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開催終了三浦綾子『銃口』展

詳細

2016年03月22日 22:17 更新

名称: 三浦綾子『銃口』展
会 期: 2016 年 6 月 14 日(火)〜 2016 年 6 月 25 日 ( 土)( 日曜日休み)
時 間: 11 : 30 〜 18 : 00
    (6月 18日(土)は 11:30 〜15 : 00 、
    6月 25日(土)は 11:30 〜 20 : 00 )
会 場:青山学院大学 青山キャンパス ガウチャー記念礼拝
堂・エントランスホール
所在地:〒150-8366 東京都渋谷区渋谷4-4-25
入 場:無料
主 催  三浦綾子読書会『銃口』展実行委員会
共 催  青山学院宗教センター

【講演会】
日 時: 2016 年 6 月 18 日(土) 13 : 00 〜 14 : 30
    受付:12:00開始  
    開場:12:30
会 場: 青山学院大学  青山キャンパス ガウチャー記念礼拝堂
所在地:〒150-8366 東京都渋谷区渋谷4-4-25
講 師:森下辰衛(三浦綾子読書会代表、三浦綾子記念文学館特別研究員)
テーマ:“人間として生きること語ること”〜三浦綾子『銃口』が現代に語る希望
入場料: 一般500 円 学生無料(学生証の提示をお願いします) 
問合先: jukou20160618@gmail.com  


FBイベントページ:https://www.facebook.com/events/1208458725833036/?active_tab=posts

コメント(42)

  • [3] mixiユーザー

    2016年03月25日 23:13

    【『銃口』展に向けて】その3
    小学館から刊行された『銃口』は単行本も文庫も表紙は全く同じです。
    はだしで制服姿の9人の少女がひたむきに歌っているこの絵は、神戸出身の画家小磯良平が1941年(昭和16年)38歳の時に書き上げた「斉唱」という作品です。
    戦争の気配を濃厚に感じる時代に、従軍画家として働いた小磯良平と戦時中に子どもたちに軍国教育を施してきた三浦綾子。二人ともそのことに心を痛めました。
    三浦綾子の渾身の傑作『銃口』の表紙を小磯良平の『斉唱』が飾るのは、実に相応しいことなのかもしれないと思わされます。
    -------------------------------------------------------------------------------
    山脇佐江子さん(姫路市立美術館館長)
    神戸出身の洋画家・小磯良平の代表作「斉唱」。モノトーンの静謐(せいひつ)な画面。はだしで制服姿の9人の少女がひたむきに歌っているのは賛美歌だろうか。描かれたのは太平洋戦争開戦直前の昭和16年。実はこの頃、小磯は従軍画家として戦争記録画を手がけていた。「斉唱」にはやむを得ず軍に協力したことへのあがないの気持ちが込められている、平和を待ち望む祈りが込められていると言われてきた。
    しかし最近、「小磯が必然的に群像を描くことになる戦争画に積極的に取り組んだ、その成果が『斉唱』なのではないか」とする説が唱えられている。 小磯の戦争画と「斉唱」は構図や描法がよく似ている。番組では、戦争記録画は大きなカンバスで群像表現に挑み、構図や写実を磨く絶好の機会であり、その修練の末に「斉唱」が誕生したことを検証。
    30代後半という脂の乗った時期に戦争の時代を迎えた小磯。自らの芸術を追及するために戦争画をも利用した画家の執念。近代日本絵画史上の傑作「斉唱」誕生の秘密に迫る
    -------------------------------------------------------------------------------
    (以上 NHK 日曜美術館のサイト:http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2007/0715/

     から)
    -------------------------------------------------------------------------------
    今日の一枚は、小磯良平作『斉唱』。東京美術学校在学中から天才として注目を浴びてきた画家が、その円熟期に描いた代表作です。描かれているのは黒い制服に身を包んだ9人の女学生。横一列に並び、涼やかな合唱の歌声を響かせています。楽譜に目をやる真剣な眼差し。髪の下に覗く初々しい額。よく見れば、少女たちの顔はキャンバスの地が透けて見えるほど薄塗りで描かれています。素足でしっかりと大地を踏みしめ、歌っているのは賛美歌か、鎮魂のレクイエムか。じっと宙を見つめる一人の少女の目は、まるで何かを訴えかけているかのようです。単なる歌唱風景ではなく、深い祈りが込められたかのような一枚。画家はこの少女たちに、いったい何を託したのでしょうか?
    -------------------------------------------------------------------------------
    (以上 KIRIN『美の巨人たち』 http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/120728/

     から)
    参考:https://ja.wikipedia.org/
    …/%E5%B0%8F%E7%A3%AF%E8%89%AF%E5%B…
  • [4] mixiユーザー

    2016年03月26日 22:26

    『銃口』展に向けて その4

    『銃口(上)』の内容と目次をご紹介させて戴きます。

    〈 書籍の内容 〉
    人間の本質に迫る三浦文学の最高傑作
    昭和元年、北森竜太は、北海道旭川の小学4年生。父親が病気のため納豆売りをする転校生中原芳子に対する担任坂部先生の温かい言葉に心打たれ、竜太は、教師になることを決意する。竜太の家は祖父の代からの質屋。日中戦争が始まった昭和12年、竜太は望んで炭鉱の町の小学校へ赴任する。生徒をいつくしみ、芳子との幸せな愛をはぐくみながら理想に燃える二人の背後に、無気味な足音……それは過酷な運命の序曲だった。

    目次
     昭和の雪
     坂部久哉先生
     夏の雲
     神楽岡
     新居
     お別れ会
     緑(一)
     緑(二)
     宿直室
     炭塵
     初出勤
     手紙
     裏山
     汚れた雪
     訪問者
     猫柳
     研究授業
     足音(一)
     足音(二)

    「第1回井原西鶴賞」受賞作品。三浦綾子、生前最後の小説。

    サイト:http://www.shogakukan.co.jp/books/09402181
  • [5] mixiユーザー

    2016年03月27日 19:18

    『銃口』展に向けて その5

    昨日に引き続き『銃口(下)』の内容と目次をご紹介させて戴きます。
    〈 書籍の内容 〉
    激動の時代を描く三浦綾子の最新長編小説
    昭和16年、思いもよらぬ治安維持法違反の容疑で竜太は、7か月の独房生活を送る。絶望の淵から立ち直った竜太に、芳子との結婚の直前、召集の赤紙が届く。入隊、そして20年8月15日、満州から朝鮮への敗走中、民兵から銃口をつきつけられる。思わぬ人物に助けられやっとの思いで祖国の土を踏む。再会した竜太と芳子の幸せな戦後に、あの黒い影が消えるのはいつ……過酷な運命に翻弄されながらも人間らしく生き抜く竜太のドラマ。

    目次
     特高室
     慟哭
     最敬礼
     晩夏
     曇天
     影
     吹雪
     鎧戸
     鍵
     声
     命
     砲声
     逃避行
     邂逅
     羅津まで
     祖国の土(一)
     祖国の土(二)
     明暗
      あとがき
      参考文献

    元サイト:http://www.shogakukan.co.jp/books/09402182
  • [6] mixiユーザー

    2016年03月28日 21:33

    『銃口』展に向けて その6
    2014年8月14日にHTB(北海道テレビ)が自身のyuotubeチャネルにアップした映像を見つけました。

    「銃口」が今訴えること 〜三浦綾子の遺言〜

    6分ほどの映像ですので、是非ご覧下さい。
    「銃口」のモデルになったとも言われる方のエピソードも公開されています。

     北海道綴方教育連盟事件で人生を狂わされた、大勢の教職者の悲劇が「銃口」の題材となっています。治安維持法で検挙され、獄中で拷問を受け、中には長い勾留が元で亡くなった方も居られたそうです。

     綾子さんの小説「銃口」は歴史の中に隠されていた、この事件を明るみに出したと言って良いでしょう。


    youtube:: https://www.youtube.com/watch?v=JKkCdkbdsRI&feature=share
  • [7] mixiユーザー

    2016年03月30日 23:04

    『銃口』展に向けて その7

    三浦綾子の最後の小説である『銃口』は小学館の月刊誌本の窓(1990年1月号から1993年8月号)に連載され、1994年に小学館から単行本で刊行された。文庫版は1998年に小学館から、2009年には角川書店から刊行されました。

    単行本刊行後にテレビと演劇でそれぞれ大きく取り上げられました。

    まず、テレビドラマではNHKが最初に取り上げました。
    「銃口・教師竜太の青春」(主演:畠中洋)で、1996年12月にNHK衛星第2テレビジョンのBS日曜ドラマを、1997年3月1日から1997年3月15日まで3回連続NHK総合テレビジョンでも放送されました。

    出演者は畠中洋、杉浦直樹、有森也実、すまけい、香川照之、永島敏行、角野卓造、村田雄浩、白石加代子、岩本多代と実力派が勢揃いし、極めて素晴らしい作品となっていました。

    制作:渋谷幹雄、制作:阿部康彦、演出:高橋一郎、音楽:小室等、音楽:池田不二男、音楽:西条八十、撮影:川田万里、照明:加藤静夫、美術:櫻井鉄夫、編集:水野幸夫、脚本:布勢博一、音声:宮沢徳次、原作:三浦綾子、制作統括:金澤宏次、制作統括:阿部康彦、音響効果:杉田毅

    あらすじ:北海道の旭川を舞台に、小学生の教育に情熱を燃やす1人の青年を主人公に、昭和の初めから終戦後まで、時代のうねりに大きく翻ろうされる人間の姿を描いていく。◆昭和12年(1937)、北森竜太は希望に燃えて炭鉱町の幌志内小学校に赴任するが、国粋主義者の校長・沢本に戸惑いを覚える。そんな折、幼なじみの芳子が竜太を好きだと告白。その日、竜太は脱走した炭鉱労働者の捜索を目撃し、子どものころの出来事を思い出す。

    放送文化基金賞(第23回ドラマ番組放送文化基金賞)
    ATP賞(第14回ドラマ部門奨励賞)
    ギャラクシー賞(第34回奨励賞)

    DVDで発売してくれるといいのですが・・・・
    放送ライブラリーと言う施設で見ることが出来るようです。

    http://www.bpcj.or.jp/search/show_detail.php?program=160331
  • [9] mixiユーザー

    2016年04月02日 22:49

    チラシができました。

    イラストレーターのみなみななみさんのデザインです。
  • [11] mixiユーザー

    2016年04月06日 23:14

    『銃口』展に向けて その11
    いよいよチラシの最終稿が出来上がって来ました!!

