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開催終了写真展『継承』

詳細

2006年08月25日 16:01 更新

61年前広島で起きたこと

何がそこで起こっていたのか?
あの日から現在までどんな気持ちで暮らしてきたのか?
これからの未来に何を託すのか?

昨年の8月
被爆者60人のポートレートと証言をまとめた写真展『継承』が
広島と呉で行われました

そして今日から1週間
袋町の交流プラザにて
一部の写真と証言が展示されます
昨年見逃した方
観に行ってはいかがでしょうか?

なお会場では『継承』のために
HEATWAVEの山口洋が書き下ろした曲も流れています
※VoにはGO!GO!7188の浜田亜紀子が参加






宮本佳子写真展『継承』

会場:袋町広島市まちづくり市民交流プラザ 1F
日時:8月25日〜8月31日 9:30〜22:00


袋町広島市まちづくり市民交流プラザのホームページ
http://www.hitomachi.city.hiroshima.jp/jimukyoku/m-plaza.html



ここで写真の原さんの証言を記載しておきます


原 廣子さん(84歳)

当時、夫は戦場に引っ張り出されていて、私は江波の三菱広島造船所病院で働いていました。5日は当直で、6日の朝、働く準備を整え事務室に行って「おはようございます」と言ったとたんにピカッときたんです。驚いた瞬間、窓ガラスの割れる音、歯科室の治療用の器具、ガラス瓶がガラガラ落ち、どこかに逃げようと思った瞬間、レントゲン室のベッドの下に滑り込んだんです。少しの間伏せていましたが、人の声がし始めたので、廊下に出てみました。どうも近くがやられたらしいということで、私達はトラックで三菱観音工場のけが人の救護に行くことになりました。

トラックから降りたとたん驚きましたね。頭から血が噴き出す、片手のないような人、ひどい火傷で顔が膨れ上がり、髪の毛はちりぢりで、手の皮膚は剥がれぶら下がり、うずくまって動けない人、泣き叫ぶ人。私たちは暗くなるまで時の経つのも忘れ、治療の手伝いをしました。自分の家はあるだろうか、父母、兄達はどうなったのか恐ろしさと不安でいっぱいでしたよ。早く家に帰りたかったのですが、その夜は西練兵場で過ごしました。

翌日、広島の街は見渡す限り焼けて跡形もありませんでした。鉄筋の福屋、中国新聞社くらいですかね、なんとか残っていたのは。鉄砲町の我が家も同じで、何もありません。ぼんやりと立っていたら、町内会長さんだった人が通りがかり、父母と兄は常盤橋に避難していると教えて下さいました。私は1年前まで福岡にいたので広島の地理がよく分からなくてね。なかなか場所が分らなくて、真夏の暑い中歩き回りましたよ。夜明けとともに探し歩き、やっと母の死体を見つけました。私が縫ったワンピースを着ていて、その服が一部体にひっついていたから母だと分ったんです。顔から体全体が腫れて、唇が特に膨れ上がっていました。洋服の箱が顔にかぶせてあったんです。不思議なことに涙はぜんぜん出ませんでした。形見にしようと思って、母の髪を少しと爪を少し取っていたら、近くに焼け出された人達がいて、兄がいることを知らせてくれたんです。行ってみると、兄は体の後ろ全部、頭から足先まで焼けただれて、両耳は焼けて無くなっていました。兄は一言「やられた」と言ってバケツの水をガブガブ飲んでいました。

母は7日に、兄は8日に亡くなりました。父はなかなか見つからなかったのですが、知人の世話になり9日に亡くなりました。

「核兵器反対」とずっと唱えてきたけど、今また、被爆者にとって急激に怖くなっている毎日です。人間には、人と人との殺し合いなんか必要じゃないんじゃないですか。人を殺して勝利する心境が私には分りません。世の中はお互い尊重しあって、ゆずりあって生活していきたいですね。

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  • 2006年08月25日 (金) 8月31日木曜日まで
  • 広島県 広島市まちづくり市民交流プラザ
  • 2006年08月25日 (金) 締切
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参加者
1人