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--- ■JAZZIE B (SOUL �鵺 SOUL SOUND SYSTEM) Jazzie Bとその友人Daddaeは、彼らが若干13歳の頃、Jah Ricoというレゲエ・サウンドを始め、その3年後にSoul II Soulが誕生した。“Soul II Soulという名前は、俺らの音楽だけを意味するわけではなく、Daddaeと自分自身をも意味する―つまり、一緒に寄り添う2つの魂という意味もあるわけだ。”当時のSoul II Soulはローカルレベルでの人気は確立していたが、資金がまだ必要だった。18歳の時にJazzieは、Tommy Steeleのテープ・オペレーターとして働き、時に風当たりの厳しい音楽業界で働くことのできたわずかな黒人の内の一人であった。”いら立ったこともあったけど、ある意味俺らが一切興味を持たない業界の側面を見ることはできたね。なぜなら俺らは常に最先端で活躍したかったから。そこで働くことは自分自身を鍛えてくれたよ。” 1980年代にはアシッド・ハウスという新たな音楽ジャンルが旋風を巻き起こした。”俺らはアーリー・サウンドとしてまるでアートのような存在だった。普通のスピーカーは一切使わず、ハウスパーティではフロアで花火を打ち上げ、旗やストロボ使っていたんだ!”その後、Soul ll Soulは、ロンドンのコベントガーデンにある、今では伝説的なAfrica Centreでライヴを行っていた。レコード会社が彼らに追いつくまでにそうは時間はかからなかった。
Soul II Soulは1986年に<Virgin>と契約を交わし、‘Keep On Moving’や‘Back To Life’などのヒット曲でチャートを賑わすことになる。UKや海外、そしてロンドンのKiss FMのJazzieの番組を通じて、数多くのレジデントクラブナイトを展開した。1990年、彼らは2つのグラミー賞を獲得し、JazzieはLA、NY を含むアメリカ7都市へ渡ることになる。国境を超えたアメリカでもSoul II Soul時代が到来するのである。