“WXY-TV Public Viewing”は、そんな進化への挑戦なのではないだろうか?彼らの会場では、彼ら自身が制作したテレビ番組が放送される。それらの映像はテレビ番組の中にあるエッセンスを自らが追体験していく物だ。 そして、それを見る視聴者の姿をさらに外部へ放送することで、彼らは「テレビを見る」という構図そのものを、その会場に出現させようとしている。彼らが作るテレビへのラブレターとも挑戦状とも取れる番組は、切なく痛々しい。しかし、その感覚こそが「テレビを見る」という行為であり、テレビというただの家電がもたらしトレーニングし続けた、情報にコネクトし自らの体験としていくという「新しい知覚」なのではないだろうか。視聴者である我々が、切なく痛々しい番組をテレビとして受け入れたとき、そのテレビを見ている自分の姿を、もう一つのテレビで確認したとき、もう一度、気が付くのかも知れない。