ご来場特典:Usakuma Records 設立記念 オリジナルファイルホルダー&ボールペンをもれなくプレゼント!
主催・Usakuma Records www.usakuma-records.jp 協力・Poseidon www.poseidon.jp 問合せ先・Usakuma Records事務局 yayoi-izu@hb.tp1.jp
Benoit Moerlen ☆ the world of marimba http://yayoiii.blog101.fc2.com Benoit Moerlen myspace.com/moerimbahotmailfr Usakuma Records www.usakuma-records.jp
◆CD ブノア・ムーラン ロッキン・ローラー Benoit Moerlen Rocking Roller 2011.7.1発売 税込価格\2625(税抜\2500) Usakuma Records USAK-011 発売: Usakuma Records www.usakuma-records.jp 販売: POSEIDON 03-5390-2055
members Kalevi Uibo guitar Jacki Boesch bass Benoit Moerlen marimba, percussion, vibes, tubular bells and keyboards Charly Doll drums Jonathan Haessler percussion, drums
GONGとの関係は、1974年YOUのレコーディングでのゲスト参加から始まる。正式メンバーになるように誘われたが、ストラスブール国立音楽院をまだ卒業していなかったのと、当時のGONGのスタイルであったデビット・アレンをリーダーとするヒッピーバンドには、音楽的にもライフスタイルの面でも共感するところはなかったので、断った。しかし、Didier Malherbe と Steve Hillageには音楽的なスピリットを共有できた。
しかし、デビッド・アレンはYOUの後でGONGを脱退し、GONGは次第にピエールを中心としたジャズロック色が強くなる。Gazeuse!(1976)と続くExpresso(1978)では、Benoitは正式メンバーとなり、Allan Holdsworth, Mino
Cinelu, Pierre Moerlen, Didier Malherbes, Hansford Rowe, Didier Lockwood, Bon Lozagaら共に「素晴らしい時間」を過ごす。GOGN加入後の最初のライブは1976年Redding England Festival。さらに、Pierre Moerlen's Gongと名前を変えたバンドの、2作品、Downwind(1979)とLive(Dounwindリリースツアー時の録音、1980年発表)に参加したが、Pierre Moerlen's Gongにとって70年代最後の作品であるTime Is The Key(1980)の前、ちょうど生まれた娘とパリで同居するためにロンドンを離れることを契機に脱退した。「音楽的に行き詰って、何か新しいことをする必要があった。」
Pierre Moerlen's Gongとは、80年代後半の再編成に参加して2度のヨーロッパツアーとレコーディングを行う。この時期にBenoitが参加したのはSecond Wind(1988), Full Circle Live'88の2作品。Second Windに収められた"Say No More"を作曲する。しかし、メンバーのモチベーションは年月を経て変わってしまっていた。「足に合わない靴を履いているような感じだったし、水が多すぎて沈みそうな橋みたいだった。」
Mike Oldfieldの1979年ヨーロッパツアーに同行。「私は本当にMikeを人としてもアーティストとしても好きだ。彼は、彼がやりたいと思っているとてもはっきりした考えを持っていて、音楽の一曲の細部も一般的なフィーリングのどちらも聞く素晴らしい才能を持っている。私が後のツアーに同行していないのは、単に法的、音楽ユニオン、財政上の問題 だった。」ライブアルバムExposed(1979)に名を連ねている。残念ながら、1982年の来日には同行していない。
80年代は、ブノアは劇場で即興演奏をしていた。Scarface Ensembleとフランスをツアーして"Antoine et Cleopatre"を演奏した。Scarface Ensembleでは、 "Rivage A L'Abandon" と "Un Ennemi Du Peuple"の二つのショーのために1990-91に再び演奏した。そしてLes Federes と一緒に1983-84年に"Vaterland" を、1985-86年に "Memoires D'Un Visage Pale" を演じた。 "Memoires..." は劇場用"Little Big Man" の改作だった。そして1987年に再び "La Sentence DesPourceaux"を演じた。1985年に、L'Attroupement IIと共に Jean-Claude Guignardによって書かれた音楽でルネッサンスの終わりについての、"Le Printemps"という名のショーに参加した。1986年には、 "La Fontaine Circus" という、パリにあるthe Cirque d'Hiverで "rock circus"に参加した。
80年後半のPMG再編失敗の後、「Mike Oldfieldの "Islands"に参加した。さらに、Hansford Rowe や Jon Catler、そしてものすごいギタリストJon CatlerによるSteel Blueのプロジェクトで演奏した。彼は、LaMonte Young や David Hykesのような作曲家やHarmonic Choirの興味を引きつける"Just Intonation"と呼ばれる、魅了する演奏のコンセプトを持っている。Francois Causseがドラムで 1989年にMulhouse Jazz Festivalで忘れられない演奏をした。私はビブラフォンのピッチを全面的に変えて演奏していた!!不幸にも、アメリカツアーも数カ月前に出たアルバムにも参加できなかったけどね。」 そして、80年代遅くにはVosges地方に住み、教えたり、演奏したり、たまに作曲したりして過ごした。7人のバンドも編成したが長続きしなかった。