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開催終了第2回 江戸を語る会  昭和初期の甘味処で江戸を語る〜江戸らしさとは?1月23日

詳細

2010年01月03日 07:50 更新

好評だった江戸を語る会の第二弾を行いたいと思います。

昭和初期の甘味処で江戸を語る〜江戸らしさとは?


日:1月23日
参加申込締切:1月22日朝
定員:20名

時刻:午後5時から8時
場所:竹むら(神田)二階座敷
参加費:200円以上
場所代:300円ほど(参加人数による)
その他:一人一品はお店に注文する(メニューは、お汁粉、ぜんざい、あんみつなど甘味のほかに、雑煮、お餅などもあります)
竹むらは昭和五年創業の老舗の甘味店。建物は、東京都選定歴史的建造物。

*今回は全員の方に事前準備をお願いする事はありません

金沢支店 <江戸を語る会第二回へのお誘い>

私たちはついうっかり忘れていただけなのかもしれません。
東京の以前に江戸という都市があり、今でもその基盤をなしていることを。
江戸の形、あり方、特徴などは時の移り行く中で、消えたものもあるでしょう、また残り続けていることもあるでしょう。消えたように見えても、形を変えて残るものも注意してみればあるかもしれません。しかし、もしあったとしても、身近な生活に根付いていたとしても気付かずに通り過ぎているのかもしれません。
「火事と喧嘩は江戸の華」のようなきっぷのよさは消えてしまっているように見えます。しかし、前回の語る会で出たように、町の道や着物の特徴、鐘の音など現在に残るものもあります。
また、よく知っているつもりでも、他の方のお話を聞く中で新しい発見があり、現在の東京への見方も少し変わるかもしれません。

今回の語る会はそんな江戸らしさについて、思い出すきっかけと出来たらよいかと思います。
語ることで気付き、思い出す。そして思い出してまた語る。そんなひと時をすごせたら、と考えています。やり取りの中で新しい江戸東京象が垣間見えてくるかもしれません。
会場は戦災を逃れた一角にある甘味処です。古い建物で甘いものなどいただきながら、江戸について語ってみたいともいます。
江戸についての知識に自信がない方、初めての方でもご遠慮なさることはありません。参加者それぞれが江戸を語ることにおいては、平等です。

どうぞ宜しくお願い致します。

コメント(89)

  • [50] mixiユーザー

    2010年01月19日 18:37

    ネコさん
    ちょうどお休みと重なってよかったですね。
    宜しく御願いします。

    blackteaさん
    あっさりと淡々、というのは服装、性格、社会制度と様々なところに関わってきそうですね。絵の場合でも輪郭線の弱い柔らかなものが多いですね。
    かなり都市的な感覚、論理のような気もします。流れが速く移り変わりが激しい人と時・・・

    ろたさん
    セザンヌ→○△□→仙崖ですか。なるほど。
    自分としては○△□と来て泉鏡花『春昼』を思い出しました。何か関連しているのかもしれません。
    蔦屋重三郎=マイルス は斬新ですね。
    マイルスは常に前に進み続けたアーティストの中のアーティスト。蔦屋重三郎は、今の言葉でいうとプロデューサー的なディレクターといった役割と捉えてました。もしかしたら江戸の世では、プロデューサー的なこととアーティスト的なことが重なっていたのかもしれません。
    このような見立ては新たな発見に繋がるかもしれませんね。



  • [51] mixiユーザー

    2010年01月19日 19:57

    江戸らしさ・・・よく「江戸っ子は宵越しの金を持たない」と言いますが、江戸っ子と言うのは何処か刹那的な感じがします。明日の事を考えるより、今この瞬間を楽しもうと言う感覚、「粋」にも通じる気がします。
  • [52] mixiユーザー

    2010年01月20日 10:32

    「江戸らしさ」という言葉も様々な解釈があると思います

    そのうちの一つとして「潔さ」という言葉を挙げたいと思います

    武家政権の首府として発展した江戸は独特の気風が育まれていったと思います。

    江戸の文化の背景には「潔さ」というものがあると思います。人の行動様式からファッションに至るまでそれが貫かれていると思います。物事に執着しないことや、凝り過ぎずごてごてしたものを好まなかったり。

