mixiで趣味の話をしよう

mixiコミュニティには270万を超える趣味コミュニティがあるよ
ログインもしくは登録をして同じ趣味の人と出会おう♪

開催終了『ボクは炭焼き職人になった』の著者 原伸介氏講演会

詳細

2005年10月30日 02:15 更新

コミュニティー管理人様へ

非営利ですが、参加費がかかります。もし、問題があるようでしたら、お手数ですが削除をお願い致します。


中国で安価に炭ができるこの時代に、炭焼き職人を志した男がいました。

松本市在住の原伸介さんです。

そのご経験から全国で「夢は必ず叶う!」というメッセージを発信され続けています。

■夢や志をお持ちの方

■毎日が何かものたりない方

■焼き鳥は炭や!炭が命や!!と確信されている方

そんな方に、ぜひ聴いていただきたい講演です!

イベントの詳細・お問合せ・お申し込みは、お手数ですが↓こちらからお願いできればと思います。

http://www13.ocn.ne.jp/~book39/new_information.htm










原さんがラジオに出演されたときの言葉を書き起こしましたので、以下に掲載させていただきます。何かピンと来る言葉がありましたら幸いです(^^)(意味不明な部分がありますが、ご容赦くださいませ・・)





14歳のとき、横浜生まれ横須賀育ち。

横須賀自然が豊か中学2年から三年中学ができた、山をつぶしてできた学校

校庭の下には自然があった。自分に対して悔しかった。切なかった。

自分を育ててくれた山に対してなにもできなかった。

山に恩返ししなくてはいけない。

山について勉強したい

森林学科へ進学。失望。現場を学びたかった。大学は机上の勉強。

卒業間際に現場のことを知りたい。現場の師匠を探そう。

1年間就職活動せずにアルバイトしかながら探して師(親方)七十歳に出逢った。

炭焼きを知らなかった。

伊沢さんの生き方が鳥肌が立つほどかっこよかった。

大学の講義で感動したことはなかった。

小さい頃から探し求めていたんだと思う。

大げさな機械を使うわけでもなく、なんでもしてしまう僕にとってヒーロー。

自分が求めていたのは、知識ではなく知恵だったんだ。奥深さ。

すぐに炭焼きだと思った。

最初は山仕事がやりたかったが、伊沢さんが炭焼きを昔やっていた。

教えてくれた。

窯から作って教えてくれた。

職人の親方集団。

かっこいいな。

食えるか食えないかというセコイ選択肢は存在しなかった。

全然お金にならなかった。

昼間出前持ちをして塾家庭教師をしながら学んだ。

一冬見よう見まねで通い続けて学んだ。

炭焼きバイト体力的に限界。

やるかやめるか。どっちか。

やめるという選択肢が浮かばない。

反対されるのは分かっていたので、水面下で準備を進めて独立したいと親方に言った。

大学まで出て炭焼きなんて、と言われた。

電話でダメなら手紙、手紙でダメなら現物を送って。

あきらめなかった。

最後にはお任せしますと言われた。

小さい頃遊んでいた山にそっくりな山を見つけた。

ひきつけられるようにここだと言う感じで山を見つけた。

決めたと言うか決まっていたと言う感じ。

小さい頃のつけを返す舞台が決まった。

獣道が一本あるだけで、つるはしとスコップで道を作っていった。

何の疑いもなく、つるはしとスコップで切り開いていった。

当時はそういうものだと思っていた。

どうしても炭焼きがやりたいんだと言う気持ちがあった。

車の入れるところではやりたくなかった。

便利は人を無能にしていく。

あえて不便な状況に自分を持っていくことで、昔の技術のよさを受け継ぎたかった。

炭焼きは窯がいる。

窯作りの技術は持っていなかったので、親方に頼んだ。

素材集めは山奥から窯に合う石を軽トラックで8往復してあつめた。

石と粘土以外何も使わない。

技術にしびれた

道を作ってから窯をつくるまで三ヶ月くらいかかった。

総工費は、親方にお礼した一升瓶

炭を焼いた。できの悪さは笑ってしまうくらい。

自分の焼いた炭だ。

技術を上げなければと毎日取り組んだ。

伐採の技術も無かった。

チェーンソーで切った。

あんなはかどらない仕事でよくやった。

夢中になっていた。

おつきあいの合った問屋さん値段が安い。

時給二百円。

一日十時間山の中で格闘して2000円。

さすがに食べていけない。

