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開催終了見沢知廉の<世界>

詳細

2005年11月06日 19:36 更新

 ロフトプラスワンで見沢さんについてパネラーの一人として話させていただいたら「ああいう話を今度はゆっくりして欲しい」と鈴木邦男さんから電話をいただき、もちろんやらせていただくことになりました。
 高田馬場に「大人のしゃべり場」(!)という名前のトークライブスペースがあるそうで、そこで鈴木さんが毎月行っているトークにゲストで出させていただくという形です。
 タイトルは「『見沢知廉の<世界>』でどうですか、と鈴木さん。もう即答で「ぜひそれで!」と言いました。
 11月8日(火)、19時開演を予定しています。
 ぜひお越しくだされば幸いです。
 http://www.dop.co.jp/live.html
 当日は塩見孝也さんや、見沢さんをモデルに小説を書いているお弟子さんの佐伯紅緒さんも駆けつけてくださる予定です!

 見沢さんと初めてお会いしたときのことは拙著「ある朝、セカイは死んでいた」見沢知廉ロングインタビュー&批評の冒頭でも書いたとおり。
 その瞬間から、彼の少年っぽさ、親しみやすさ、そして文芸へのまっすぐな情熱に惹かれた。
 見沢論を書かねばと思った。たぶん僕の文章は初めての本格的な、あの時点での「見沢知廉総論」だったと思う。彼が書いた小説や文章は紙の切れ端まで貸してもらって、取りつかれたように見沢氏の軌跡を追った。
 私はいまでも『天皇ごっこ』は新日本文学賞に応募したショートバージョンの方が好きである。獄中の制限下で書かれた、描写そのものがリビドーになっているかのようなたたきつけるようなカタルシス。
 あの作品を読んで、本人と話したときの、なにか恋をしてしてしまったかのような信憑は明瞭に手触りとして残っている。
 やや遠慮がちに言えば、きっとさまざまな人にそれを感じさせる感応能力があった人だと思う。
 彼がその後目覚しい活躍をしたのは、獄中12年という話題性ばかりでは決してない。
 
 彼の死を唐突に感じたと言えば嘘になる。
 もうずいぶん前から人前に出ていなかったのは多くの人が語っているとおりだ。僕と一緒に出る予定のトークショーを彼がドタキャンしたこともある。
 僕は彼は文学に殺されたのだと思っている。
 『調律の帝国』は厳格かつ非情な刑務官に父親を見出し、絶対視して自分を漂白していく囚人の話だったが、彼はそれを書く段階で、文芸誌の名物鬼編集者によって数十回の直しを要求され、それに必死で応え脳疲労で入院したと自ら語っていた。この作品では、三島賞を狙っていた。
 しかし数度ならともかく、数十回の直しというものが本当に的確なものだったのだろうか。そこまで直しを続ければ自分がなにを書いているのかわからなくなってしまう段階もあっただろう。その人が担当した小説は、作家が変わっても文体が似てしまうと噂された人物だった。
 当時の見沢氏の文章力が稚拙だったとは思われない。ノンフィクション『囚人狂時代』のあの一気に読める面白さはどうだ。額縁に収めたような純文学なんぞに頼らなくても、十数万部の部数を稼ぎ出していたのだ。
 その彼が、文学という「父親」に向かって自分を投げかけていった。幾多の政治遍歴を持つ彼だが、三島由紀夫と違い政治ではなく文学に殉死した。
 もちろん彼が選んだことだ。
 だがその彼に文学の世界はなにをしたのか。文学の世界にたずさわっていると自認する人は、全員胸に手を当てて考えてもらいたい。

 最初の新日本文学会にしてからが「天皇ごっこ」の受賞に難色を示す内部の分裂があり、まるでかついだ神輿を下に叩きつけるような仕打ちを受けた。
 だが政治活動では数々のテロ行為をしてきた彼は、文学の世界での自分の扱いに一言の抗議もしなかった。
 そしてひたすらチャレンジし続けた。

 あるパーティで江藤淳(故人)に話しかけようとしたら、「お前が声をかけるのは十年早い」と文芸編集者に言われたと、むしろ愉快そうに笑っていた見沢さん。
 彼ほど文学を愛した人はいなかったと思う。

 見沢さんが新左翼の活動の後に一水会にあらわれ、統一戦線義勇軍として活動、スパイ粛清事件で逮捕されるまでわずか半年。鈴木さんは印象では二年間ぐらいあると思っていたので改めて確かめてみて驚いたとおっしゃっていました。
 それだけ濃密な時を生きた時代のことは獄中で書いた未発表小説を書き直した新著『ライト・イズ・ライト』(作品社)に刻印されています。

 そして僕も、見沢さんが出獄し『天皇ごっこ』で新日本文学賞を獲ってから、三島賞候補になった『調律の帝国』までに3〜4年ぐらいある印象だったのですが、ナント『調律の帝国』は97年の作品なんですよね。わずか二年弱。
 スパイ粛清事件のときに見沢さんを逃がす判断をした鈴木さんは「見沢だったら十五年逃げ切れるだろうって、一瞬思っちゃったんだよね。いま思えば見沢の魔力に引きずられましたよ」とおっしゃっていました。
 
 文学によ革命にせよ、大仰に構えるのは流行らないといわれた時代に、自分で高みを設定して、そこに駆け上がろうとする天晴れな姿勢は、不可能も可能にする魔力を伝染させたのでしょうか。

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