    それらは武家政権が終焉して、近代に入り東京が成立した現代にまで貫かれていると思います。東京の人間は執着をせずにあっさりと生きることを身上としていますが、その考えの根底には江戸から続く「潔さ」を良しとする伝統があります。

    江戸を代表する人物を挙げてみたいと思ったのですが、いろいろ多くおりますねえ。私個人としては山岡鉄舟など挙げてみたいです。彼の生き様こそ「江戸の潔さ」を体現しているように思えますので
  • [54] mixiユーザー

    2010年01月20日 18:54

    日が近づいてきまして、こちらも盛り上がってきました。

    ZEPHYROSさん
    刹那、瞬間、粋、ですね。

    クバさん
    潔さ、ですね。
    それとどの程度関係しているか分からないですが、東京の人は服装において全般的に色が地味ですね。
    山岡鉄舟という人についてはよく知りませんでした。なにやら幕末から明治にかけて重要な役割を果たした人らしいようす。

    blackteaさん
    切子の小林さんは確かに。
    単純なものが結局一番大切で全て、という感じですね。


    そのほかの皆さんも思いついたらドンドン書き込んでくださいね。
  • [55] mixiユーザー

    2010年01月20日 18:55

    『筋違内八ツ小路』
    今回の会場付近を広重が描いたものです。
    現在の交通博物館跡地〜神田郵便局あたり。
    旗本天野弥五右エ門の屋敷、昌平橋に通じる冠木門、柳原の土手などを俯瞰し、遠景には神田明神が見えます。
    ここは火除け地として出来たものです。
    手前の広場の空間が大きく協調されているところに特徴があります。
  • [56] mixiユーザー

    2010年01月20日 21:30

    スケジュールを空けることができました。参加したいのでよろしくお願いします。

    「江戸らしさ」といってピンと来るのは下町人情くらいなものですが、人情に厚いのは長屋のような狭いところにたくさんの人が住んで、助け合わないと生きていけないようなところから来ているのかな。

    また、江戸の人はどんなレジャーを楽しんでいたのとか、買い物をするような繁華街はどこにあったのか興味があります。
  • [57] mixiユーザー

    2010年01月20日 22:06

    残念ですが、この日は参加できそうにありません。
    またよろしくお願いしますm(_ _)m
  • [58] mixiユーザー

    2010年01月20日 22:39

    町人の粋は権力に対する反骨精神から生まれたように思います。
    助六が人気を博したり、度重なる奢侈禁止令から生まれた着物の裏勝りもそう感じます。

    奉務の関係で江戸の人達の信心にも興味があります。
    科学が未発達だった江戸では『今日はこの神様、明日はあの仏様』と神仏を篤く信仰していたようですね。
    別個の御利益が定着され、個人的な祈願が増えて行き、しまいには怪しい新興宗教も起こり、鴨にされていました。
    この頃から穀物・食物の神様であったお稲荷様が商工業の神様に様変わりし、伏見や笠間から方々に勧請されて爆発的に増え、火事 喧嘩 伊勢屋 稲荷に犬の糞 とまで言われるようになりました。
    各町に一社は鎮座されていたかもしれませんね。
  • [60] mixiユーザー

    2010年01月21日 18:56

    ばんさん
    お久しぶりですね。
    下町は長屋の形態が人情、人間関係にも大きな影響はあったのでしょうね。それから、両側町で町の中心が広場の役割のような道だった事も大きいのかもしれません。

    セントラルパークさん
    今回は残念です。
    またの機会に。

    ネコさん
    大きな権力がすぐ身近にドンっとあったこともあるのでしょう、町民とは微妙な関係でいわゆる粋、というものが生まれたのかもしれません。
    信仰についても江戸らしさということで思いつく事があったらお話下さい。

    ろたさん
    引用ありがとうございます。
    最近発売された雑誌ですね。こういうことに注目する人も結構多いものですね。
    京都の場合は、自意識、流入民受け入れという点ではどうなんでしょうか?
    江戸っ子というのは、おそらく上方との違いや後から入ってきた人と先からいた人の意識の違いで生まれた概念なのでしょうが、京都の人はそれに当たる言葉は無いのでしょうか。


    だいぶ皆さんの多様な声が出てきていい感じにカオスになってきました。
    江戸の繁華街のようですね。
    まだ参加者の募集もしておりますので宜しくお願い致します。
  • [62] mixiユーザー

