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開催終了3/10プルードン読書会のお知らせ

詳細

2007年02月24日 01:01 更新

3月10日(土)午後1〜4時までウィメンズプラザ1F会議室にて、自由放送の勉強会の一環としてプルードンの読書会を行います。
参考テキストは『世界共和国へ』(該当箇所p185〜194)を持って来て下さるとうれしいです。

題目:「プルードンの社会構想と組織論」
発表者;関本洋司(報告は一時間ほどであとは参加者によるフリーディスカッション)
参加費:無料
場所:東京表参道ウィメンズプラザ、1F交流コーナー
http://www.tokyo-womens-plaza.metro.tokyo.jp/contents/map.html

*詳細変更あればまたご連絡さし上げます。
なお午後4時から同所でFA(grassroots)↓の会合があります。こちらもよろしかったらご参加下さい。
http://park.geocities.jp/freeassociations21/
http://park.geocities.jp/grassroots2007/

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以下、参考までにwikipediaより引用させていただきます。

ピエール・ジョセフ・プルードン Pierre Joseph Proudhon(1809年1月15日−1865年1月16日)フランスの社会主義者。
生涯
ブザンソン地方のムイエールと呼ばれるところで生まれた。父は醸造職人・樽製造職人をしていた。12歳に宿屋の食糧係として働きはじめ、コレージュの6年生に通学生として編入された。仕事のために授業を時々休み、教科書を筆写したり街の図書館に通ったりとほぼ独学の状態で、学業を完全に終了することはなかった。19歳から自分で生計を立てねばならず、ブザンソンの印刷所へ印刷工として就業した。この時期、教会用のラテン語訳聖書の校正をしているうちに広汎な神学の知識を身につけヘブライ語を覚えてしまったという。1837年に最初の著作『一般文法論』を書く。

スュアール年金という奨学金を受け、1839年『日曜礼拝論』を書くがその内容が財産平等の理想に基づく社会改革という思想が聖職者会議に忌避され、本の販売は禁止された。1840年6月『財産とは何か』が出版されたが、「財産、それは盗奪である」などの過激な表現によりブザンソン・アカデミーが出版の認可を取り消し、プルードンは前言撤回を拒否する。1841年4月に財産に関する第二論文、1842年1月に第三論文が追加された。この間経済学者のブランキや社会主義者のピエール・ルルー、コンシデランと知り合っている。第三論文がブザンソン警視庁に押収され、起訴される。1843年3月に印刷所の仕事を辞め、1847年10月までリヨンのゴーチエ兄弟商会の事務員・法律顧問となる。実務に妨げられながら経済学者と交遊し、1846年『経済的矛盾の体系、または貧困の哲学』を出版する。このころ、ロシアのバクーニンとも知り合い、ヘーゲル弁証法について徹夜で議論している。

1848年の二月革命のさい、チュイルリー宮の無血占領に参加し、2月7日からロシアの社会主義者ゲルツェンの協力も得て『人民の代表』『人民』『人民の声』などの新聞を発刊し、人民銀行と相互主義的交換組織を試み、6月の補欠選挙で国民議会議員に選出される。1849年に大統領ルイ・ナポレオンを反動の権化として自分の新聞で攻撃したため、3年の懲役と罰金刑を宣告された。獄中生活の中で裁縫師と結婚して子供をもうけ、『一革命家の告白』(1850年)、『十九世紀における革命の理念』(1851年)などの代表作を書く。

出獄後の1858年『革命の正義と教会の正義』は6000部売れるが、公共道徳・宗教・国家を攻撃したとして警察に押収され、再び懲役3年と罰金刑を宣告され、家族とともにベルギーのブリュッセルに亡命した。1862年に特赦を利用して帰国し、1863年『連合主義原理』を執筆する。遺著『労働者階級の政治的能力』を口述して完成し、パリ・コミューンの5年前に心臓病で他界した。


政治思想
プルードンは独学で経済や政治学を身につけたので、およそマルクスのように体系的な思想家ではない。『哲学の貧困』で行われたマルクスの論難(しかしマルクスはプルードンをかなり曲解して批判している)をはじめとして、プルードンの思想はさまざまな方向から批判された。

 プルードンは民衆とブルジョアジーの両者を兼ね、不偏不党の立場で社会的矛盾をとらえている
 財産一般を攻撃しているのに、小財産を擁護している (*)
 家庭生活と女性の意義について、反動的な考えを持つ (**)
 フランス人としてのナショナリズムを克服できていない (***)
これらの難点は、1840年代にヘーゲル哲学を受け容れた後も持ちこたえられ、ジョルジュ・ソレルなどのフランスの社会主義者・無政府主義者たちに引き継がれた。農民の生まれである彼は工業を嫌悪しプロレタリアートを蔑視していたが、1864年に発表された『六十名の宣言書』に関する社会主義者たちとの議論では、労働者を救うのは労働者自身であることを認めた。プルードンは有能なジャーナリスト・パンフレット作者であり、その雄弁な社会批判と文体の簡潔さは書簡にもあらわれる。晩年の「連合主義」はあらゆる中央集権的な組織への警戒として今日でも顧みられる。


*(利子に代表される不労所得を攻撃したが、他方で小農が土地を所有できる長期的プランを練っていた:引用者注)
**(女性の特質を消失するべきではないと考えていた:引用者注記)
***(本人はパリにはなじめずジュラ地方の人間であることを公言していた:引用者注記)
参考サイト:mixi内プルードンコミュ二ティ(現在109人参加)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=27721

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