値上げしてもらおうと思って問屋さんに交渉しに行った。

四倍に値上げ。

あんたに焼いてもらわなくても、中国人に焼かせれば、一日二百円だ。

そうなんだ!ぶちきれた。

いいわ。ださねぇわ。啖呵切った

営業から販売まで

でも問屋さんには感謝している。

そこで、本当に意地になれたから。その後真剣にこれでたべていくんだと思った。

窯の調整軽トラぶっとばして営業に回ったが連戦連敗。

そういうことをやっていると、どこかで誰かが見てくれている。

原さんの炭買います。一冬分買います。と言う方が現れた。

あきらめなければ道は開けるんだ。

建築士の方が買ってくれた。

独立するときで建築は、建物を建てるだけじゃない。住環境。

炭を床下に入れたり。

痩せこけた同情もあった?

プロの炭を

炭のシーズンは秋から初夏。

真夏は焼かない。

理由は暑いから。

木が水分を上げてしまうからいい炭が焼けない。

二十代は技術が貯金だと考えていた。

お金が少しでもあったら修行につぎ込んできた

秋田から九州宮崎まで先輩を尋ねて回った。

最初は自分さえいい炭がやければいいと思っていたが、

先輩方からは「原さん、どうかがんばってください。自分には後継者がいませんから」とよく言われた。

胸が締め付けられた。

自分の問題だけじゃないんだなと思った。

貴重な技術が途絶えてしまう。

石にかじりついてでも続けなければと思った。

「君が来るのを五十年待っていたよ」と言ってくれた人もいた。

自分自身がその場に立っていられないような感覚になった。

「自分はこの仕事をいい仕事だと思って続けてきましたけど、周りはみんなやめていきました。とうとう私が最後の一人になりました。私はあなたのような若者がくるのを五十年待っていました。」と言われた。

バトンタッチ。

やる気が出た。

炭にも種類がある。

白炭(堅炭)

うなぎやさん焼き鳥屋さんで使う炭。

金属のような音がする。

独立直後はへたくそだった。

うまく炭が焼けないで泣いたり寝られなかった。

絶望のぎりぎりのところでは笑い出した。

普通は面白いから笑うという順番だが、笑うと面白くなるということに気づいた。

あ。じゃ、笑って生きていこう。と吹っ切れた。

Tシャツに夢

夢を追い続けるのは並大抵のことではない。

小さい頃から夢見がちな子供だった。

それを肯定してくれる大人がいなかった。

自分が大人になった時には、「夢は叶うんだぞ」と言ってあげられる大人になりたかった。

中学・高校で講演させていただくと、みんなまばたきしないで聴いてくれる。

最近の若者に夢は無いなんて言うのは誰だ、と。

そうじゃないんだ。大人自身が夢を持って生き生きと生きていないから、その背中を見て子供たちが絶望しているんだ。

だから、僕のように夢は叶うんだといえる大人が出て行くと、本当にすごい熱で聴いてくれる。

希望はある。

笑うくらい絶望しているが、そこまでいくと叶う。

妻にも出逢った。

http://www13.ocn.ne.jp/~book39/new_information.htm

コメント(4)

  • [1] mixiユーザー

    2005年10月30日 10:11

    は〜い!参加します。
    楽しみにしていま〜す。
  • [3] mixiユーザー

    2005年10月30日 16:44

    説明が長いです。手短にしてください。
    彼の講演は面白いですよ。
    おすすめします。
  • [4] mixiユーザー

    2005年10月30日 17:21

    まさたか様

    ご精読いただきましたこと、本当に感謝いたします!

    原さんの溢れんばかりのメッセージを・・とてもこの手で・・短くすることが・・できませんでした・・。
    申し訳ありません・・。

    原さんの熱い想いが(原さんをご存知でない方に)少しでも伝わればと思います(^^)

    ご推薦もいただき、感謝しております!
mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!
  • 2005年11月05日 (土) 13:30〜16:30
  • 長野県 飯田市公民館
  • 2005年11月05日 (土) 締切
  • イベントに参加する
  • 気になる!
参加者
2人