    これはイラストレーターのみなみななみさんが手がけてくださったものです。

    名称: 三浦綾子『銃口』展
    会  期: 2016 年 6 月 14 日(火)〜 2016 年 6 月 25 日 ( 土)
    休 館 日: 日曜 入 場:無料
    展示時間: 11 : 30 〜 18 : 00
    *6月 18日(土) 11:30 〜15 : 00 、
    *6月 25日(土) 11:30 〜 20 : 00
    会 場:青山学院大学 青山キャンパス 
        ガウチャー記念礼拝堂・エントランスホール
    所在地:〒150-8366 東京都渋谷区渋谷4-4-25
    主 催  三浦綾子読書会『銃口』展実行委員会
    共 催  青山学院宗教センター
        駐車場・駐輪場はありませんのでご注意ください

    【講演会】
    “人間として生きること語ること”〜三浦綾子『銃口』が現代に語る希望
    講 師:森下辰衛
       (三浦綾子読書会代表、三浦綾子記念文学館特別研究員)
    日 時: 2016 年 6 月 18 日(土) 13 : 00 〜 14 : 30
        受付:12:00開始 開場:12:30
    会 場: 青山学院大学  青山キャンパス ガウチャー記念礼拝堂
    所在地:〒150-8366 東京都渋谷区渋谷4-4-25
    入場料: 一般500 円 学生無料(学生証の提示をお願いします)
        ◎手話通訳つきです
     
    問合先: jukou20160618@gmail.com

    尚、高解像度のPDFは http://www.ann.hi-ho.ne.jp/matsushi…/jyuukoutennsyuwapdf.pdf にございますのでご自由にお使いください。
  • [12] mixiユーザー

    2016年04月08日 23:48

    『銃口』展に向けて その12
    この作品は「北海道綴方教育連盟事件」(つづりかたきょういくじけん)に巻き込まれた青年教師を主人公に据えて、昭和の総括を試みた大きな作品となっています。

    北海道綴方教育連盟事件 (ほっかいどうつづりかたきょういくれんめいじけん)については前進座のサイトにコンパクトに纏められていましたので、引用させて戴きます。

    -----------------------------------------------------------------------------

    生活綴方=子供たちに生活の事実を綴らせて(書かせて)、ものの見かた・考え方・感じ方・生き方を育て、文章力を高める教育方法。戦後は、作文教育とも言っている。

    1940年(昭和15)東北から始まった生活綴方運動に対する弾圧は、「綴方の教育にことよせて、貧困と矛盾に目覚めさせ、子供たちを革命戦士に育てるための教育・・・」とデッチ上げの治安維持法違反によって、全国で約300名の現職の公立小学校の教師が検挙された。北海道では1935年(昭和10)に北海道綴方教育連盟が結成されて、道内に生活綴方が広まったが、1940年(昭和15)11月から翌年までに55名が検挙された。これを綴方教育事件・北海道綴方教育連盟事件と呼ぶ。

    -----------------------------------------------------------------------------
    (以上前進座サイトから http://www.zenshinza.com/stage_guide/morgue/juko/goku.htm
     )

    参考図書としては
    佐竹直子著『獄中メモは問う―作文教育が罪にされた時代』
    道新新書があります。

    三浦綾子さんがこの事件を明るみに出したといえるでしょう。
    『獄中〜』の内容は以下の通りです。

    内容説明

    戦時下に、作文指導に励んだ北海道の教員が次々と治安維持法違反容疑で逮捕された「北海道綴方教育連盟事件」。2013年に見つかった元教員の「獄中メモ」を手がかりに、事件の実像に迫ったルポ。70年余りの時を経て現代に問いかけるものとは―。
    目次

    第1章 逮捕
    第2章 赤い烙印
    第3章 取り調べ
    第4章 公判
    第5章 戦後へ
    第6章 語り継ぐ
    現代へのメッセージ
    著者紹介

    佐竹直子[サタケナオコ]
    1966年、釧路市生まれ。藤女子大学英文学科卒。日本電信電話株式会社(NTT)、NHK釧路放送局リポーター、釧路新聞社記者を経て2006年より北海道新聞釧路支社報道部で勤務。北海道新聞情報サービス釧路編集センター記者(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

    紀伊国屋書店:https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784894537613
  • [13] mixiユーザー

    2016年04月09日 08:14

    『銃口』展に向けて その13

    文学解説 銃口 201507
    森下辰衛(三浦綾子記念文学館特別研究員)

    三浦綾子『銃口』のミニ解説です。
    解説者は森下辰衛さん(三浦綾子記念文学館特別研究­員)。(1)『銃口』のあらまし (2)「綴り方教育連盟事件」 (3)『銃口』の主題“人が人として生きていく”、
              “自分の言葉を持つ” 
    の3部構成になっています。

    https://www.youtube.com/watch?v=VterBWB5foE&nohtml5=False
  • [14] mixiユーザー

    2016年05月03日 21:13

    『銃口』展に向けて その18

    いよいよ『銃口』展まで1ヶ月ちょっとになってきました。

    今日は三浦光世さんの『三浦綾子創作秘話』の中から、本のタイトルが『銃口』に決まるまでを抜粋してみました。

    <〇月〇日
     来年から小学館「本の窓」に連載の、小説のタイトルを三浦と二人で考える。激動の昭和を背景に、人間と神の問題を書いて欲しいとの編集者の注文。これは実にむずかしい。(中略)一応取材ノートには「黒い河の流れ」とだしてはあるのだが>

    更に次の頁には、
    <〇月〇日
     今日は一日、小学館の連載小説の資料調べ。戦時中には実に様々な暗黒な場面があった・・・・・>
    とあり、つづいて次の文章がある。

    <〇月〇日
     朝、床の中で、ふっと今度の連載小説の題名が浮かんだ。
    「銃口」
     という題である。担当者の眞杉氏が、激動の昭和を背景に、神と人間の問題を書いて欲しいと言われた。その昭和の一面を、この「銃口」は象徴していまいか。
    (中略)
     起床して三浦に告げると、ズバリよい題であるとほめてくれる。
     午後眞杉氏に電話する。氏も喜んでくれた。再び銃口に怯(おび)ゆる日のない全き平和を祈るものなり>

     この題名が決まったのはいつか。空白の日記んは<日照りがつづいて、今年は西瓜がうまし>などとあるから、多分八月頃だったと思われる。
     こうして「銃口」は「本の窓」誌一九九〇年一月号から一九九三年八月号に及ぶ長編小説となった。

    (以上『三浦綾子創作秘話』小学館文庫二〇〇六年七月一日 初版 212頁〜213頁から引用) 
  • [15] mixiユーザー

    2016年05月09日 23:00

    『銃口』展に向けて その20

    小説『銃口』は三浦綾子最後の小説です。
    作品中主人公の竜太は炭鉱町「幌志内」の小学校の教師として赴任しますが、その体験することの多くは、実は三浦綾子自身が16歳で代用教員として炭鉱町「歌志内」に着任して過ごした2年4ヶ月の経験が色濃く反映されています。

    街の中を黒い河が流れ、
    少年たちが感動すると「ウォーター」と叫び
    教師は毎朝5時過ぎには学校に出勤し
    全体が軍国調で染め上げられ
    教育に勤しむあまり世界や社会の動きには疎く
    知らず知らずのうちに時代と言う大きな流れに流されて行く・・

    若い堀田綾子はこの時に心を尽くして生徒を愛し、手塩にかけて育んだのであるが、後年振り返ってこのように書いている。
    − 「大きくなったらね、あなたがたも、み国のために死ぬのよ」
    何と愚かな教師であったことだろう。
     わたしは生徒がかわいくてならなかった。だが、一体生徒がかわいいとは、どんなことであるのだろう。かわいい子に、戦争で死になさいと、何の矛盾も感じずに説く教師に、真の愛情があったであろうか。−(石ころのうた)

     三浦綾子は当初この小説ののタイトルを『黒い河の流れ』としていた(三浦光世『創作秘話』)がことから、歌志内(幌志内)を流れる黒い河の印象は強かったようである。

     ともすると「黒い河の流れ」の中で、自分自身は白かったが抗えずに流されたと考えがちな人間も多いであろうが、三浦綾子自身はおそらく彼女自身を、世界や社会のことを弁える知恵の無かった愚かな人間で、国家の推し進めるとおり戦争に協力してしまったことに対して呵責を感じたと思われます。

     同じく「石ころのうた」の中でこのようにも書いています。
    − わたしは教育が何であるかを、全く知らなかった。わたしは戦争はいけないと教えるべきであった。人間は神以外のものを恐れてはならないと教えるべきであった。−

     『銃口』はこのような三浦綾子の一生の省察が籠められた作品です。是非6月14日から始まる『銃口』展にお越しください。
  • [16] mixiユーザー

    2016年05月10日 23:06

    『銃口』展に向けて その21

    『石ころのうた』は、三浦綾子の青春を描いた自伝であるが、その青春とは、軍国教師として「皇国民」の育成のために全身全霊を傾けるものであった。

    「人間である前に国民であれ」とは、あの昭和十五、六年から二十年にかけての最も大きなわたしたちの課題であった。これは三浦綾子が『道ありき』に記した言葉である。

    しかしながら、日本は負けてしまった。
    連合軍の指令により、愛する生徒たちに命じて国定教科書に墨をぬらさなければならなくなってしまった。
    信じていたことが覆され、愛する者たちに対して呵責の念が生じる。

    軍国教師としての挫折が心身に深いダメージを与えた結果、精神的なアイデンティティを失い自暴自棄な生活を送る綾子であったが、結核が身体を蝕んできた。

    『石ころのうた』の終盤はこのような内容である。

    わたしはふいに、自分が路傍の小さな石ころのように思われた。いや、それはわたしだけではない。同時代に生きた多くの人の姿なのだ。石ころは踏まれ、蹴られて何音顧みられるところもなくない。如何に一心に生きているつもりでも、結局は路傍の石に過ぎない。わたしは、自分が蹴られて、溝(どぶ)に落ちた小さな石だと思った。

    『石ころのうた』は小さな石ころが、溝(どぶ)に沈んでしまうという、転落のイメージで終わるというひたすら下降の物語である。

    戦後坂口安吾は「堕落せよ」と主張したが、まさに三浦綾子は心身ともに、全てを失って下降の極みまで運ばれたのである。

    『銃口』はこのような熾烈な体験を潜った三浦綾子が渾身の力を振り絞って、描き出した、懺悔の作品とも言えると思います。

    この続きは『道ありき』にて・・・

    是非6月14日から始まる『銃口』展に足をお運びくださいませ。
  • [17] mixiユーザー

    2016年05月12日 22:49

    『銃口』展に向けて その22

     『石ころのうた』の最後で「わたしは、自分が蹴られて、溝(どぶ)に落ちた小さな石だと思った。」と記した三浦綾子の魂は、生きる目的・生きる力を失い、彷徨を始めた。
     心が生きる力を失い、自暴自棄な精神状態となり、結納の日に脳貧血を起こして倒れ、最終的に肺結核を発症してしまった。

