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開催終了映画『TAIZO』

詳細

2007年03月15日 11:28 更新

4/7(土)〜 109シネマズ佐賀から全国へ本格的に興行開始! 

109シネマズ佐賀

http://109cinemas.net/saga/index.html

一ノ瀬泰造さんの生まれ故郷・佐賀県に新しくオープンした109シネマズ佐賀で4月7日(土)から連日上映されます。佐賀での初興行を皮切りに、全国への興行を本格的に開始いたしますので、是非ともご期待ください!

○映画『TAIZO』
(製作 奥山和由、監督 中島多圭子、声 坂口憲二、主題歌 森山良子、音楽 深町純)
 70年代、激動のインドシナ半島へ単身飛び込んでいった若き戦場カメラマン一ノ瀬泰造「もし、うまく地雷を踏んだら、サヨウナラ!今から、同居している多勢の子供たちを撮ります」26歳の誕生日を迎えたばかりの泰造は友人にこう宛てた手紙を残し、アンコールワットへ単独潜入。その9年後、両親により遺骨が確認された。当時を知る友人・知人や仕事を共にした仲間の証言、息子の写真集を制作しようとする母、信子さんの姿、彼の愛したカンボジアの人々・風景…3年間の緻密な取材と、残された2万コマのフィルムから生まれたのが、一ノ瀬泰造の素顔に迫る珠玉のドキュメンタリー映画『TAIZO』である。主題歌を願い出てくれたのは歌手・森山良子さん。彼女も『TAIZO』に心を打たれた1人だ。親が子を抱きしめるような優しい歌声が映像を包み込みこの映画のもう1つのテーマとも言える母の愛を鮮やかに想起させる。

一ノ瀬泰造
1947佐賀県武雄市にて清二、信子の長男として生まれる。
1963年佐賀県立武雄高等学校入学。野球部員として甲子園大会に出場。と同時に、物理部写真部門で活躍。1966年、日本大学芸術学部写真学科入学。部活動「フォトポエム」で赤津孝夫氏と意気投合し、課内外で切磋琢磨する。
1970年に卒業、UPI通信社東京支局勤務。その後、横田基地のPXで働き、インドシナ行きの資金を作る。

1972年1月、予てからの願いフリーカメラマンを目指し、インド、バングラディシュへ。インド・パキスタン戦争の終盤を撮る。その後、カンボジアへ入国。当時クメールルージュの根拠地となっていたアンコールワット一番乗りを目指し、シェムリアップへ。そこの土地の美しさ、人の優しさに魅せられ、しばらくの拠点と決める。しかし、アンコールワットを巡り、幾度となくカンボジア政府軍とトラブルを起こす。同年8月、遂にカンボジア国外退去を命じられ、ベトナムへ向かう。ベトナムでは毎日のように最前線に出かける。その甲斐もあり、次第に泰造の写真が国内外の紙面を飾ることになる。「アサヒグラフ」「週刊朝日」「ワシントンポスト」など。UPI月間賞、受賞作品もこの頃の作品。1973年4月、突然の一時帰国。被弾したカメラを残し、すぐにインドシナに戻る。ボクシングコーチという名目でビザを申請しカンボジア再入国。1ヶ月間という短期間だが精力的に活動する。ビザ期限切れで再度ベトナムへ戻るが、韓国弾薬船でメコン河を遡る決死行に出て、カンボジアへ再々入国。一層激化した戦火を撮り続けながら、アンコールワットへの潜入を企てる。11月、遂にアンコールワットへ単身潜行。消息を絶つ。

9年後の1982年、シェムリアップから北東14Kmのプラダック村で両親によって死亡が確認された。

映画『TAIZO』オフィシャルサイト

http://www.teamokuyama.com/taizo/index.html

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