    2010年01月21日 22:08

    >東京の人は服装において全般的に色が地味ですね。

    地味ではないのですよ。それが普通なのです(笑)他所が派手ではないかと思うのですが・・・・それは互いに主観の違いですね。潔さを好むということはしつこさやくどさ、あからさまなことを嫌うという部分もあります。

    山岡鉄舟は剣、禅、書の名人で、単身、新政府軍の陣営の乗りこんで、西郷隆盛と面談し、勝海舟、西郷隆盛の会談の道筋をつけ、江戸無血開城に導いた人物です。無欲で小気味がよいぐらい潔い。江戸の恩人であり、江戸を語る上で避けて通れない人物ではないかと思います。王子はどちらかというと美術や伝統芸能とかに興味が?私はどちらかというと江戸文化というよりは人物史や歴史の通史に興味がありますよ。みんなのいろいろな視点から江戸を見たら面白くなるかもしれませんね。

    江戸っ子が刹那主義であるかというとどうでしょう?江戸は火事の多い街であるから貯蓄をするより宵越しの銭は持たずに消費するなんて説もありますが…束の間の享楽に走るようなイメージがあるのかと思いますが、金に執着することを嫌う潔さが根底にあると思いますよ。三方一両損の話ではないけど、楽しむためにに金離れが良いというわけでなく、執着を好まないという部分は大きいのではないかなと思ったりします

    江戸の下町というのは「御城下町」の略で、今で言う下町とは意味は違ってくると思います。また現代で言う下町は江戸時代は下町でも江戸でも無かった場所がほとんどでもあります。

    しかし江戸市民が培った人情が無くなったように言われるのは納得がいかなかったりするのですよね(笑)江戸市街地の住民が戦災、震災で拡散し、江戸時代は郊外であった地域でこそ江戸の人情が残っていたりします。伝統工芸も今やこういった地域に残っていますね。他所から来た人同士が電車に乗って足を踏んづけて知らんぷりしたり、人を押しのけるようなスタイルが東京風で、江戸人情は廃れたと考えられているようなのは悲しく思います

    江戸市民のレジャーとしては、先日歩いた日暮の里、飛鳥山、王子七滝、品川・・・・江戸郊外に行楽地があれこれありました。広重の絵にも描かれていますね。江戸のメインストリートは日本橋に連なる現在の中央通りで、今でも江戸よりの老舗が残っていますね。繁華街と言えば両国広小路などの広小路がある所が盛り場であったり、社寺の門前も賑やかでありましたね

  • [63] mixiユーザー

    2010年01月21日 22:28

    江戸に関して語れるほどの知識はない初心者ですが、
    参加させていただければと思います。
    歌舞伎が好きです♪
  • [67] mixiユーザー

    2010年01月22日 07:17

    私は歌舞伎には疎いのですが、助六は京阪の侠客がモデルではなかったでしたっけ?江戸の町民は武士に対する反骨心もありましたが、権力に従順な面もあったりしますね。お稲荷さんはお屋敷ごとにあったりするので数十メートルおきにあったりしますよ。

    日本橋周辺の生え抜きがなぜ江戸っ子というか。それは江戸の原住民だからです。家康入府以前の江戸の原住民が移住させられた所が日本橋の本町です。本来の意味であれば、その住民が江戸っ子であって、神田や浅草の人間は江戸っ子ではない。神田生まれの私は江戸っ子ではない(笑)でも生家の裏の家は日本橋本町だったのですけどね(笑)

    江戸市街地の拡大によっても江戸っ子を称する人間が増えたかと思います。江戸や江戸っ子の裾野が都市の拡大によって拡がっていったことは自然なことだと思います

    江戸っ子の自意識と、他国者の流入は対を成しています

    江戸から今日に至るまで、他国から流入してくる人の数は膨大です。江戸の世であれば伊勢や近江、京阪からの商人が幅を利かせ、各地からやってくる武士は闊歩する。明治に入れば薩長の人間が大威張り、現代においても、各地からやってくる方々は東京で名を成そう、派手なことをやってやろうと、江戸、東京のスタイルは無視して我がもの顔に振舞おうとします。そんな中で、江戸とはこういうものだというアイデンティティを主張し、江戸や東京のスタイルが埋没しないようにしているものだと思います。