     三浦綾子は教師と言う職に全身全霊で打ち込んできたので、教えてきたことが間違っていたとなったことで、アイデンティティを喪失したのである。

     このあたりの心境を三浦綾子は『道ありき』の中でこう記している。
    (わたしは七年間、一体何に真剣に打ちこんできたのだろう。あんなに一生懸命に教えてきたことが誤ちなら、わたしは七年をただ無駄にしただけなのだろうか。いや、誤ちを犯したということは無駄とは全くちがう。誤ちとは手をついて謝らなけらばならないものなのだ。いや、場合によっては、敗戦後割腹した軍人たちのように、わたしたち教師も、生徒の前に死んで詫びなければならないのではないだろうか)

     自分の拠って立つべきものをすっかり失い、そして何よりも愛してきた生徒たちから離れた綾子は、自責の念に責められるが、折から発症した肺結核によって、それが薄らぐ思いがしたと、『道ありき』にある。

     さて、当時名を上げてきた作家の一人が坂口安吾である。佐々木中が坂口安吾の『堕落論』などを扱いながら、その『堕落』の意味について論じているのを見つけたので引用してみたい。

     −堕落とは何か。すべての巨大な破壊、すべての膨大な死、すべての根拠の粉砕のあとで、すべての道徳が虚妄であることが暴露され、すべてが信じられなくなったあとで、それらが無根拠であることが底の底まで知れてしまったあとで、これからわれわれが創り出すものもまた無根拠であり非道徳的であり何物にもならずにいつかまた無惨に打ち砕かれるものであったとしても、−それをまた創り直さなければならないということです。−(佐々木中『仝』所収『砕かれた大地に、ひとつの場処を』)

    昭和二十一年ごろの三浦綾子の状態はまさに「すべての巨大な破壊、すべての膨大な死、すべての根拠の粉砕のあとで、すべての道徳が虚妄であることが暴露され、すべてが信じられなくなったあとで、それらが無根拠であることが底の底まで知れてしまったあと」途方にくれている状態であったろう。

    三浦綾子の魂は、形を失い、方向を失い、信じる力を失い、虚無の世界を漂うように彷徨っていたと言える。

    ところが、ある日綾子が前川正に勧められて聖書の「伝道の書」を開けたときに、度肝を抜かれることになる。
    それは「伝道の書」に
    「伝道者曰く。
     空の空、空の空なるかな。すべて空なり。日の下に人の労してなすこところのもろもろのはたらきは、その身に何の益かあらん。世は去り世は来る。地は永久に保つなり」
    「日の下に新しきものあらざるなり」
    などとこの世にあるいっさいを、すべて空しいと徹底的に書いてあるのを発見して、心が大きく動かされたようである。

     三浦綾子の虚無の彷徨も、「伝道の書」に触れていよいよ底を打つことができたのである。

    6月14日から始まる『銃口』展は虚無の淵から生還した作家三浦綾子が、自身の教師時代の反省・悔悟を籠めた作品でもあります。戦前・戦中 と 戦後という二つの時代を精一杯生き抜いた作家の魂に触れてください。
  • [18] mixiユーザー

    2016年05月15日 22:52

    『銃口』展に向けて その24

    『銃口』(下)の最後は次のように締め括られている。
    ―「昭和もとうとう終わったわね」
    「うーん、そういうことだね。だけど、本当に終わったと言えるのかなあ。いろんなことが尾を引いているようでねえ・・・・・」
     竜太が答えた時、不意に強い風が吹きつけてきた。二人は思わず風に背を向けて立ちどまった。―(『銃口』下)

    尾を引いているということは、それが復活する、または別の形で立ち現れる可能性が有るということだと思う。

    坂口安吾は流石に慧眼であった。
    前回も引用した『続堕落論』の箇所で既に、その危険を示唆している。
    ― 私は日本は堕落せよと叫んでいるが、実際の意味はあべこべであり、現在の日本が、そして日本的思考が、現に大いなる堕落に沈淪しているのであって、我々はかかる封建遺性のカラクリにみちた「健全なる道義」から転落し、裸となって真実の大地へ降り立たなければならない。我々は「健全なる道義」から堕落することによって、真実の人間へ復帰しなければならない。
     天皇制だの、武士道だの、耐乏の精神だの、五十銭を三十銭にねぎる美徳だの、かかる諸々のニセの着物をはぎとり、裸となり、ともかく人間となって出発し直す必要がある。さもなければ、我々は再び昔日の欺瞞の国へ逆戻りするばかりではないか。先ず裸となり、とらわれたるタブーをすて、己れの真実の声をもとめよ。―(続堕落論)

    『ともかく人間となって出発し直す必要がある。さもなければ、我々は再び昔日の欺瞞の国へ逆戻りするばかりではないか。』

    『ともかく人間となって出発し直す必要がある。さもなければ、我々は再び昔日の欺瞞の国へ逆戻りするばかりではないか。』

    坂口安吾も三浦綾子も最早居ない。

    この問いかけは、私にそしてあなたに投げかけられている・・・
  • [19] mixiユーザー

    2016年05月28日 11:53

    『銃口』展開催に向けて その27
    開催まであと17日となりました。

    『銃口』は「北海道綴り方連盟事件」に題材をとっている作品ですが、『銃口』発表までそれほど世間に知られてはいませんでした。
    ネットで竜太と同じように昭和十六年一月十日に突然警察に逮捕された方のお嬢さんが、当時のことを記している記事を見つけましたので、シェアをさせて戴きます。

    最初だけ引用させて戴きます。
    -------------------------------引用開始---------------------------------
    当時の土橋家の家族

    昭和十六年当時の我が家は、父土橋明次・母鉄子と私と二才下の妹道子それに祖母ソワ(父の母)の五人家族でした。
    父土橋明次は、旭川中学校、旭川師範学校を昭和五年三月に卒業、教師として東旭川の旭川小学校に勤務していました。特に綴り方の指導に熱心で、綴方教育連盟にも参加して勉強していたようです。家でも、文集などの原稿の原紙切りをしていた姿を覚えています。母鉄子も同じ学校の教師でしたが結婚後は家庭に入っていました。

    父の突然の特高警察連行る

    平凡な一市民の住まいに、昭和十六年一月十日早朝、全く突然、旭川警察署特高刑事三名が来て、父の手紙、書物、文集等を押収したうえ、父はわけもわからぬまま連行されたのです。父が三〇才の時のことです。治安維持法違反容疑の「北海道綴方教育連盟事件」と後にいわれた事件です。
    その日、旭川や釧路の小学校教師約六十名(八十名ともいわれる)が一斉に検挙され、新聞記事は警察段階で掲載しないよう措置をとられたので、一般には殆ど知らされなかった事件です。
    その日の内に帰れるつもりで連れて行かれた父ですが、帰宅するまでには二年半の歳月が費やされました。
    このように私達が東旭川から転居を余儀なくされたのには、太平洋戦争の開戦が昭和十六年十二月八日ですから、当時の日本が戦争へと傾斜して行った暗い時代が背景としてあるのです。
    この事件は、共に苦渋の二年半を過ごした父の敬愛した坂本亮氏の言を借りると、「狩るべきものを狩り尽くした思想検察が、徒食のそしりを免れようとして仕立てたまったくの虚構事件」で、綴方を、きれいごとでなく、自分を、周りをありのままにみて書き、考え、話合う、そんな指導教育に熱心に取組んでいた青年教師に、時の「治安維持法」の拡大解釈を当てはめ、共産主義信奉者に無理やり仕立て上げて自白を強要するという、誠に恐ろしい理不尽な事件でした。検挙された教師の多くは釈放されましたが、父を含む十二名は警察署間のたらい回しの後、この年の六月下旬には釧路地方裁判所検事局に送られ、起訴、予審を経て公判に付されたのでした。

    以下省略

    元記事はこちらです。
    「上富のこと 思い出すままに」
    http://www.town.kamifurano.hokkaido.jp/…/s…/2301nakagawa.htm
  • [20] mixiユーザー

    2016年06月01日 22:45

    『銃口』展に向けて その32
    6月14日までの開催まで2週間切りました!

    『銃口』は三浦綾子の最後の小説作品で、三浦文学の集大成ともいえる作品だと思います。

    小学館文庫の解説で、文芸評論家であり三浦綾子記念文学館の初代館長であった高野斗志美は、この作品について次のように述べている。素晴らしい解説だと思いますので一部抜粋させていただきました。

    --------------------------------引用開始--------------------------------

     すでに、治安維持法は一九二五(大14)年に成立をみていた。国体(天皇制国家)と私有財産制度にとって危険とみなされる思想と行動に死刑の最高刑でのぞむというこの法律は、日本敗戦の一九四五(昭20)年まで、国民全体の日常生活を監視し、恫喝し、反国家と目されるあらゆる思想と行動を圧殺する権力の武器であった。その法律によって呪縛されていた民衆の運命を、『銃口』の作者は、北森竜太という青年教師がこうむった悲劇をとおして明らかにしようとこころみたのである。この意味で、北森竜太の青春にいたる足どりは、日本ファシズムの戦争体制に強力に組みこまれていく日本民衆の悲劇そのものを象徴していると言えよう。

     中略

     小説は、一九八九年二月二十四日の昭和天皇大葬の日、東京の街を歩いていく竜太・芳子夫婦の姿でしめくくられる。竜太はすでに満七十一歳をむかえている。昭和の時代は終わったのである。だがなお、竜太と芳子の心には過去の時代が暗い残像のようによぎる。

     三浦綾子さんは抜群のストーリーテラーの力量をかたむけて北森竜太の波乱にみちた人生を描きあげた。そのことによって「昭和とはなんであったおんか」を鮮烈に問いかけた。戦争の記憶を風化を許さぬものとして現在に呼びもどした。それはまた、ひとりの人間として、ひとりのキリスト者として、そしてひとりの作家として、深い責任感にうながされて、国家権力と民衆の関係を問いかけ明らかにすることであった。この作品によってついに<石ころ>は鮮烈な叫びをひびかせた。三浦文学のすぐれた記念碑である。 

    (『銃口』小学館文庫 解説から抜粋)
  • [21] mixiユーザー

    2016年06月02日 22:54

    『銃口』展に向けて その33
    6月14日(火)の開催まであと12日です!

