高校3年生の時、第5回渋谷ラ・ママ新人コントで初舞台。高校卒業と同時にコント赤信号に弟子入り。 90年秋単身渡米。91年名門ネイバーフッドプレイハウスに入学。サンフォード・マイズナーから直接演技指導を受ける。 93年秋 アクターズスタジオ一次オーディションに合格。二ヵ月後、2次合格、最終候補生になる。95年春、テネシー・ウイリアムスの「In the bar of the Tokyo hotel」で初めてアクターズスタジオのセッションに参加。 95年秋、最終オーディションをパスをして、27歳で日本人で二人の目のメンバーになる。以後、アクターズスタジオで数多くのセッション、ワークショップ、舞台に参加。 アル・パチーノ、ポール・ニューマン、アーサー・ペン、エステル・パーソンズ、リー・グラント、イーライ・ウオーラック、アン・ジャクソンなどの推薦状により、永住権取得。98年映画タウン&カントリーでウーレン・ベティー、ダイアン・キートン、ゴールディー・ホーン、ジョシュ・ハシュネットと共演して、ハリッド映画デビュー。2001年夏 テネシー・ウイリアムスが三島由紀夫に捧げた追悼作品 世界初演「男が死ぬ日」で主演。舞台俳優組合に入会。TV、舞台などでダン・アークロイド、ハイミー・サンチェス、メリッサ・トメイ、デイビッド・ストレハーン、ダイアン・ウイースト、アル・パチーノなどと共演。 「STILL LIFE WITH COMMENTAOR」でヨーロッパデビュー。英語、日本語のリアリティー演劇、前衛演劇、TV、映画、コマーシャル、ボイスオーバー、芝居の演出、演技ワークショップのコーディネーション、演技指導、芝居、映画の脚本、芝居、自主映画のプロデューサーなど活動は幅広い。