’87年「PARADISE GARAGE」がクローズした後の数年間は、落胆してシーンからも姿を消して、 ドラッグに明け暮れ、財産であるレコードをも売って薬を常用し、再起不能とまで言われたが、 '91年から少ないながらもクラブでのプレイを再開し、翌'92年夏にはManhattan Center For Living(AIDS,HIV救済機関)主催のクラブ「MIRACLE」のレジデントDJ,来日ツアーも成功させて復活した。 しかし、長年のドラッグ常用で心臓と体にかなりの負担がかかっていたのか、1992年11月8日NYC,Manhattan Beth Israel Medical Centerで心臓麻痺の為、突然の死を迎える。 その死にはいろんな説があるが、ラリーが最後の来日ツアーに出る時、実の母だけにはもう自分の命が短いかもしれないと、語っていたそうである。 追悼式は11月19日NY,Lexinton AveにあるSt.Peter's Lutheran Churchにて、各方面多くの人々を集めて行われ、"E-2E-4"で始まり"Love is the Message"で終焉された。
ラリーは生前、ジミーヘンドリックスのような、伝説のスターになりたいと回りに話していたそうで 過去2回の札幌で'92,7.17最初のプレイの時のラスト曲が”Wishing on a star/Rose Royce"だった。 そのわずか3ヵ月後に本当に伝説のDJの星となった。
近年DVDでその「PARADISE GARAGE & LARRY LEVAN」と1970〜80年代のNYのアンダーグラウンドクラブカルチャーの礎となる伝説が唯一'87年クローズ当時の映像として残っている貴重な記録映画、「MAESTRO」ドキュメンタリーフィルム作品がHOUSE & GARAGE ファンのバイブル的なものとして2004年発売されている。