    『銃口』は「北海道綴方連盟事件」を題材にとった三浦綾子最後の小説作品です。
    作文教育に熱心な小学校教師数十人がある日突然特高の思想弾圧の対象とされ、長期間拘留され、無実であるのに有罪判決を受けた事件です。

    「北海道綴方連盟事件」を理解するための書物として何回か『獄中メモは問う』を取り上げてきましたが、今日はその他の書物として2冊ご紹介したいと思います。

    その1
    佐藤将寛 著
    「三浦綾子の最後の小説『銃口』を読む
     −綴方事件とそのモデルたち−」
    柏艪社 刊

    ―綴り方事件とそのモデルたち―
    『銃口』のモデルとなった人々はどんな人生を送ったのか?

    教育史上に残る思想弾圧事件を、独自の視点で追う。
    三浦綾子は「綴方事件」の真実にどのように迫ったのか?

    【目次】
    第1章 「綴方事件」の経緯と背景
    第2章 壺井栄(大石先生)と三浦綾子(北森竜太)
    第3章 マスコミにおける『銃口』のモデル報道
    第4章 「綴方連名事件」
    第5章 『銃口』の舞台と生活綴方実践のモデルたち

    綴方連盟事件の被害者たちの歩みを調べ、三浦綾子の『銃口』を読み解くような形になっています。著者も教育者として職を全うした方であり、更に自身の義父が被害者の一人であったことから事件への思いは深いです。

    その2
    平沢 是曠 著
    「弾圧―北海道綴方教育連盟事件」道新選書
    北海道新聞 刊

    教育現場まで介入してきた当時の特高の取り調べの様子がわかるとのこと。
    著者は北海道新聞社などからこの他に5冊現代史の著作を出している。
    〇越境 - 岡田嘉子・杉本良吉のダスビターニャ 道新選書
    〇汚名 - ゾルゲ事件と北海道人 道新選書
    〇哲学者菅季治
    〇叛徒 - 2・26事件と北の青年将校たち 道新選書
    〇開戦 - 大本営陸軍部・道産子幕僚たちの苦悩 道新選書

    この機会にぜ6月14日(火)から始まる『銃口』展に足をお運びくださいませ。
    三浦綾子読書会さんの写真
    三浦綾子読書会さんの写真
    三浦綾子読書会さんの写真
  • [22] mixiユーザー

    2016年06月04日 21:52

    『銃口』展に向けて その35
    開催まで10日となりました。

    今日は、教師時代の三浦綾子(堀田綾子)を知る教え子の方の記事を見つけましたので、ご紹介します。

    http://www.dominiren.gr.jp/modules/news1/print.php?storyid=611

    貴重な証言がいくつもありました。

    「大きくなったらね、あなたがたも、み国のために死ぬのよ」
     
    17歳の軍国少女、堀田先生は、一点の疑いもなく、天皇のために死ぬことを村田さんたちに求めました。

    村田さんは「展示してある三浦綾子さんの写真はどれも憂いを含み、病苦だけではない、あの戦争で受けた傷の深さを感じます。

    以下をご覧ください。
    ----------------------------------------------------------------------

    作家・三浦綾子(1922?1999年)没後10年特別企画展「三浦綾子 いのちへの愛」が今月1日から9月27日まで北海道立文学館(札幌市中央区中島公園1の4)で開催されています。

    三浦(旧姓・堀田)綾子さんの教え子、村田守逞(もりとし)さん(78歳、札幌市南区在住)に同展会場で話を聞きました。

    同一人物と知らず
     
    20年ほど前、村田さんが初めて手にした三浦作品が「塩狩峠」(新潮社、1968年)でした。
     
    「人を救うために自分の命を投げ出すことが出来るものかと、強い印象を受けました」
     
    その作者が小学校時代の恩師、堀田先生とは知りませんでした。
    同窓会の案内が来て「堀田先生はどうしているだろう」と級友に聞くと「何を言うか。三浦綾子が堀田先生じゃないか」と笑われ、初めて2人が同一人物と知りました。

    ほっぺの赤い先生

    三浦綾子は1939年に旭川市立高等女学校を卒業し、歌志内公立神威尋常高等小学校に着任します。
    村田さんは当時3年生。
    父親は肺結核で床に伏し、母親が炭鉱で働いて一家を支えていました。
     
    「目が鋭く、元気で、ほっぺの赤い先生でした」
     
    戦時下で街は石炭の増産に沸き、転校生が次々に入ってきて、同級生は70人以上もいました。
     
    「おっかない先生でしたがみんな慕っていました。先生の家で隠れんぼをしていて押入の布団の中で寝てしまい、母親が『息子が帰ってこない』と大騒ぎしたこともありました」
     
    村田さんの記憶では、堀田先生の担任は3年生と4年生の時ですが、実際は3年生の時だけ。
    彼女の教え子たちの間ではよくある錯覚らしく、「わたしがあまりに厳しかったために、生徒の印象に強く残っているのであろう。いずれにせよわたしは教師冥利につきると思っている」と自伝「石ころのうた」(角川書店、1974年)に記しています。
     
    「大きくなったらね、あなたがたも、み国のために死ぬのよ」
     
    17歳の軍国少女、堀田先生は、一点の疑いもなく、天皇のために死ぬことを村田さんたちに求めました。

    「銃口」で甦る記憶

    「名前は忘れましたが、30代の男性教師がある日突然学校からいなくなったことがありました。しかし、だれもその理由を教えてくれなかった」と、村田さんは当時の記憶をたどります。
     
    後に、小説「銃口」(小学館、1994年)を読み、その疑問が解けたように思いました。
    「銃口」の主人公北森竜太は「北海道綴方教育連盟事件」で治安維持法違反に問われ、教職を追われます。
    「あの男の先生もその事件に連座して、逮捕されたのではないか」。
     
    父の病気も回復し、旧制砂川中学校に進学した村田さんは、勤労動員先の工場で飛行機の木製プロペラづくりに精出しました。
     
    1945年8月15日、国民を狂気に駆りたてた、「負けるはずのない聖戦」に日本は敗れます。
     
    堀田先生は、占領軍の命令で子どもたちの教科書に墨を塗らせながら、まちがったことを真剣に教えてきたという虚無感のなかで教壇を去ります。
    「七年間、若い情熱を注ぎ、真剣に、力を尽くして教えてきたというのに、何の充実感も誇りもない」(「石ころのうた」)という述懐は痛切です。

    教育は本当に恐い

    「愛のために生きる真摯な生き方は、軍国少女のひたむきさと一致している。教育は本当に恐いですよ」
     
    村田さんは中央大学法学部を卒業後、母校・砂川南高校(旧制砂川中学)を皮切りに教師人生を歩み続けます。
    「主権在民」の意義と「平和の尊さ」を教え子に伝え、教育への国の不当な支配とたたかいつづけた教師人生でした。
     
    村田さんは「展示してある三浦綾子さんの写真はどれも憂いを含み、病苦だけではない、あの戦争で受けた傷の深さを感じます。『銃口』や小林多喜二の母を描いた『母』(角川書店、1992年)などは、この8月にぜひ読み継いでほしい作品ですね」と話します。
  • [23] mixiユーザー

    2016年06月04日 22:06

    いよいよ開催日が近づいてきました。
    是非是非足をお運びください。
    お待ちしております。

    名  称: 三浦綾子『銃口』展
    会  期: 2016 年 6 月 14 日(火)〜 2016 年 6 月 25 日 ( 土)
    休 館 日: 日曜 入 場:無料
    展示時間: 11 : 30 〜 18 : 00
         (都合により6月14日、21日は17:30まで)
    *6月 18日(土) 11:30 〜15 : 00 、
    *6月 25日(土) 11:30 〜 20 : 00
    会 場:青山学院大学 青山キャンパス 
        ガウチャー記念礼拝堂・エントランスホール
    所在地:〒150-8366 東京都渋谷区渋谷4-4-25
    主 催  三浦綾子読書会『銃口』展実行委員会
    共 催  青山学院宗教センター
        駐車場・駐輪場はありませんのでご注意ください

    【講演会】
    “人間として生きること語ること”〜三浦綾子『銃口』が現代に語る希望
    講 師:森下辰衛
       (三浦綾子読書会代表、三浦綾子記念文学館特別研究員)
    日 時: 2016 年 6 月 18 日(土) 13 : 00 〜 14 : 30
        受付:12:00開始 開場:12:30
    会 場: 青山学院大学  青山キャンパス ガウチャー記念礼拝堂
    所在地:〒150-8366 東京都渋谷区渋谷4-4-25
    入場料: 一般500 円 学生無料(学生証の提示をお願いします)
        ◎手話通訳つきです
     
    問合先: jukou20160618@gmail.com
  • [24] mixiユーザー

    2016年06月05日 20:09

    いよいよ開催日が近づいてきました。
    「北海道綴方連盟事件」を題材にとった、三浦綾子最後の小説作品のパネル展です。是非お出かけください!!!
    心よりお出でをお待ちしております。

    名  称: 三浦綾子『銃口』展
    会  期: 2016 年 6 月 14 日(火)〜 2016 年 6 月 25 日 ( 土)
    休 館 日: 日曜 入 場:無料
    展示時間: 11 : 30 〜 18 : 00
         (都合により6月14日、21日は17:30までです)
    *6月 18日(土) 11:30 〜15 : 00
    *6月 25日(土) 11:30 〜 20 : 00
    会 場:青山学院大学 青山キャンパス 
        ガウチャー記念礼拝堂・エントランスホール
    所在地:〒150-8366 東京都渋谷区渋谷4-4-25
    主 催  三浦綾子読書会『銃口』展実行委員会
    共 催  青山学院宗教センター
        駐車場・駐輪場はありませんのでご注意ください

    【講演会】
    “人間として生きること語ること”〜三浦綾子『銃口』が現代に語る希望
    講 師:森下辰衛
       (三浦綾子読書会代表、三浦綾子記念文学館特別研究員)
    日 時: 2016 年 6 月 18 日(土) 13 : 00 〜 14 : 30
        受付:12:00開始 開場:12:30
    会 場: 青山学院大学  青山キャンパス ガウチャー記念礼拝堂
    所在地:〒150-8366 東京都渋谷区渋谷4-4-25
    入場料: 一般500 円 学生無料(学生証の提示をお願いします)
        ◎手話通訳つきです
     
    問合先: jukou20160618@gmail.com
  • [25] mixiユーザー

    2016年06月06日 23:08

    『銃口』展に向けて その37
    平澤是曠 著『弾圧−北海道綴方教育連盟事件』が届いたので、早速手に取っています。
    帯に曰く
    「治安維持法違反で教師たちはなぜ逮捕、投獄されたのか。戦時下、国家権力の手でデッチあげられた『北海道綴方教育連盟事件』の全容を初めて解明した告発の書!」

    いったいなぜ検察当局は、教育熱心な教師たちを逮捕したのか?