    >世代が変わると、地元民がかつての流入民に同化してゆく傾向がある

    表面だけを見るとそう感じるかもしれません。江戸から現代に至るまで、膨大な流入者を受け入れ、新しいものと古いものが同化し更に新しい文化を生んでいるものだと思いますよ

    京都は伝統を守ることがアイデンティティであり、新しいことを受け入れ生みだすというより、歴史や伝統を守るということに重きを置いているのではないでしょうか。変わらないことが信条であり、歴史や伝統を失えば京都が京都で無くなってしまうような?他所の街を勝手に推測して申し訳ありません

    江戸東京は新しいものを受け入れてきましたが、何事においても迎合しているわけではありません。他所から来られた方々が江戸の伝統や文化をかき乱そうとします。それに対するものが江戸っ子の自意識であるかもしれませんね。
  • [68] mixiユーザー

    2010年01月22日 07:19

    ちなみに

    王子は明日の集合場所など連絡は送信したのかな?
  • [71] mixiユーザー

    2010年01月22日 18:18

    皆様明日はよろしくお願いします。
    参加者皆様のご協力をいただきよい語り合いの場を作れたら幸いに存じます。

    これ以後、私はmixiにつなげなくなります。
    何かありましたら、メッセージで伝えた連絡先までよろしくお願いします。
    遅れる方は、ご連絡の上、竹むらまでお越しください。
    東京再発見で二階を予約してあります。
  • [72] mixiユーザー

    2010年01月22日 21:47

    助六は淺草弾左衛門の支配下だった歌舞伎の座が支配無効の裁きを勝ち取ったことを演目にしたとも言われています。
    つまり武士ではなく、長吏頭と座と言った身分内での権力に対するものですね。

    大名屋敷に勧請されていたお稲荷様を町民にも解放したことが信仰を集めるきっかけをつくり、数多の分霊が勧請されるようになりました。
    クバさんの仰る通りだと思います。
    今でもデパートや社屋の屋上に鎮座されているのは、その信仰心の伝承でしょうね。

    町民の信仰としては他にも伊勢詣、大山詣、富士山詣が行われ、富裕層は参詣と言う名目で物見遊山が行われるようにもなりましたのでレジャーとも言えるかもしれませんね。
    そうでない庶民には講中がが盛んになり、中でも富士講による富士塚の築造。
    それに登ることで富士詣と同じ御利益を得られると信仰されるようになったのも江戸らしさなのかもしれませんね。
  • [73] mixiユーザー

    2010年01月22日 21:49

    明日の連絡了解しました。

    皆様、幹事の金沢王子に連絡がつかない場合は私の方に連絡を下さっても構いません。ミクシィ上では私がフォローしますので宜しくお願い致します
  • [74] mixiユーザー

    2010年01月22日 23:36

    金沢支店さん、クバさん

    ご連絡有難うございました。
    当初5時からということでしたので、そのつもりで前に予定を入れてあります。
    直接竹むらに参りますので、よろしくお願いいたします。

    >blackteaさん

    そうです、白浪五人男、三人吉三ですね。
    明日は着物でしょうか。私は、お稽古の後に行くので着物ですわーい(嬉しい顔)
  • [75] mixiユーザー

    2010年01月23日 06:49

    ネコさん

    助六にはそういった歌舞伎の興行権に関する争いもあったのですねえ。神田や神保町辺りは小さなお稲荷さんがゴロゴロと(笑)たくさんあります。一つ一つ由緒を調べるのが大変でした。富士塚は現存するものが少なくなってきていますねえ。私の家の近くには小野照崎神社の富士塚がありますが、これはなかなか保存状態が良好です。江戸の娯楽と言えば庚申信仰も欠かすことができないでしょうね

    はなゆきさん

    着物とは素敵ですね。宜しくお願い致します
  • [76] mixiユーザー

    2010年01月23日 12:50

    金沢支店さん、クバさん
    今日はよろしくお願いいたします。
    直接竹むらに行きます。
    楽しみにしております。
  • [77] mixiユーザー

    2010年01月23日 14:27

    もう少ししたら、藪そばに向けて出かけます。秋葉原から歩きます。確か郵便局の裏でしたね。
  • [78] mixiユーザー

    2010年01月23日 15:07

    お蕎麦には間に合わないので、直接竹むらに行きます。
    よろしくお願いいたします。
  • [79] mixiユーザー

    2010年01月23日 15:10

    なぎこさん

    宜しくお願い致します

    ZEPHYROSさん

    神田郵便局の裏手になります



    私は藪に間に合うかな
  • [80] mixiユーザー

    2010年01月23日 22:37

    皆さん、お疲れ様でした。
    副幹事の紅茶さんもノリノリで、幹事の王子さんとの夫婦漫才(?)も良かったです。(ツッコミは紅茶さん)
  • [81] mixiユーザー

