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開催終了9月19日(土)武田館跡と甲府城をめぐる

詳細

2026年09月15日 07:36 更新

日時:令和8年9月19日10時半から
集合場所:甲府駅北口改札前
参加費:1000円
当日予定コース:
甲府駅改札前→武田信虎像→甲府城山手門→舞鶴公園(甲府城)→昼食(甲府駅周辺自由昼食)→竹田氏館跡(武田神社)→甲府駅
※武田氏館跡へのアクセスは路線バス

ガイド 山本篤志さん

説明文
 武田氏館は永正16年(1519)、甲斐国統一を果たした武田信虎が代々本拠地とした石和館から西の甲府に移転、平時の居館として躑躅ヶ崎館を築きました。以来、信虎、信玄、勝頼と武田氏三代にわたりその本拠地として使われてきましたが、天正9年(1581)に武田勝頼は本拠地を新府城(韮崎市)に移し、躑躅ヶ崎館は武田氏の本拠地としての役割を終えました。
天正10年(1582)3月11日に武田氏が滅亡すると甲斐一国は織田氏の配下の河尻秀隆の所領となります。
しかし、同年6月2日に織田信長が本能寺で明智光秀に討たれ、織田領内は大混乱となり、河尻秀隆は旧武田家家臣によって殺されてしまいました。
そして、甲斐・信濃など旧武田領は徳川・北条・上杉氏による草刈り場となり、同年10月29日に甲斐・信濃は徳川、上野は北条が領有することで両氏の間で和議が結ばれました。(天正壬午の乱)家康は一条小山に甲府城築城を計画し、天正18年(1590)に家康配下の平岩親吉が着工すると、以後、躑躅ヶ崎館は使われなくなったと考えられ、文禄3年(1594)に廃城になっています。

甲府城は小田原合戦後に家康が関東へ転封になると豊臣秀吉の甥である羽柴秀勝、秀吉配下の大名加藤光秦、浅野長政・幸長親子の順に城主を変え、この期間に大規模な改修が行われて慶長5年(1600)に完成しました。江戸時代に入ると甲府は関東の防衛の外郭として重要視され、徳川将軍家の持ち城となりますが、宝永元年(1704)、将軍徳川綱吉の用人、柳沢吉保が城主になりました。

吉保は甲斐源氏武田一族の一条氏の末裔で祖父の信俊が武田氏の旧臣から家康に仕官しています。吉保の子吉里に至る20年間に、城下も含めて甲府城の整備が進められており、この柳沢氏の時代に甲斐の国は最も繁栄しました。享保9年(1724)、柳沢氏が大和郡山に転封となると再び甲府城は幕府の管轄下に置かれ、幕末の緊張下では一時期小田原藩主大久保忠礼が城代を務めています。

明治維新を迎え廃城となると建物は破却され、勧業試験場などの土地として城内が使われました。明治37年(1904)、舞鶴公園として一般に開放され、戦後城址公園として整備を求める山梨県民の声が高まり、近年本格的な調査整備が行われて石垣の修復や建物の再現などが進められています。

江戸の守りの外郭的な役割を果たした甲府の2城を訪ね、
武田氏、柳沢氏ゆかりの甲府で歴史の息吹を感じてみましょう。

コメント(9)

  • [1] mixiユーザー

    2026年09月04日 07:26

    武田氏の最大版図。戦国の雄武田氏ですが室町時代には甲斐国の守護大名ながら一族や有力豪族との抗争で甲斐一国も保つのがやっとだという状態。今川氏などの圧迫を受けたり内憂外患の状態でしたが、武田信玄の父、武田信虎が国内の反対勢力を一掃し甲斐国を統一し、近隣の国に所領拡張拡大できるほどになりました。しかし武田信虎は果断な性格が家臣の反発を買ったり、嗣子である武田晴信(信玄)を疎んじたため晴信と家臣に追放されてしまいました。

    武田晴信(信玄)は本領甲斐の他に信濃一国(長野県)、上野国西部(群馬県)、今川氏が滅んでからは駿河、遠江(静岡県)にまで侵出。武蔵国一部(埼玉県)、飛騨国一部(岐阜県)美濃国の一部(岐阜県)越後の一部(新潟県)という大版図を築き戦国時代最強と恐れられました。子の武田勝頼の時代に武田氏の最大版図を築き上げるのですが、織田信長によって滅ぼされてしまいました。戦国時代に近隣強豪を脅かした武田氏を偲んで歩いてみましょう
  • [2] mixiユーザー