    島野武という弁護士は治安維持法で検挙された被告の多くの弁護を行い、戦後仙台市長に選ばれた人物ですが、同じような経歴を持つ高田冨與(戦後札幌市長)と交流を深めていった。
    ある時この島野がおおよそ次のように話したと、この『弾圧−北海道綴方教育連盟事件』187頁に記してありましたので、こちらでご披露させていただきます。

    -----------------------------------引用開始-----------------------------------
    「三・一五事件、四・一六事件の二度の検挙で、共産党は徹底的な打撃を受け、僅かに残った党組織も次々と破壊された。検挙の毎に、検察当局は共産主義の恐怖を喧伝し、膨大な予算を獲得し、特高警察と思想検察の組織を急速に拡大し、人員増を行った。組織は一度出来上がると一個の生物のように自己保存と自己増殖の傾向をもつものである。共産党はいわば検察組織にとって自らの生命を維持増大するための栄養源となった。その食餌が希少化することは組織の生命にかかわる重大事である。そこで彼らは治安維持法を改正してその適用範囲を広げ、共産党のみならず、同調者、支援者にまで及ぶこととなった。『同調者』の餌が足りなくなると、あらゆる自由主義者、ヒューマニスト、宗教人にまで検挙の手をのばした。元来彼らは「団体」とか「私有財産の変革、否認」とは無縁のもおである。

    そこで、警察は長期の留置と拷問をもって彼らに無実の自白をさせ、検事はこれを指導し、予審判事はその上塗りをして公判に廻す。公判廷でいかに無実を訴えようと最早や動かし得ない虚構の証拠がそろえらえている。たまたま勇気のある裁判官が無実の判決をすれば、たちまち左遷されるから誰も流れには逆らわない。勿論、このことは支配階級との方針とも一致し、また戦争に突入した強大な権力をもつ軍部が最も喜び極力推進した行き方であった。まさに恐怖政治の暗黒時代であった。北海道綴方連盟事件はそのような時代に生じた一連の事件の一つであった」(高田先生萬華鏡)
    『弾圧−北海道綴方教育連盟事件』187頁〜188頁
    -----------------------------------引用終了-----------------------------------

    無実と分かっていて、強引な捜査(操作?)と拷問などによって人生を滅茶苦茶にしてきた特高警察の遣り口は、今のこの世界で絶滅したわけではありません。世界のあちこちで同様のことが繰り広げられているように思います。

    私たちは目を見開いて、世の動きを把握して、不断の努力で闘っていく必要があるのでしょうね。

    6月14日(火)から『銃口』展が青山学院青山キャンパスで開催されます。
    https://www.facebook.com/%E4%B8%89%E6%B5%A6%E7%B6%BE%E5%AD…/
    是非お出かけくださいますようお願い申し上げます。
  • [26] mixiユーザー

    2016年06月07日 22:52

    『銃口』展に向けて その38

    「北海道綴方連盟事件」は教育の世界に対する国家の干渉であったが、実はほぼ同じ時期に「美術教育」も同じように国家権力からの干渉を受けていました。

    更に「保育問題研究会」のメンバーにも官憲の手は伸びて、最後には幼稚園や託児所の保母たちも検挙されたそうです。
    (<a href="http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-198.html">日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
    The Labour Year Book of Japan special ed.
    第五編 言論統制と文化運動
    第二章 学問研究にたいする弾圧</a> から抜粋)

    今日は「生活図画事件」について記したサイトをご紹介したいと思います。
    <a href="http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/204ded10c539c6c7389af067e895bae8">
    薔薇、または陽だまりの猫</a>
    思想弾圧「生活図画事件」 生存者が証言 日常の絵が犯罪に/29日東京新聞・特報

    <img src="http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/cc73541abde033a5c9d1a275e92c0c89a8111bba.58.2.9.2.jpeg" alt="生活図画" border="0">
    -------------------------------

    戦時下、生活のありのままを描く「生活図画教育」を実践していた北海道の教員や学生らが治安維持法違反容疑で逮捕された事件があった。
    大量の逮捕者が出た思想弾圧事件だが、あまり知られていない。
    偏見を恐れ、口を閉ざしていた関係者の一人が当時を証言した。
    特定秘密保護法など戦前の思想統制と似た時代が到来する中、「一人一人が小さくても声を上げなければ」と訴える。 
    (出田阿生)

     二枚の絵がある。題名は「レコードコンサート」と「休憩時間」。一枚は、レコードをかけ、クラシック音楽を聴く学生たち。もう一枚は、勤労動員で製紙工場の拡張工事に汗を流した後、原野で休憩している若者。北海道音更町の松本五郎さん(九三)が、二十歳のときに仲間を描いたものだ。
     これら何げない日常風景の絵が、「犯罪」の証拠とされ、一九四一年九月、当時、旭川師範学校五年生だった松本さんは、治安維持法違反容疑で逮捕された。
     絵が好きだった松本さんは、師範学校の美術部長に就いていた。師事していた教員の熊田満佐吾(まさご)さんは「生活図画」という教育運動を進めていた。単に美しい絵を描くのではなく、生活のありのままを絵に写し取り、より良い生き方を考える。そんな教育手法だった。
     当時、同様の教育運動の作文は「生活綴方(つづりかた)教育」、美術は「生活図画教育」と呼ばれていた。
     ところが四〇年一月、生活綴方教育が「子どもに資本主義社会の矛盾を自覚させ、共産主義につながる」として、教員らが一斉検挙される事件が起きる。逮捕されたのは、五十六人ともいわれる。
     翌年一月、今度は生活図画教育を指導していた熊田さんが特別高等(特高)警察に逮捕される。松本さんら教え子も、同年九月、寄宿舎に突然やってきた警察官に連行された。
     共産主義思想を学んだこともなく、全く身に覚えがない。「二、三日で帰れるだろう」と思っていた。だが、それは大間違いだった。
     接見禁止で外部との連絡を絶たれ、独房に放置された。シラミの卵が産みつけられた布団を体に巻いて、眠れぬ夜を過ごした。神経衰弱になり、毛髪が針金に変化したような錯覚に陥った。
     取調べがようやく始まったのは、約二カ月後。説明すれば分かってもらえるという期待はすぐに裏切られた。「コミンテルンや唯物史観とは何か、紙に書けと言われた。『知らない』と応えると『そこに本がたくさんあるから参考にして詳しく書け』と強要された。何度も書き直しを命じられた」
     こうして、操り人形のように描かされた「論文」が、「共産主義者」を裏付ける証拠となった。
     「検事が思わず失笑した警察の調書もあった」という。松本さんは古事記の「因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)の紙芝居を作ったことがあった。ワニザメに毛をむしられ「赤裸」になったウサギを、大国主命(おおくにぬしのみこと)が治すという物語。調書では「アカ(共産主義者)を助ける意味だ」とこじつけた。
     「何を言っても受け入れられない」と、あきらめた。氷点下三〇度になる極寒の刑務所で、手足や顔の皮膚が凍傷でただれる冬を過ごし、四二年末に釈放された。その後、懲役一年三月、執行猶予三年の判決を受けた。

  • [27] mixiユーザー

    2016年06月07日 22:52

    その38続き


    人生壊され
     「逮捕されて人生を壊されたのは、純粋に夢の実現に向けて燃えていた教員志望の青年たちだった。『たとえ勤労動員で授業がつぶれても学生の本分は学問。感性を磨き、どう生きるかを考えよ』と説く熊田先生の教えに感動した。それがすべて罪とされた」
     師範学校を退学処分となった松本さんは、戦後、卒業資格を取得して教員になった。「竹やりで戦車に立ち向かえという国家総動員体制では、科学的な思考は邪魔になる。自分の頭できちんと考える教育をすることが危険視されたのだろう」と松本さんは言う。

    現存者2名
     「生活綴方事件」については、事件を題材とした作家三浦綾子さんの小説「銃口」で広く知られている。だが、生活図画事件は知る人は少ない。しかも、逮捕された人の中で、現存者は松本さんを含め二人だけだ。
     長年話さなかったのは、思い出すことのつらさに加え、偏見を恐れたからだという。松本さんとともに逮捕された仲間の一人は、勤め先で「思想犯で刑務所に入っていたことがあるらしい」といううわさを社内で流され、会社の要職を外されたという。元号が平成にかわった後の話だ。
     「もう事件について黙っているときではない」。松本さんが事件について語り始めたのは八十歳を過ぎてから。「語ってほしい」と自らの教え子たちに背中を押されたことも大きかった。今年九月には「証言 生活図画事件」を自費出版した。
     今、教育基本法には「愛国心」が盛り込まれ、国家安全保障戦略にまで「わが国と郷土を愛する」という文言が入った。そして、特定秘密保護法によって、国民の知る権利が奪われようとしている。
     「知る権利が奪われたら、為政者が思いのままになる。人権より国家を優先させる時代にしてはならない」と松本さんは憂える。「今ならまだ間に合う。誰かがなんとかしてくれるだろうと思うのは駄目。一人一人が声を上げ続けなければ」

    「関係ない」が統制招く 小樽商科大荻野富士夫教授
     大正デモクラシー時代、子どもに作文や図画を自由に創作させる教育運動が各地で起きた。一九三〇年代半ばには生活に密着した形を目指して「生活教育運動」となり、特に東北地方や北海道で盛んだった。こうした運動が四〇年前後に集中して弾圧を受けた。
     共産主義者ではない教員や学生が大量に検挙された。「現状を客観的にとらえ、改善を考えよう」という教育趣旨を、当局が「危険思想の芽生え」として摘み取ろうとしたのだ。
     北海道での弾圧が突出しているわけではない。自然条件が厳しい土地柄で、苦しい生活を直視する教育をすれば、社会の矛盾に気づきかねないと当局が警戒した側面はあるかもしれない。
     父や兄が徴兵されて人手不足なのはなぜなのか。子どもがそうしたことを考えれば、戦争反対とまでいかなくても厭戦(えんせん)的な気持ちにつながる。
     治安維持法制定当時、政府は「慎重に運用」「一般国民とは関係ない」と説明した。多くの人が「自分とは関係ない」と思っていたら思想統制の社会が到来した。安倍晋三首相の靖国神社参拝や改憲への動きを見ると、特定秘密保護法が将来どう運用されるのか、やはり安心できない。
    -----

    生活図画事件 人々の暮らしを写実的に描く「生活図画」という教育運動が弾圧された事件。「資本主義の矛盾を自覚させ、共産主義を広めかねない」として、旭川師範学校や旭川中の教師、学生らが治安維持法違反容疑で逮捕された。逮捕者は27人にも上るとされる。

    ------
    デスクメモ
    「銃口」は、三浦綾子さんが、晩年に病を押して書いた長編小説だ。敗戦で国家のうそに気づき、小学校教員を退職した。軍国主義教育に関わったことに、長く後悔の念があったという。当時、深く心が傷ついた人たちが、その教え子たちが、声を上げている。三浦さんの思いも伝えていきたい。(国)
  • [28] mixiユーザー

    2016年06月08日 22:32

    『銃口』展に向けて その39
    師範学校とはどのような学校だったのだろうか?

