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開催終了10/24 ジョナス・メカス来日インスタレーション!! 大野一雄トリビュート〜リーラの遊びのなかで

詳細

2006年10月22日 20:39 更新

告知失礼します!!
ヴィルジニ‐・マルシャン、ジョナス・メカスらによって繋ぎだされる
大野一雄の世界!!数少ないチャンスです!!
お見逃し無く!

10/24 リーラの遊びのなかで
Virginie Marchand's tribute to Kazuo Ohno
〜大野一雄トリビュート〜

OPEN 19:00 / 1500YEN
@西麻布SuperDeluxe(www.super-deluxe.com)
東京都港区西麻布3-1-25B1F

ブエノスアイレスでの公演は、大野一雄とアントニア・メルセへのオマージュでし
た。これは、何台かのビデオ、2人のDJ、それにジョナス・メカスとゾルタン・オー
ヴィユという2人のカメラマンで構成するひとつのインスタレーションで、この2人
のカメラマンがダンスの肉体への絡みを追ってその細部を正確に映し出しました。

このインスタレ-ションは東京でも同じ方法で構想されると思いますが、新しいビ
デオの映像とサウンドを使い、エネルギーも新しくなるでしょう。

--ヴィルジニ‐・マルシャン

クレジット

ヴィルジニ‐・マルシャン:インスタレーション+パフォーマンスの構想
ジョナス・メカス:カメラ
ゾルタン・オウヴィユ:カメラ
ロバート・ウエドル:スクリーン上のピアニスト
トミー・ロジャーズ:詩人+音楽演奏家
ジェイ・パスカル・グレコ+DJテイーM:DJ
ジ-ベト:VJ
アグスタン・シャン:インスタレーションのコーデイネイター
 

 20世紀後半に日本で台頭した一連の舞踏家たちのうちで最もよく知られ、影響力
を持ったパフォーマーは大野一雄である。
 1977年、10年間の沈黙を破り、大野は独自の舞踏様式をもって復帰した。
 ”ラ・アルヘンチーナを讃えて”と彼が名付けた様式である。この名称について訊
ねられた大野は、その理由をこう説明した。
 「23才の時、東京で”ラ・アルヘンチーナ”のダンスを見て以来その虜になり、
それでダンサーになる決意をしたからです」
 アルヘンチーナとは、有名なアルゼンチンのダンサー、アントニア・メルセのステ
ージネームだった。
 
 2005年の秋、映画作家で舞踏ダンサーのヴィルジニー・マルシャンは、長篇の
フィクション映画「てんかん症のオペラ舞踏(Epileptic Opera Butoh)」のシーン撮
影のためと、彼女自身の幼年時代ともう一度つながるために、訪日した。彼女は5才
まで日本で育った。映画作家のジョナス・メカスが2人のカメラマンの1人として同
行した。もう1人はゾルタン・オヴィ‐ユである。訪日のもうひとつの理由は、この
映画のために大野一雄がヴィルジニーと踊ることを承諾したことだった。
 ヴィルジニー・マルシャンと大野一雄のダンスによる交歓が初めて実現したのは、
10月27日。大野の99才の誕生日だった。2人の出会いもダンスもきわめて自然
で感動的なものだった。2人のダンサーはたちまち舞踏言語でコミュニケートしあい
、その後、11月中に2度、それぞれ3時間以上も通しでダンスのセッションをおこ
なった。2人のダンサーの間にはみごとな関係が築かれた。若さと老いとが、芸術だ
けに可能な、美しくて崇高な愛に満ちた方法で出会い、舞踏によってつながった。

