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募集中9月19日(土)武田館跡と甲府城をめぐる

詳細

2026年07月03日 05:46 更新

日時:令和8年9月19日10時半から
集合場所:甲府駅北口改札前
参加費:1000円
当日予定コース:
甲府駅改札前→武田信虎像→甲府城山手門→舞鶴公園(甲府城)→昼食(甲府駅周辺自由昼食)→竹田氏館跡(武田神社)→甲府駅
※武田氏館跡へのアクセスは路線バス

説明文
 武田氏館は永正16年(1519)、甲斐国統一を果たした武田信虎が代々本拠地とした石和館から西の甲府に移転、平時の居館として躑躅ヶ崎館を築きました。以来、信虎、信玄、勝頼と武田氏三代にわたりその本拠地として使われてきましたが、天正9年(1581)に武田勝頼は本拠地を新府城(韮崎市)に移し、躑躅ヶ崎館は武田氏の本拠地としての役割を終えました。
天正10年(1582)3月11日に武田氏が滅亡すると甲斐一国は織田氏の配下の河尻秀隆の所領となります。
しかし、同年6月2日に織田信長が本能寺で明智光秀に討たれ、織田領内は大混乱となり、河尻秀隆は旧武田家家臣によって殺されてしまいました。
そして、甲斐・信濃など旧武田領は徳川・北条・上杉氏による草刈り場となり、同年10月29日に甲斐・信濃は徳川、上野は北条が領有することで両氏の間で和議が結ばれました。(天正壬午の乱)家康は一条小山に甲府城築城を計画し、天正18年(1590)に家康配下の平岩親吉が着工すると、以後、躑躅ヶ崎館は使われなくなったと考えられ、文禄3年(1594)に廃城になっています。

甲府城は小田原合戦後に家康が関東へ転封になると豊臣秀吉の甥である羽柴秀勝、秀吉配下の大名加藤光秦、浅野長政・幸長親子の順に城主を変え、この期間に大規模な改修が行われて慶長5年(1600)に完成しました。江戸時代に入ると甲府は関東の防衛の外郭として重要視され、徳川将軍家の持ち城となりますが、宝永元年(1704)、将軍徳川綱吉の用人、柳沢吉保が城主になりました。

吉保は甲斐源氏武田一族の一条氏の末裔で祖父の信俊が武田氏の旧臣から家康に仕官しています。吉保の子吉里に至る20年間に、城下も含めて甲府城の整備が進められており、この柳沢氏の時代に甲斐の国は最も繁栄しました。享保9年(1724)、柳沢氏が大和郡山に転封となると再び甲府城は幕府の管轄下に置かれ、幕末の緊張下では一時期小田原藩主大久保忠礼が城代を務めています。

明治維新を迎え廃城となると建物は破却され、勧業試験場などの土地として城内が使われました。明治37年(1904)、舞鶴公園として一般に開放され、戦後城址公園として整備を求める山梨県民の声が高まり、近年本格的な調査整備が行われて石垣の修復や建物の再現などが進められています。

江戸の守りの外郭的な役割を果たした甲府の2城を訪ね、
武田氏、柳沢氏ゆかりの甲府で歴史の息吹を感じてみましょう。

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  • 2026年09月19日 (土)
  • 山梨県 甲府市
  • 2026年09月18日 (金) 締切
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参加者
1人