あの熱い1967年の夏から、40年と言う時が経ったということが、いまだ信じられない。ときあたかも、ヒッピー・ムーブメントの「Summer of LOVE」から40年。1967年の新宿も独特の熱気に包まれていました。「平凡パンチ」を初めとする週刊誌にあおられたとはいえ、それ以前から新宿には「深夜ジャズ喫茶」(きーよ、ヴィレ、汀などなど)、「新宿風月堂」そして東口の植込み「グリーンハウス」を根城とするボヘミアン、ビートニクそしてフーテンが「ちょい悪」な対抗文化を作っておりました。ま、本人たちは夜毎のナンパとミンザイ(催眠薬)に酔いしれていたとはいえ、ベトナム戦争真っ盛りのころ、ベトナム帰りの米兵や黒人兵、観光旅行中のバックパッカーからひそかに非合法のドラッグも出回っておりました。「新宿風月堂」に警視庁麻薬取締官が私服で、情報収集に来ると言うそういう世の中でありました。