 チリ独立ブエノスアイレス国際フェステイバルで初めてのインスタレーション/パ
フォーマンスは、ヴィルジニー・マルシャンにより、「愛の捧げもの/舞踏と大野一
雄とラ・アルヘンチーナへのラブレター」として構想された。
 インスタレーションは、大野とマルシャンのダンスを撮影したシーンで構成された
。ヴィルジニー・マルシャンによるインスタレーションと並行して彼女のライブ・パ
フォーマンスもおこなわれた。ジョナス・メカスとゾルトン・オヴィーユがそのライ
ブを撮影し、その映像がVJを通してつながり、同じパフォーマンス中に投映された。
 これは、世界初公開のインスタレーション/パフォーマンスであり、ヴィルジニー
・マルシャンの舞踏ダンサーとしての初舞台だった。

東京公演予定の自作の演目『リーラの遊びのなかで』(IN THE PLAY OF LEELA)
にについてのヴィルジニー・マルシャンのコメント

 自分の育った町を探し、それを撮影するために、昨年日本に戻って来ました。大野
一雄とは、彼の99才の誕生日に会い、彼の家でいっしょに踊りました。ふたりとも
このときのダンスにあまりにも感動したので、もう2晩踊ることにしました。
 わたしたちのダンスには、メーキャップもコスチュームも必要ありませんでした。
すべてはそろっていました。光あふれる命、血や呼吸や睫毛のリズム。ふたりは舞踏
の今とここにひたっていました。
 ブエノスアイレスでの公演は、大野一雄とアントニア・メルセへのオマージュでし
た。これは、何台かのビデオ、2人のDJ、それにジョナス・メカスとゾルタン・オー
ヴィユという2人のカメラマンで構成するひとつのインスタレーションで、この2人
のカメラマンがダンスの肉体への絡みを追ってその細部を正確に映し出しました。な
ぜこうしたのかというと、ダンスの表現はときに、観客の目にとまらないほど微かな
動きだからです。これを見せるにはカメラが必要でした。そして、このダンスの撮影
法をつかむには、つまりこのダンスがどう踊られているかを正確に見せるには、ジョ
ナスとともに2年間、ほとんど毎日の撮影のトレーニングが必要でした。
 ふたりでテープを見て、どこで情感が高まり、どこで高まらないかをわたしが説明
します。そうしているうちに、ダンスの真の深みをとらえるダンスの最高の撮影法に
辿り着いたのです。もうひとりのカメラマン、ゾルタンとも同じようにしました。
 このインスタレ‐ションは東京でも同じ方法で構想されると思いますが、新しいビ
デオの映像とサウンドを使い、エネルギーも新しくなるでしょう。
 最高のわたしをお見せするためにわたしの心が必要とするのは、わたしの愛する人
々、わたしの記憶でいっぱいの国々で作ったビデオ、わたしにぴったりのサウンド、
わたしがすっかり溶けこめる環境です。 
 ほんとうに、愛とつながり大野一雄と一体になれるのは、もはや意識ではなくわた
しの魂だけなのです。
 
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ヴィルジニ‐・マルシャン

映画作家で舞踏ダンサー
小学一年まで日本在住。現在はパリとブルックリンを往復。
夜間てんかん症
父親は外科医、「幻覚的傾向のある分裂症」の母親は、生け花アーテイスト
養父:オーケストラと愛人の指揮者
養母:音楽家で17世紀音楽の歌手
ナンテで絵画とだまし絵を学ぶ。
美術学校で”感覚鋭敏という特記つき”卒業証書をもらう。

33編の小説を収録した詩集「へんな脳ミソ」(FUNNY BRAIN}
5編の中短編映画を含む「誓い2002/03」(FAITH 2002/03)は、2005年11月にニュー
ヨー クで初映された。
2004年にブルックリンで撮った長篇フィクション映画「スエーデンの血」(SWEDISH
   BLOOD)は、現在サウンドの制作中。
長篇のフィクション映画「てんかん症のオペラ舞踏」(EPILEPTIC OPERA BUTOH) は
、 ヴィルジニ‐・マルシャンによるシナリオとダンス、カメラマンのジョナス・メ
カス(手 持ちカメラ)とゾルトン・オウヴィユ(三脚)、大野一雄による特別な美
しい出演で、現 在編集中。

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