    『銃口』展の開催日は来週火曜日の6月14日です。
    「迫ってきたなぁ」といいうのが実感です。

    さて三浦綾子の『銃口』を読むためにも、「北海道綴方連盟事件」を理解するためにも、師範学校について調べてみました。
    ---------------------------------------------------------------------------------
     明治五年(一八七二)の「必ず邑(むら)に不学の戸なく家に不学の人なからしめん事」の太政官布告の学生発布以来、わずか数十年で飛躍的な教育の普及を遂げたかげには、師範教育の確立者であった森有礼と、その役を担った師範学校の卒業生たちを無視することはできない。彼らは国の理念の実現に向かって子供たちと対面し、聖職者としての栄光と、経済的待遇を含む社会的地位の低さの歴史の中で、その実践に黙々と励んできたのであった。

     だが、そこには全寮制度による軍隊式の教育法のミリタリズムの導入によって行われた師範教育と、それによって培われたもの言わぬ教師が生まれたことも確かであった。それは軍事技術の習得と、軍人精神の涵養を主眼として、陸軍幼年学校から陸軍士官学校に至る軍人教育の伝統的性格に似ているとして、前掲の「現代の教師」じゃ「年少期から、技術と精神を画一的、強制的に注入することは職業教育として効率的ではあるが、その限界もまたここにある。いずれも十四、五歳の少年期に乗車した途端に、人生の終着駅は決定せられている汽車のようなものだ。しかもこの汽車には窓がない。一般社会の波風や冒険から遮断されて、安全ではあるが、視野も、展望もない。他のコースをとった同年齢の青少年が、事故の未知の可能性に賭けて、不安定ではあるが、自由な青春を彷徨するのに比べて、リスクは少ないが、人間を固定した、融通性のないパターンにはめこんでしまった」という。

     確かに師範学校の生徒は、学校から学費のほか帽子、制服、靴などの被服費が支給されるなどの恩典に浴していた。(北海道の昭和六年当時の学費補助は、本科生徒十一円、専攻科生徒十三円、被服費は十五円であった)だが、彼らは卒業後は五か月間の短期現役兵として軍隊に入り、軍国主義が教師を通して児童生徒に徹底されるように期待され、師範学校から営門へ、そして赴任地の小学校へという形態を多くの生徒はとった。ある一定の期間は教職の道につくことを義務づけられるなど、初めから決められた人生コースを与えられ、彼らはただその道を歩むだけであった。(「北海道教育史」)いわば、教師は国の丸がかえの従順な召使でもあった。

     大正の初め、札幌師範学校で学んだ高田富與は、その頃全寮制のもとで外界から隔離された寄宿舎生活は、すべて軍隊の兵営生活と同じように喇叭によるもので、起床六時、点呼六時三十分、朝食七時、授業開始八時、正午昼食、夕食六時、次週開始七時、自習終了及び点呼九時、就寝九時ときめられており、その生活は極めて厳格であったことを記している。(「なぎさのあしあと」)
           中略
     そこには教育が゛何であるか″を問い、自由に考える余地はなかった。ただ性急に教育の効果のみが追及され、そのための技術が訓練された。(「現代の教師」)
    (平澤是曠著「弾圧 北海道綴方教育連盟事件」47頁から49頁)

    wikiの日本の師範学校からも以下の通り引用します。
    概要

    師範学校は、卒業後教職に就くことを前提に授業料がかからないのみならず生活も保障されたので、優秀でも貧しい家の子弟への救済策の役割も果たしていた。師範学校→高等師範学校→文理科大学というコースをたどれば、学費無料で中等学校→高等学校→帝国大学というルートに匹敵する教育が受けられたため、経済的な理由で進学を断念せざるをえない優秀な人材を多く吸収した。

    この制度に助けられた人物に、明治・大正期の陸軍軍人秋山好古や、昭和期の軍人・韓国大統領朴正煕(どちらも教師を経て陸軍士官学校入学)、朝鮮戦争で創設まもない韓国軍の若き指揮官として活躍した軍人・外交官・実業家である白善ヨプ(師範学校卒業後は満洲国の軍官学校(士官学校)に入学したため、勤務義務は免除された)、実業家五島慶太(東急グループ初代総帥、旧制上田中学卒業後、小学校の代用教員を経て東京高等師範学校→英語教師→東京帝国大学)らがいる(なお作家菊池寛は家庭の経済的事情で東京高等師範学校に進むことを余儀なくされたものの、素行が原因で退学処分を受け、素封家からの援助を取り付けて一高に入学し直した)。

    人間として成長・人格を陶冶するということよりも有用な人材の育成に主眼が置かれた教育制度になってしまっていたようですね。

  • [29] mixiユーザー

    2016年06月09日 22:54

    『銃口』展に向けて その40
    「北海道綴方連盟事件」で逮捕された教師の遺した「獄中メモ」を見出し、世の中に出した佐竹直子さんの「獄中メモは問う−作文教育が罪にされた時代」の最終章「現代ヘのメッセージ」の中で、国民統制の時代を研究する小樽商科大学教授の荻野富士夫さんがこのように語っておられることに着目したいと思います。

    ―綴方事件をどうとらえていますか。
    「子供たちの作文教育が罪になるなんて、今ではあり得ない話。しかし国は当時、戦争を遂行する大きな流れの邪魔になるものは、例え小石みたいなものでも、どんどん排除しました。綴方事件は、政府が治安維持法を牛刀のように振るい、国民を抑圧した時代を象徴する事件です。私は現代に、この時代に通じる危機感を覚えます」

    ―どういうことでしょうか。
    「1925年(大正14年)に制定された治安維持法は制定当初、政府が国会で『警察が一方的に犯罪行為を認定して検挙するようなことはありえない』と説明しているにもかかわらず、その後、2度の改正を経て、国民を自在に弾圧できる”打ち出の小づち”へと変わりました。そして1937年改正の軍機保護法では、軍事機密の探知や収集、漏えいに関わったと捜査当局が判断すれば、軍人だけでなく民間人も処罰の対象となりました。綴方事件発生後の1941年5月施行の国防保安法では、軍事だけでなく外交、財政、経済、政治も国家機密となりました。さらに政府は、太平洋戦争開戦直後の1941年12月19日に、言論・出版・集会・結社等臨時取締法を成立させました。戦時下の安寧秩序保持を理由に、言論や出版、結社等の自由を極度に制限する立法でしたが、『等』が入っているので、なんでも処罰対象になり、流言飛語のたぐいや個人の雑談でも逮捕されるようになりました。政府が、どんどん国民への監視の網を広げていったのです」

    「2013年12月に特定秘密保護法が成立しました。国民からの反対の声が多数上がりましたが、『今のままでは日本はスパイ天国』『同盟国と連携するためにも情報を秘匿するきまりをはやくつっくらなければならない』というのが政府側の説明です。『そんなに大げさに考えなくても』と言う人もいます。でも、治安維持法や戦時立法にかかわる事件の研究を続けてきた私には、かって治安維持法を柱に、その後成立したさまざまな戦時立法で国民ががんじがらめに監視された時代が思い出されてなりません」

    ―どんな懸念を抱いていますか。
    「例えば、軍機保護法が1937年に改正された時は、その直後から、国は機密の漏えいを防ぐ防諜体制を整え、スパイの取り締まりに力を入れました。加えて、デパートで「防諜展覧会」を開いたり、スパイ防止の啓発ポスターを作ったりして、国民にもスパイへの警戒心を育て、見つけたらどんどん通報するよう意識を植え付けました。特定秘密保護法の施行により、すぐそうはならないにしても、徐々に、国全体が日常的にスパイから情報を守る警戒体制をとりつづけなければならなくなるのではないかと、危機感を覚えます。そうなれば、国民は監視の目を恐れ、自由に自分の考えや思いを発言し、文章や芸術などで表現することもできにくくなります。それでは綴方事件の時代の再来です。過去の過ちを繰り返さないためには、過去を知ることが必要です。『獄中メモ』が見つかったことが、その契機となることを願います」

    (佐竹直子「獄中メモは問う−作文教育が罪にされた時代」)

    今の我が国の法制が置かれた危機的な状況を適示してくださっていると思いました。

    6月14日(火)から青山学院で『銃口』展が開催されます。
    是非足をお運びくださいますようお願い申し上げます。
  • [30] mixiユーザー

    2016年06月10日 22:45

    『銃口』展に向けて その41
    いよいよ来週の火曜日から『銃口』展始まります(^0^)

    丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」を手に取ってみましたところ、戦前の日本国家のあり方について丸山眞男が分析している個所を見つけましたので、長いんですが引用してみます。今の政治の動きにも通底することがあるのではないかと思います。

    -----------------------------引用開始-------------------------------
    ヨーロッパ近代国家はカール・シュミットがいうように、中性国家たることに大きな特色がある。換言すれば、それは真理とか道徳とかの内容的価値に関して中立的立場をとり、そうした価値の選択 と判断はもっぱら他の社会的集団(例えば教会)乃至は個人の良心に委ね、国家主権の基礎をば、かかる内容的価値から捨象された純粋に形式的な法機構の上 に置いているのである。近代国家は周知の如く宗教改革につづく十六、十七世紀に亘る長い間の宗教戦争の真只中から成長した。信仰と神学をめぐっての果てしない闘争はやがて各宗派をして自らの信条の政治的貫徹を断念せしめ、他方王権神授説をふりかざして自己の支配の内容的正当性を独占しようとした絶対君主も熾烈な抵抗に面して漸次その支配根拠を公的秩序の保持という外面的なものに移行せしめるの止むなきに至った。かくして形式と内容、外部と内部、公的なものと私的なものという形で治者と被治者の間に妥協が行われ、思想信仰道徳の問題は「私事」としてその主観的内面性が保証され、公権力は技術的性格を持った法体系の中に吸収されたのである。


