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開催終了犬式  変性意識LOUD

詳細

2008年11月18日 16:03 更新

心の底から、言いたいことが山ほどある。変えたいシステムが目の前に立ちはだかる。だから詞を書く。音楽を作る。ステージに立つ。全身全霊を込めて自己主張する。そんな、あたりまえのことをあたりまえに貫くだけで〈異端〉と呼ばれかねない、この国の情けない現状に真っ向からケンカを売る。かつてDogggystyleと名乗り、現在は犬式と名を改めてめざすのは、義務と権利との交換条件による制限された自由ではなく、完全なる魂の自由だ。ロック、レゲエ、ヒップホップなど、熱き良きレベル・ミュージックを身体いっぱいに吸い込んで育った、犬式 a.k.a dogggystyle!!!! DAISEN MONDOから再び山陰へ上陸!!

変性意識 LOUD 
犬式『意識の新大陸FLRESH』RELEASE TOUR

2008・12/15 (MON) @米子ベリエ OPEN 19:00 START19:30
【LIVE ACT】
犬式 a.k.a dogggystyle /ポリチカ /THE golden chair
【DJ】
村の帝王HAL /ストレッチスミス
【FOOD/DRINK】
SPATULA

TICKET 前売り券3000【1DRINK ORDER】当日券3500円 【1DRINK ORDER】
ローソンチケット【Lコード62147】

【メールにて前売りチケット予約→お名前/チケット枚数/住所/電話番号 明記の上→info@daisen-mondo.comへ送信】

問い合わせ info@daisen-mond.com


犬式a.k.a.Dogggystyle Profile

1998年結成。東京都武蔵野市吉祥寺の文化圏にて育まれた独自性の強いロックバンド。 洋の東西を問わず70年代音楽の持つ旺盛な雑食性にこそ「ロック」の本質を見出し、日本で巷に語られる形骸化したロックの在り様に対するアンチテーゼを掲げる。 また、レゲエ・パンクに端を発する「REBEL音楽」への精神的な共鳴は、黒人的なリズム音楽への傾倒を生み出す。思想・哲学を煮詰めた先にこそ突き抜けた肉体音楽の存在を見出し、自我の覚醒を呼び覚ます完成度の高いリリック・即興的に吐き出される肉体扇情的MC・磐石の演奏陣によるカテゴライズ不能なザ・オリジナルサウンドは、プログレッシブなレゲエロックとでも形容するよりほかはない。その愚直なまでに誠実な「革命性」と「ロックの初期衝動」の貫き方は、他の追随を許さない。言動ともに枠にはまらないことにかけては日本一ともいえる。フロントマン三宅洋平は、nbsa+×÷(04年〜、徹頭徹尾(02年〜)等のイベントも手がける。

2002年のデビュー以来7枚の作品をリリース。
2007年のセカンドアルバム『diego express』に続き、2008年8月6日にサードアルバム『意識の新大陸FLRESH(フレッシュ)』を発表。
圧倒的なオーラを放つライブバンドとしての定評は、数々の野外フェスでも証明されている。

「日本のロック」此処に在り。



職業・三宅洋平。父であり、コトバの人であり、日本の音楽シーンを一身に背負う音楽家であり、ワンアンドオンリーなボーカリストである彼が語る【岬の先の人類】とは?

天才とは「自分であることに対しては自分の右に出る者はいない」ってこと。自分が自分であることに対しては誰もが天才であるはずだから、自分を100%表現して生きられればいいと思ってる。そういうことを言葉にしたら「FLRESH」っていう造語になった。これは今回のアルバムのタイトルにもなっていて、肉体的な「FLESH」と、新鮮を意味する「FRESH」が合わさって出来た言葉。世間体や先入観に、人間は自分を閉じ込めながら生きている。でも自分で実際に体験して、そうじゃないなって自分の肌で感じた時に、人は子供から大人になっていくんだと思う。戦争とか宗教行為とかは、実は全て人が作った価値観やモラルで出来てるものなんだし。