    2026年09月10日 07:15

    織田信長には岐阜城や安土城、上杉謙信には春日山城、北条氏には小田原城と戦国時代に勇躍した大名の本拠地には簡単には落とせない名城がありました。しかし武田信玄はこうした城を築かずに躑躅が崎館という居館を本拠地としています。人は石垣、人は城と言った武田信玄らしさを感じますが、躑躅が崎館は要害城という詰めの城や、甲斐国自体が山に囲まれた天嶮の要塞であったり、様々な理由があるでしょう。そういったことも山本さんに解説していただきましょう
  • [3] mixiユーザー

    2026年09月11日 07:21

    武田氏が滅亡すると重要拠点として甲府には甲府城が築かれた。浅野長政・幸長父子らによって築城され、徳川家の治世となると徳川家の一門や柳沢吉保が治めました。舞鶴城と呼ばれる甲府城も興味深いです
  • [4] mixiユーザー

    2026年09月15日 07:27

    土曜の甲府市の予報。降水確率10%で晴れマークもついているので現時点では開催の方向で進めていきます
  • [5] mixiユーザー

    2026年09月15日 07:36

    書き忘れてましたが、今回もお城ガイドは城郭研究家の山本篤志さんです
  • [6] mixiユーザー

    2026年09月16日 15:14

    武田信虎あっての武田家の飛躍。家督争いで一族と抗争、国人領主たちの独立、今川氏、北条氏、諏訪氏などの侵攻。まさに内憂外患の状態で、下克上により甲斐国守護武田氏が没落してもおかしくない状況を一変させ、国内を統一し外征するまでに立て直したのが武田信虎。本拠地を石和から古府中に移して武田氏三代の本拠地としただけでなく、現在の甲府に至る繁栄の元を築いたのも武田信虎

    武田信虎の業績無くして武田晴信の飛躍はあり得なかった。しかし、息子に追放された後、武田氏が飛躍し今川氏を滅ぼすまでになった姿をどう見ていたのだろうか?息子の信玄の方が先に亡くなり、孫の勝頼と対面し高遠で亡くなって甲斐国に葬られました。武田信玄ばかりではなく武田信虎についても思いを馳せてみるのも良いかもしれません

  • [7] mixiユーザー

    2026年09月18日 06:15

    明日は催行致します。甲府の天気予報は朝から曇り。夕方からは0.1mmの降水の予報なので行います。終了後はほうとうを食べながら軽く飲んで帰りましょう。参加の皆様は宜しくお願い致します
  • [8] mixiユーザー

    2026年09月19日 05:28

    本日予定通り催行いたします。私も甲府に向けて出発しています。本日も宜しくお願いいたします。参加の方々は念のために雨具もお持ち下さい。17時までには終了する予定です。私は19:48の特急を予約致しました。画像は甲府に行く途中の大月にある岩殿山城。武田氏家臣でありながら、郡内と呼ばれる笹子峠より東の地域を治めた独立した勢力の小山田氏の居城です。武田勝頼はこの堅固な岩殿山城を持つ小山田氏を頼ろうと進みましたが小山田氏の裏切りにあい滅ぼされてしまいました。電車からも岩殿山城は見えますのでご覧になってみてください
  • [9] mixiユーザー

    2026年09月21日 15:02

    甲府城巡りに参加の皆様お疲れ様でございました。雨の心配がありましたが雨にはほとんど降られずに済んでよかったです。甲府城も武田神社(躑躅ヶ崎館)も何度か行ってますが、今回は初めていった部分が多かったです。一般の観光客って本当に一部しか見てないかもしれませんね。とても勉強になりました。甲府の見方が一新したかもしれません。打ち上げもオシャレなお店でほうとう食べられてよかったです。甲斐国の歴史をもっと掘り下げて学んでみたくなりました。皆さん遠くまでお疲れ様でございました。次回は今度の土曜日に我孫子です。我孫子で撮影された映画やドラマのロケ地巡り。ドラマや映画の背景など想像してみるのも楽しいと思います。ぜひご参加くださいませ
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  • 2026年09月19日 (土)
  • 山梨県 甲府市
  • 2026年09月18日 (金) 締切
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