    ところが日本は明治以後の近代国家の形成過程に於て嘗てこのような国家主権の技術的、中立的性格を表明しようとしなかった。その結果、日本の国家主権は内容的価値の実体たることにどこまでも自己の支配根拠を置こうとした。幕末に日本に来た外国人は殆ど一様に、この国が精神的(スピリチュアル)君主たるミカドと政治的実権者たる大君(将軍)との二重統治の下 に立っていることを指摘しているが、維新以後の主権国家は、後者及びその他の封建的権力の多元的支配を前者に向って一元化し集中化する事に於て成立した。「政令の帰一」とか「政刑一途」とか呼ばれるこの過程に於て権威は権力と一体化した。そうして是に対して内面的世界の支配を主張する教会的勢力は存在しなかった。やげてっ自由民権運動が華々しく台頭したが、この民権論とこれに対して「海陸軍及び警視の勢威を左右に提(ひっさ)げ凛然として下に臨み民心をして戦慄」せしめんとした在朝者との抗争は、真理や正義の内容的価値の決定を争ったのではなく、「上(かみ)君権を定め下(しも)民権を限り」といわれるようにもっぱら個人乃至国民の外部的活動の範囲と境界をめぐっての争いであった。凡そ近代的人格の前提たる道徳の内面化の問題が自由民権論者に於ていかに軽々に片づけられていたかは、かの自由党の闘将河野広中が自らの思想的革命の動機を語っている一文によく現れている。その際決定的影響を与えたのはやはりミルの自由論であるが、彼は、

     「馬上ながら之を読むに及んで是れまで漢学、国学にて
      養われ動(やや)もすれば攘夷をも唱えた従来の思想が
      一朝にして大革命を起こし、忠孝の道位を除いただけで
      従来有(も)つて居た思想が木葉微塵の如くうち壊かる
      ると同時に、人の自由、人の権利の重んずべきを知った」

    と言っている。

    (続く)
  • [31] mixiユーザー

    2016年06月10日 22:46

    (続き)


    主体的自由の確立の途上に於て真先に対決せらるべき「忠孝」観念が、そこでは最初からいとも簡単に考慮から「除」かれており、しかもそのことについてなんらの問題性も意識されていないのである。このような「民権」論がやげてそれが最初から随伴した「国権」論のなかに埋没したのは必然であった。かくしてこの抗争を通じて個人自由は遂に良心に媒介されることなく、従って国家権力は自らの形式的妥当性を意識するに至らなかった。そうして第一回帝国議会の招集を目前に控えて教育勅語が発布されたことは、日本国家が倫理的実体として価値内容の独占的決定者たることの公然たる宣言であったといっていい。


    果たして間もなく、あの明治思想界を貫流する基督教と国家教育との衝突問題がまさにこの教育勅語をめぐって囂々(ごうごう)の論争を惹起したのである。「国家主義」という言葉がこの頃から頻繁に登場し出したということは意味深い。この論争は日清・日露両役の挙国的興奮の波の中にいつしか立ち消えになったけれども、ここに潜んでいた問題は決して解決されたのではなく、それが片付いたかのように見えたのは基督教徒の側で絶えずその対決を回避したからである。今年初頭の(一九四六年一月一日付)詔勅で天皇の神聖が否定されるその日まで、日本には信仰の自由はそもそも存立の地盤がなかったのである。信仰のみの問題ではない。国家が「国体」に於て真善美の内容的価値を占有するところには、学問も芸術もそうした価値的実体への依存よりほかに存立しえないことは当然である。しかもその依存は決して外部的依存ではなく、むしろ内面的なそれなのだ。国家のための芸術、国家のための学問という主張の意味は単に芸術なり学問なりの国家的実用性の要請ばかりではない。何が国家のためかという内容的な決定をば「天皇陛下及天皇陛下の政府に対し」(官吏服務規律)忠勤義務を持つところの官吏が下すという点にその核心があるのである。そこでは、「内面的に自由であり、主観のうちにその定性(ダーザイン)をおもっているものは法律のなかに入って来てはならない」(ヘーゲル)という主観的内面性の尊重とは反対に、国法は絶対価値たる「国体」より流出する限り、自らの妥当根拠を内容的正当性に基礎づけることによっていかなる精神領域にも自在に浸透しうるのである。

    (丸山眞男『超国家主義の論理と心理』岩波文庫14頁~18頁)


    -----------------------------引用終了-------------------------------

    戦前の国家である大日本帝国は、ヨーロッパで成立した近代国家などではなく、天皇を中心に置いた精神的宗教的共同体であって国民の生活・精神のすべてにわたって国家の価値判断が支配していると語っているようです。

    今の日本は表向きは全く違う国家のようですが、私たちの根っこのところに、このような気分があるのかもしれませんね。
  • [32] mixiユーザー

    2016年06月11日 20:43

    『銃口』展に向けて その42
    来週火曜日から『銃口』展が始まります。
    今まで『銃口』や『北海道綴方連盟事件に』について書いてきましたが、今日は「神に用いられた人 三浦綾子」から引用させていただきたいと思います。著者の宮嶋裕子さんは綾子さんの初代秘書を務めた方です。

    ----------------------------------引用開始----------------------------------

     三年八か月にも及ぶ連載は、綾子さんの作品の中で最長のもおんではないだろうか。真に生命を搾り出すようにして書き上げた、最後の小説になってしまった。

     この『銃口』は、軍国主義教育に携わったことで、深い痛みと虚しさを体験し、絶望と虚無の中からキリスト教の信仰を得、その喜び、幅員を伝えようとした綾子さんに最もふさわしい総仕上げとなったと私は思う。

     綾子さんは連載を終えた後『本の窓』九・一〇月合併号で次のようにその思いを語っている。

     「私ね、一番大事なのは、人間は人間なんだ、ということに徹することだと思うんです。福沢諭吉の『人の上に人をつくらず』というのはすごい言葉で、人間は人間の上に人間をつくったためにひどい目に遭って、人間の下に人間をつくったためにひどい目に遭って、本当に愚かなことをやっている。
    そして、どんな理由があっても、殺すということは創造の神の許したまわぬことで、私たちは許し合わなければ生きていけない、そういう人間であるということを認識する、それがとても大事なことだと、最近特に考えていますね。だから、人のしたことをいろいろ批判する前に、人間なんだもんな、という一つの共感をもって、そしてわかってあげられるようになればいいなと思うんです。 
    (中略)
     私が書いた軍隊や戦場は少し甘いかもしれないけど、現実の過酷な場面なら、いろんな方がもうたくさん書いていらっしゃる。私はむしろ、戦争を含めて反省すべき過去を、どういう形で提示すれば一番きちんと読者に受けとめてもらえるか、ということを考えたんです。それともう一つは、天皇制というものの中に組み込まれた哀れな軍隊の姿です。

     本当にお国のためと思って軍隊や戦場に行った人が、家に帰っても人にしゃべれない過去を抱いて、人知れず自分を責めて生きている人たちがいるんですよ。そういう人たちは、そういうところから一歩踏み出して、なぜそうだったのかというところに目を向けてほしい。そういう気持ちもあって、余り悪いぞ、悪いぞと書くのは酷に過ぎると思いました。わざわざ相手を刺激するような形ではなくて、納得してもらえる形で書きたいと思ったの」

    (中略)

     軍国主義の教育現場に立ったことの痛みを、綾子さんは終生忘れることがなかった。「いかなる英雄も、その時代を超えることはできない」という言葉があるが、かの日、教壇に立っていたことを語る時、綾子さんはどれほど涙を流してきたか。晩年『銃口』を書き終えた後と思うが、綾子さんは「仕方がなかったという生き方はしたくない。仕方があるという生き方がしたい」と語っていた。
     『銃口』を読み、舞台を観ると、平和を祈り続けていた綾夫さんが隣に一緒にいて、語りかけてくれているように感じた。

    (宮嶋裕子『神さまに用いられた人 三浦綾子』)
    ----------------------------------引用終了----------------------------------

    綾子さんの傍にいた方の貴重な意見と思います。

    私たちも、綾子さんの気持ちを思いつつ、『銃口』展の準備をしてきました。

    6月14日(火)青山学院 ガウチャー・メモリアル・ホールで『銃口』展開催されます。
    皆様のお出でを心よりお待ちしております。
  • [33] mixiユーザー

    2016年06月12日 21:05

    『銃口』展に向けて その43

    戦時中に戦争を謳歌し、国のために死ぬべきことを生徒たちに鼓吹していた三浦綾子は、戦後そのことのためにずっと苦しんだ。
    小説『銃口』はそのような軍国主義教師であった自らを省み、総括するする目的もあったと思われる。

    いったい小学校の教師が生徒、当然小学生である、に対して「国のために死ぬべきこと」を教える国家というのはどのようなものであったのか、井上ひさしの「この人から受け継ぐべきもの」の中から引用することとしたい。

    -----------------------------引用開始-----------------------------
     アメリカの場合は、作戦前に参謀たちが集まって、
    数字の上だけでも、とにかく生還率が50パーセントを
    超さないと、その作戦は採用しないという厳重なルール
    があるのです。三十パーセントしか生還率が見込めないけど、
    作戦の立て方あるいは表現のしかたで、六十パーセント
    あるからやろうというようなことはたしかにあったかも
    しれませんが、建前としては、「半分以上の兵隊が帰って
    こない限り、その作戦はやるべきではない」という不文律
    があるのです。

     ところが、日本の場合は、生還率十パーセントなんですね。
    「九死に一生」というのはまさにそのことです。
    百人の兵力を投じて十人還れば、その作戦は採用しても
    いいということなです。ですから、決して、人の命を大事
    になどしていない−−大事にしていたら戦争は出来ない
    わけですけども、一銭五厘の召集令状ひとつで若者を
    かき集めて、その人たちに「死ね」という命令をした人たちが
    いました。今度は、死んだ若い人たちがもう何もいえないことを
    いいことに、その人たちを勝手に選別して、勝手に神様にして、
    そして、天皇のために忠死したものすべて神様になるという
    幻想の回路を作った。さらにまた次の若い人たちをその回路には
    め込んで死にに行かせる。僕は、こういう構造は、頽廃しきっていると思います。

    (「この人から受け継ぐべきもの」に収録された
        「強いられた死、幻想の回路」から抜粋  )
    -----------------------------引用終了-----------------------------
    戦争を行うということは、生命を大切にすることではないと思いますが、少なくても自国民を、
    たとえ消耗品的ではあっても、
    乱暴に捨てることができる政府というのはオカシイと思うのです。
    戦争に行く=帰ってこない(10%の生還率) の図式があるから、まだまだ年若い小学校の時分から「国のために死ぬべきこと」を教える必要があったわけでしょう。

    今の日本は、子供たちに、国民に、生きろ!と語ってくれているのでしょうか?今後はどうなのでしょうか?