 ジョー・ストラマーに出会ってから、自分で体験してそれが有りなのか無しなのか、自分自身で決めればいいと思うようになった。それから彼と同じ舞台に立つ為に頑張ってきたから、死んだ時は「一歩間に合わなかった」ってすごく泣いてしまった。当時オレはすごく不信心者だったけど、精神的にすごく世話になった人だったから、純粋に冥福を祈りたくなって。オレが出来ることは手を合わせるぐらいだったけど、すごく自然に「ありがとう、オレも頑張るよ」って祈った時に、イメージが鳥の目線で1周して。オレみたいなファンクなやつが思わず手を合わせたみたいに、例えばエジプトのカイロで普段メッカに向かってお祈りなんかしないロック少年が思わず手を合わせたかもしれないし、ロンドンのパンク少年が普段行かない教会に行ったかもしれない。各々のやり方で、世界中でジョー・ストラマーの冥福を祈ったイメージが頭に出てきた時、ロックという音楽が宗教の垣根を越えた瞬間を感じた。やっぱりみんな、戦争より音楽の方が好きだし、「音楽が好きだ」っていう価値観を持つ人は、中国の総人口よりも多いと思う。音楽が好きだという「意識の大陸」は実際に存在していて、みんながそのことに自覚すれば政治や世界はもっと変わるんじゃないかって思う。

「岬の先で人類やってます!」

 最近、人間が人類じゃなくなってきてる気がする。縄文時代、岬はあの世とのつながりで、見えない世界と交信する場所だった。だから、そこに人は骨を埋めたり、ペニスをまつったり。生命と死が交じわる場所だった海岸には、神社や寺があってみんな知らないうちに影響を受けてる。でも今は水が干上がっちゃってわかんなくなっちゃってるけど。

 御前崎にサーファーカルチャーの人たちが作ったウィンドブロウって野外イベントがある。そのイベントには、伝説のおじいちゃんがいるんだけど、どヒッピーで岬の先にテントみたいな家建てて暮らしてる。アーティストたちの打ち上げを海辺でやってると、アーティストたち以外は入れないのに入ってきて、誰よりも肉食って飲んで、気がついたらいなくなってる。そのおっさんにどこに住んでるんですかって聞いてみたら、「あそこの岬」て言って、「何やってんすか?」って聞いたら「岬の先で人類やってます!」て。すげーと思って。人類しないとなーと思って。都会のクラブのやつらの人間たるや。

 若い頃はもっと「外国人から見た日本は、みんな気付いてないけどものすげーダセーぞ」って言いたかったけど、小学生でそういうこと言うと毎日喧嘩しなきゃいけない。でも、口にすればうざがられる様なメッセージを絵に描くと先生に褒められる。その延長が、オレにとってはバンドだった。サウンドの上でばーっと喋るとみんな聞いてくれるけど、街宣車の上でしゃべっても誰も聞いてくれない。
 言いたいことが昔は山ほどあった。若かったから、怒りや悲しみとか。共感してくれる人はいるけど、出来ない人にとっては押しつけがましい。伝えるために音楽やってきたけど、もうオレのことはどうでもいいやってなってきて。みんな何か物足りなさそうにしてるけどそれが何かってことを表現しようと。「で、そういうお前は何様だよ」って言われることに慣れてからはもう何も怖くなくなったね。何様でもなくって、ステージに立ってる時は降りて来てるからすげーこと言うけどステージ降りたら一人の人間。シャーマン的な役割なんで、ステージのオレは、オレじゃないよって。初期のパティ・スミスがステージ上でトランスになることを自分の義務としてた様に。昔はもっと口数が多かったけど、オレの言葉は重すぎて言霊があるから、代わりにギターを取り入れるようにした。言葉がわからない人にも響くし。


「ピース」じゃなくって「アース」

 若い頃はかっこつけてて、「腹にあわねーものはやりたくない、そのために音楽やってんだよ」みたいな。でもこの歳になると、つっぱねることは全部つっぱねたから、つっぱねるものがなくなったというか。今度は逆に世の中を受け入れてみようかと。「排他主義はよくない」て言ってる自分が排他的な部分があった。だから最近は自分がライブで言ったことを「あ、いいこと言うじゃん」って取り入れたりとかして。昔は、自分自身が出来てないことに葛藤を覚えたり、自己矛盾だと悩んだりしたけど。アレは、オレじゃない。宇宙の抗いようのない流れ、静や動、陰や陽がオレをすっと通って、出てる。

