される程であった。だが、南北朝時代以後の貴族社会の衰退とともに宿曜道も没落の道を辿り、長寛3年(1165年)に珍賀が創建して宿曜道の拠点となった北斗降臨院が応永24年(1417年)に焼失すると、以後歴史から姿を消すこととなる。

『源氏物語』桐壺にも、主人公・光源氏が誕生した際、宿曜師にその運命を占わせる場面が出てくる。

コメント(1)

  • [1] mixiユーザー

    2009年10月08日 23:26

    中院流の星曼荼羅を中心にお話いただきました。約40名の参加がありました。映像とスライドを駆使した講義でした。
    終了後には宴席を設け親しく歓談いたしました。
mixiユーザー
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  • 2009年10月06日 (火)
  • 兵庫県 宝塚市
  • 2009年10月06日 (火) 締切
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参加者
1人