    三浦綾子の遺言ともいえる『銃口』のパネル展を6月14日から青山学院で開催しますので、是非是非足をお運びください。三浦綾子の問いかけに耳を傾けて戴けないでしょうか?
  • [34] mixiユーザー

    2016年06月13日 22:22

    クリスチャン新聞(Online版)
    「人間らしく」戦時の教師描いた三浦綾子『銃口』展 青山学院で25日まで 

    戦時中の教師の葛藤を描いた三浦綾子最後の長編『銃口』の展示が、明日6月14日から25日まで東京・渋谷区の青山学院大学青山キャンパス・ガウチャー記念礼拝堂・エントランスホールで開催される。

    展示パネル9枚と、創作ノート、新聞記事、関係者の手紙、文集、写真、書籍などが紹介される。

    入場無料、午後11時30分〜午後6時(日曜休館、18日は午後3時まで、25日は午後8時まで)。

    18日午後1時〜2時30分には、森下辰衛氏(三浦綾子読書会代表、三浦綾子記念文学館特別研究員)による講演会「“人間として生きること語ること”〜三浦綾子『銃口』が現代に語る希望」がガウチャー記念礼拝堂で開催される。講演会は一般500円、学生無料。手話通訳あり。

    三浦綾子読書会『銃口』展実行委員会主催。青山学院宗教センター共催。

    北海道旭川市の三浦綾子記念文学館「三浦綾子文学全国移動展示事業」の一環であり、東京で初開催となった。

    13日は、朝から三浦綾子読書会のメンバーが設営。
    展示のきっかけは、「戦争へ向かう世相の中で、私たちなりに何かできないか」という読書会メンバーの一声だった。昨年末に読書書会で呼びかけ展示を企画。
    困難は場所と会期だったが、読書会メンバーに青山学院高等学校の教員がおり、宗教センターとかけ合い共催にいたった。
    会場がある礼拝堂では、月曜から金曜の午前、火曜夕方には礼拝が開かれており、学生の往来も多い。
    読書会メンバーたちは「若者たちの中心で展示ができることができ感謝。参院選前に、まず考えるきっかけになれば」
    「政治、社会の表面だけではなく、人間が人間であること、という綾子さんの込めた深いメッセージも受け取ってほしい」と話した。
    また「キリスト教学校、三浦綾子記念文学館、三浦綾子読書会の良い連携が今後様々な場でも広がるきっかけになれば」とも期待した。

    展示設営の終わった13日午後には、礼拝堂に立ち寄った教職員や学生らが足を止めて展示を眺めていた。

    http://クリスチャン新聞.com/?p=10203
  • [35] mixiユーザー

    2016年06月14日 22:23

    『銃口』展 初日を迎えました(^^)

    出足好調ですムード
    感謝です。
  • [36] mixiユーザー

    2016年06月15日 22:13

    『銃口』展 2日目
    今日は生憎の小雨模様でしたが、『銃口』展は元気に開催していました!!

    ガウチャー・ホール・エントランスに看板を立てて戴きました!
    目立ちますね(^^)

    教会でチラシをもらった方、文学館から案内を受け取った方、友人知人、職員の方、学生さんなど、様々なルートを通して来てくださいました。

    じっくり見ていかれる方、ざっと見る方、いろいろです。

    明日も以下の通り元気に開催します!!
    是非お越しくださいね。

    【パネル展】
    名  称: 三浦綾子『銃口』展
    会  期: 2016 年 6 月 14 日(火)〜 2016 年 6 月 25 日 ( 土)
    休 館 日: 日曜 入 場:無料
    展示時間: 11 : 30 〜 18 : 00
         (都合により6月14日、21日は17:30まで)
    *6月 18日(土) 11:30 〜15 : 00 、
    *6月 25日(土) 11:30 〜 20 : 00
    会 場:青山学院大学 青山キャンパス 
        ガウチャー記念礼拝堂・エントランスホール
    所在地:〒150-8366 東京都渋谷区渋谷4-4-25
    主 催  三浦綾子読書会『銃口』展実行委員会
    共 催  青山学院宗教センター
        駐車場・駐輪場はありませんのでご注意ください

    【講演会】
    “人間として生きること語ること”〜三浦綾子『銃口』が現代に語る希望
    講 師:森下辰衛
       (三浦綾子読書会代表、三浦綾子記念文学館特別研究員)
    日 時: 2016 年 6 月 18 日(土) 13 : 00 〜 14 : 30
        受付:12:00開始 開場:12:30
    会 場: 青山学院大学  青山キャンパス ガウチャー記念礼拝堂
    所在地:〒150-8366 東京都渋谷区渋谷4-4-25
    入場料: 一般500 円 学生無料(学生証の提示をお願いします)
        ◎手話通訳つきです
  • [37] mixiユーザー

    2016年06月16日 22:39

    『銃口』展 3日目
    今日も小雨もよいでしたが、NHKのラジオ深夜便で紹介されたりしたおかげでしょうか、大勢の方にお出でいただきました。

    じりじりと来館者が増えてきているように感じます。
    本当に有り難いことです(^^)

    中にはフェイスブックをご覧になってお出でになられた方もおられたそうで、嬉しい限りです。感謝いたします。

    年齢層も広がって、下は青山学院高等部の生徒さんから上は人生の先輩の方たちまで、ぐんとワイドな広がりを感じました。

    明日は雨が明け方まで降るようですが、その後は回復基調のようですので、チャンスですよ。
    土曜日は快晴のようです。
    講演会もありますので宜しくお願いいたします。

    スタッフ一同、お待ちしております。
  • [38] mixiユーザー

    2016年06月18日 21:05

    『銃口』展 5日目 パネル展5日目で講演会もありました。

    32℃を超す暑い日でしたが、パネル展も講演会もそれぞれ大勢の方にお出でいただき盛況でした。

    明日6月19日は『銃口』展はお休みです。

    6月20日(月)から25日(土)まで以下の要領で開催します。
    宜しくお願い申し上げます。

    【パネル展】
    名  称: 三浦綾子『銃口』展
    会  期: 2016 年 6 月 14 日(火)〜 2016 年 6 月 25 日 ( 土)
    休 館 日: 日曜 入 場:無料
    展示時間: 11 : 30 〜 18 : 00
         (都合により6月14日、21日は17:30まで)
    *6月 18日(土) 11:30 〜15 : 00 、
    *6月 25日(土) 11:30 〜 20 : 00
    会 場:青山学院大学 青山キャンパス 
        ガウチャー記念礼拝堂・エントランスホール
    所在地:〒150-8366 東京都渋谷区渋谷4-4-25
    主 催  三浦綾子読書会『銃口』展実行委員会
    共 催  青山学院宗教センター
        駐車場・駐輪場はありませんのでご注意ください
  • [39] mixiユーザー

    2016年06月19日 19:24

    『銃口』展元気に開催中
    土曜日にお出でいただいた方のレポートを見つけました。

    ------------------------------------------------------------------------------

    こんにちは!
    今日は、三浦綾子さん著作の『銃口』パネル展に行ってきました。

    こちら東京の渋谷駅から歩いてJR10分くらいのところにある、青山学院大学構内の、ガウチャー記念礼拝堂で行われてます。
    会期は、2016年6月14日(火)〜2016年6月25日(土)
    日曜日は休館です。開催時間など、詳しくは
    http://shinnakano.jpn.org/news/
    をご覧くださいね。

    そして今日はスペシャル!
    旭川の三浦綾子記念文学館特別研究員、三浦綾子読書会代表の、森下辰衛先生の講演会があったのです。

    【講演会】
    人間として生きること語ること
     〜三浦綾子『銃口』が現代に語る希望

    講演会から少しだけ...

    人が人に向ける銃口とは何か?
    またそれに勝つものは何か?

    枠組みの転換
    銃を持たない人間とは
    自分を守るために銃を使わない
    相手の人間性に期待して銃を捨てる
    9条の精神に通じる

    金俊明の体験が隊員の銃口を下げさせた
    疑いと敵意に勝つもの
    一人一人の愛の体験の物語を自分の言葉で語ること

    自分の物語を自分の言葉で、
    自分の体験した良いもの を語ること
    綴り方教育は、そんな力を育むものであった

    などなど...
    他にも印象に残るお話がたくさんあったのですけど。

    とても大切なことを、考えさせられました。
    三浦綾子さんのメッセージは、今も私たちにビシビシ刺さりますね。

    聖書もまた、普遍的なメッセージです。
    そして、自分の物語を自分の言葉で語ることは、証しです。
    神様が私たちに教えて下さる愛を、みんなで共有していきたいですね!
    そんな力を神様からたくさんいただきたいです。

    パネル展、とてもよかったですよ!おススメです!
    すでにお読みになっておられる方はもちろんのこと、
    まだ『銃口』をお読みになっていない方でも楽しめます。
    そして、きっと読みたくなること請け合いです!

    6/25土曜日20:00(平日は18:00)までやっていますから、ぜひお出掛けください!

    元サイト:http://shinnakano.sblo.jp/article/175743889.html
  • [40] mixiユーザー

    2016年06月22日 21:14

    『銃口』展 元気一杯開催中

    特に午前中天気が今一つでしたね。
    そんな中今日も青山学院生が大挙して訪れてくれました。

    また一日中、大勢の方が訪問してくださり、パネルと展示物をじっくりと眺めておられました。

    開催してよかったなぁと思う瞬間です(^^)

    会期は3日を残すばかりとなりました。

    精一杯務めてゆきたいと思います。

    是非是非足をお運びください。

    スタッフ一同お出でをお待ちしております。
  • [41] mixiユーザー

    2016年06月25日 10:34

    『銃口』展 好評のうちに開催してきましたが、
    いよいよ本日最終日を迎えました。

    大勢の方にお出で頂いた『銃口』展も本日が最終日となります。

    開催は本日20:00までとなっております!!

    【パネル展】
    名  称: 三浦綾子『銃口』展
    会  期: 2016 年 6 月 14 日(火)〜 2016 年 6 月 25 日 ( 土)
    休 館 日: 日曜 入 場:無料
    展示時間:*6月 25日(土) 11:30 〜 20:00
    会 場:青山学院大学 青山キャンパス 
        ガウチャー記念礼拝堂・エントランスホール
    所在地:〒150-8366 東京都渋谷区渋谷4-4-25
    主 催  三浦綾子読書会『銃口』展実行委員会
    共 催  青山学院宗教センター
        駐車場・駐輪場はありませんのでご注意ください
  • [42] mixiユーザー

    2016年06月26日 00:09

    『銃口』展 好評のうちに閉幕しました。
    本当にありがとうございました。

    最終日の今日は20時まで延長しました。
    19時半ごろまで来館者が絶えることがありませんでしたので
    もうちょっと出来たらよかったのですけどね・・・


    ガウチャーホールも17時半を過ぎるころから館内が暗くなってきますので、パネルを壁際に移動して最高の工夫をしました。

    そんなこんなで最後になって今までとはちょっと印象の違う展示となりました。


    熱心にご覧下さるお客様に恵まれて、本当に私たちは幸せです。

    ありがとうございました。
mixiユーザー
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  • 2016年06月14日 (火) 〜2016年6月25日
  • 東京都 青山学院 青山キャンパス ウチャー記念礼拝 堂・エントランスホール
  • 2016年06月14日 (火) 締切
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