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開催終了newアルバム『Taruphology(タルホロジー)』発売記念! 関西ライブ

詳細

2007年08月09日 06:05 更新

あがた森魚デヴュー35周年!
newアルバム『Taruphology(タルホロジー)』発売記念!
(9/20 EGDS26\2,800 ブリッジ 久保田麻琴プロデュース)

京都と大阪でレコ発先行ライヴが決まりました



2007年9月19日(水) 京都・エル・ラティーノ
(京都市左京区聖護院山王町43-2パレステートB1F
(京阪丸太町))

出演:あがた森魚(Vo. , A.G.) Guest 五十川清(Per.)
open 18:30 start 19:30 charge 2,500円(+order)
予約・問: エル・ラティーノ(phone 075-751-0647 open18:00/月休))



2007年9月20日(木) 大阪・フラットフラミンゴ
(大阪市北区天神橋3-2-4-14 スペースビル2F
(地下鉄堺筋線・谷町線南森町駅5番出口北へ徒歩1分))

出演:あがた森魚(Vo. , A.G.)
井山あきのり(Pf., Acc)杉本Q仁美(Vn.)
open 19:00 start 20:00
前売3,800円/当日4,000円(drink代別)
※25名限定(前売・予約のみ)
予約・問:フラットフラミンゴ(phone 06-6881-2635 open19:00/日休)

コメント(1)

  • [1] mixiユーザー

    2007年09月30日 04:13

    大阪・フラットフラミンゴのライブでは、
    『Taruphology』から新曲を聴くことができました。
    当日に手にした新譜、
    あれから夜毎に聴き続けています。
    言葉や音の削がれた感じが衝撃的でした。
    ライブの数日前に鑑賞した舞台『エレンディラ』と併せて、
    レビューを書いてみました。
    10月のライブを楽しみにしています。

    音楽は、写真に映らない
    −エレンディラとTaruphology

    ■『エレンディラ』を観て
    ボール紙の馬に跨って寂光の都へ逃げて行き、
    ああ鉱物になりたいと白状する
           稲垣足穂「水晶物語」

    あがた森魚が出演するというので『エレンディラ』(原作:ガルシア=マルケス,演出:蜷川幸雄)を観に出かけた。娼婦として生きることを強いられるエレンディラと、オレンジ商人を装おうウリセスとの、純粋であるが故に残酷な愛の行方が、美しくも猥雑に描かれている。

    娼婦小屋として用いられる移動テントを楽隊や大道芸人や写真家が囲み、行列を作る男たちの気持ちを高揚させている。その写真屋こそが、あがた森魚であった。ステージを周回する自転車の車輪の変則的な回転と相まって、あがた森魚の声はねじれて聞こえた。演劇人の発声と、音楽人の発声の違いだろうか。演劇人の太い声質は舞台に十分な迫力を与えていたのだけれども、あがた森魚の声は、自転車のおぼつかない動力も加わって、芝居全体に浮遊感と儚さのようなものを放っていた。

    この儚さこそ−邂逅の、愛の、生の、時間の−が『エレンディラ』の主題であり、それを際立たせるものとして、オレンジの中に埋め込まれていたダイヤモンドにみられるように、永遠というモチーフが添えられていた。そのように感じ得たところで、『エレンディラ』の芝居世界と、あがた森魚の音楽世界との飛行曲線が瞬時に交差したような気がして、その交点にタルホによる冒頭の言葉が瞬く。

    ■Taruphologyを聴いて

    音楽は、写真に映らないからね。
        ガルシア・マルケス『エレンディラ』

    写真とは、一方向にしか流れない時間の刹那を制止して、印画紙に焼き付けるようとするものである。一方、音楽の試みは、制止することすらできない微分の一刻を、その流れるままに表現することであろう。『エレンディラ』を観た数日後、大阪であがた森魚のライブを聴いた。写真屋を演じたその役者は、芝居世界を払拭するかのように、ときにはそれを名残惜しむようにして、一曲ごとに歌手へと姿かたちを変えていった。

    新譜『Taruphology』は、いつになく、言葉が削がれ、声は哀しく、音がざわめいている。タルホが言うところの「何処か遠方に出発する前夜のような、それとも取片付けを終えて何かを待つばかりになったとでも云うような、静かな一刻」が象られている。言い換えるならば、覚悟と郷愁と希望とが入り混じった、物事のおしまいの感覚である。

    物事のおしまいに感じる「ひとり」という感覚は、互いに寄り添う関係を引き寄せもする。また、物事のおしまいに感じる「刹那」という感覚は、はじまりへの予感を含む。誤った個人主義や刹那主義が闊歩する21世紀において、これらの感覚は真摯に希求されるべきものではないかと思われ、あがた森魚による音楽はそれらを鮮烈に感受するに相応しい。
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