    2010年01月23日 23:04

    参加された皆様、お疲れ様でございます。
    ゼロ次会のお蕎麦を手繰れなくて非常に残念でした…。

    それはさておき個々人の江戸らしさを伺うのは、とても有意義で楽しかったです。

    週末に休みを賜れたらまた参加したいと思います♪
  • [82] mixiユーザー

    2010年01月24日 00:37

    お疲れ様でした。途中退席ですみません。三週連続となるとなかなか厳しいです。古地図に萌えたのですが、肝心な話がどうなったか気になるところです。きっと有意義な話がたくさん出たのでしょうね。皆さんの報告を楽しみにしております。お疲れ様でございました
  • [83] mixiユーザー

    2010年01月24日 06:55

    皆様、ありがとうございます。
    御協力により良い会となったかと思います。
    前回とはやり方を変え、班分けしたこともあり和気あいあいとした雰囲気になり、気楽に話しあいができたように思います。
    詳しい内容のまとめはまた後ほど行います。
    まだまだやり方にも改善の余地があるので、いろいろと工夫していきたいと思ってます。
    粟ぜんざいはとてもおいしかったですね。


  • [85] mixiユーザー

    2010年01月24日 13:59

    進行とは関係ないのですが、私のテーブルで話題になったもので、元三島神社の総本社は大山祇神社でした。祭神の大山祇神はイザナギとイザナミの間にできた神様です。日本総鎮守だそうです
  • [86] mixiユーザー

    2010年01月24日 22:00

    金沢支店さん、参加者のみなさま、ありがとうございました。
    みなさんのお話を聞いていると、
    江戸時代がものすごく面白い時代に感じられました。
    神田って楽しい街ですね。あの風情が気に入ってしまいました。
    また次回を楽しみにしています。
  • [87] mixiユーザー

    2010年01月24日 22:50

    参加する前はたいした話もできないように思えてましたが、3人よれば文殊の知恵と言われるようにアイデアを出し合うといろいろなことが浮かび、点と点が結びつき線となり、線が交わっていくと面になっていきました。慣れていないこともあり、まとめていくのに時間がかかりましたが有意義な会だったと思います。

    自分は経済学を専攻していたこともあり、米経済から貨幣経済への移行から考えをひねり出しましたが、伝統芸能、着物、レジャー、食べ物と生活の様々な面から江戸に関することを掘り下げることができました。

    会場の竹むらも人数にマッチした良い空間でした。また都合が合えば参加したいと思います。

    金沢支店さん、準備に運営にお疲れさまでした。大変感謝しております。
  • [89] mixiユーザー

    2010年01月25日 08:43

    神田生まれとしてちょっと気になったので

    神田には江戸っ子の粋を感じる方も多いと思いますが、神田というと神保町や、その界隈を連想する方も多いのではないでしょうか?

    神田という地名の発祥を考えると美土代町があったりするので神田という地域には間違いないのですが、多くの人が考えるようなチャキチャキの江戸っ子の住む神田とはまた違うと思います

    神保町などは江戸時代は武家地で町名がありませんでした。みなさんが考える神田とはまた違ったイメージだったと思います

    神田区と麹町区が合併して千代田区になる時に、旧神田区の町名には神田を冠するようになったのでどこもかしこも神田のようになってしまった気もします。同じく、日本橋区と京橋区が合併して中央区になった時は、旧日本橋区の町名には日本橋を冠するようになりました。日本橋本町は、日本橋を冠していますが、日本橋の本町ではなく、江戸の本町なのですね

    葛飾、荒川、江東、足立、江戸川区に伝統工芸の職人さんが移っています。元は江戸市街にあったものですが、震災、戦災を経て郊外に移転し、代を重ねていると思います。江戸の伝統を伝えているという面では江戸っ子と呼んでも良いのかもしれませんが、厳密な意味で言うと江戸っ子とは呼べないということも知識の上で知っておいてもらいたいとも思います
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