 スピリチュアルなものに対して、戦後の日本人が極度にタブー視してるっていうか。そういうものを感じないように、洗脳
されちゃってるのかな、ビフテキばっか食って戦争してる奴らに。でもスピリチュアルな本とか売れるわけで。みんな何かひっかかりを求めてるんだよね。元々日本にもあった、そういう方向への揺り戻しが今されようとしている気がする。自分がその先頭に立つというよりは、自分たちがその現象の一部っていうか。最近、いまオレは正しく生きているっていう自信が出て来た。

 髪の毛を切ったのも、オレごときの人間がリンスとシャンプー使ってドライヤーがーぐぁーかけて、それで「ピース」て言ってそりゃ何だって思って。「ピース」じゃなくて「アース」だって思って。「ピース」っていうのは人間が戦争するかしないかであって、人間が戦争で殺し合って何人死のうが地球には全く関係ない。だから「ピース」て言って人間の血の流し合いばかりを悲劇的にとらえるけど、動物の生態系にあまりに無頓着というか、もはや「ピース」なんかどうでもいいなって思って。そのあまりの洗脳されっぷりに対する怒りがオレの10代の原点だった。

 子供が生まれて離婚して、離婚した状態で子供に会うと、より強く親ということを自覚させられる。親権を失ったことは本当にショックだったから、前よりも子供に対して真剣になったというか。即時的にいま伝わらなきゃっていうのがなくなった。例えばオレが今日死んでも、娘はオレが今までに出した7枚のアルバムをすごくよりどころにするはずだし、自分の父親が何やってたか絶対ほると思うし。オレは自分が10代の時こうありたいと思ってた自分を今まで築いてきたつもりだから、興味深くオレの足跡をたどれるはず。その安心感っていうか、世の誰もが認めてくれなくても、自分の娘だけは多分オレのやってきたことをほるだろうなっていう、絶対顧客が一人だけ出来たなって感じだね。言った言葉ややってきたことに、一切無駄はないと思うね。そう思うと逆に言葉を選ばなくなった。あと、コドモを意識すると、漢字だらけのリリックを作らなった。「思い出してごらん」とか、いつもコドモに言ってる言葉が出てくる。


FLESHでかつFRESHな感覚

 いま、今までで一番真剣にバンドやってる。一回一回のステージのクオリティを気にするようになった。今回のアルバムは、「憲法第一条、愛。以上!」。憲法なんて、いくら作っても根底に愛がなければ意味がない。流血沙汰が起きた時は周りの人間が「お前、それは愛がないよ」って裁けばいいし、人間が人間を裁くっていう行為は、裁判官じゃなくて、そいつのことをよく知ってるやつがすべき。そいつの人生の成り立ちもよく知らないで何が出来るんだって思う。知った上で、そいつにとって一番きついお仕置きを考える。「じゃあお前は一年間イベント禁止」とか(笑)。
 ここ数年、オレの言葉にすがりつく「犬式信者」とか呼ばれちゃうような言葉も出回り始めて。でも不信者であるよりも何かよりどころがある人の方が強いと思うし。「オレ無神論者だから」て簡単に言う奴は、「じゃあどうやって生まれてきたのか、ちゃんと考えたことある?」て言いたくなる。そういう「FLESH」な感覚を忘れてんだろうなって思う。

オレはよく舞台でオレの言葉に縛られんな、て言ってる。今日のオレが明日同じことを言うとは限らない。でも人間が一年前に言ったことと同じことを思っているはずないし、だったらその一年何もなかったのってことだよ。

 お客さんに対しても突き放してきたら最近わかってきたみたいで、「あ、勝手にやれってことなんだな」って。オレが言いたいことはクリエイションに対するエネルギーというか、生きてることに活力があるか、それだけなんだよね。信者でなくて、ヘッズとか、そういう言い方がいいよね。対等に付き合いたい。「dogggy heads」(笑)。自分で考えてほしい。


【動画】http://jp.youtube.com/watch?v=13d1dQU_uvQ

【犬式HP】http://www.inushiki.com/

【犬式myspace】http://www.myspace.com/inushiki (期間限定 新譜FLRESH全曲視聴できます)

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  • 2008年12月15日 (月) ド平日 月曜日
  • 鳥取県 米子ベリエ
  • 2008年12月14日 (日) 締切
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