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開催終了第12回北京日本人学術交流会

詳細

2009年02月28日 19:46 更新


北京大学日本人留学生学術交流会は、一周年を期に今後の展開を考えて北京日本人学術交流会と改名させていただくことにしました。どうぞご了承ください。
さて、第12回北京日本人学術交流会では、中国社会科学院の研究員である孫歌氏に報告していただけることになりました。
孫歌氏は、中国では主に『読書』、日本では『思想』(岩波書店)や『現代思想』(青土社)などで様々な論考を発表し続けている思想史を専門とする研究者です。東京大学名誉教授の溝口雄三氏と日中の知の共同に関するプロジェクトを推しすすめるなど、日中の学術交流にも積極的な役割を果たしている方だといってよいでしょう。
著書には、『竹内好という問い』(岩波書店2005)『ポスト<東アジア>』(共編、作品社、2006)『アジアを語ることのジレンマー知の共同空間を求めて』(岩波書店、2002)『歴史の交差点に立って』(日本経済評論社2008)などがあります。竹内好の中国語版『近代的超克』の翻訳者でもあります。

孫歌氏には、魯迅の翻訳者としても知られ、1937年から1939年までの間に北京にも留学していたこともある竹内好について報告いただくことになっています。
近年、若い世代の日本人の間からは、竹内好の仕事は忘却されつつありますが、その著作は、ドイツ語、韓国語、中国語などに訳され、海外での竹内好の遺した仕事への関心は高まりつつあります。また日本のなかでも最近『竹内好セレクション』が刊行されるなど一部では関心が高まっているといえます。その竹内好の仕事をどう読み解くべきなのか、中国からあらわれた竹内好研究の第一人者の孫歌氏に語っていただきます。貴重な機会です。
時間と関心のある方は、ご参加ください。なお今回は、いつもとちがって清華大学で行いますのでご注意ください。
参加希望の方は、資料の準備などありますので3月4日の深夜までに山口のほう(ngodzilla21@yahoo.co.jp)まで参加希望というメールをくださいますようお願いいたします。ではどうぞよろしくお願いいたします。

日時:2009年3月6日(金曜日)(報告は午後5時から7時まで、その後はレストランに場所を移して共同討論
場所:清華大学人文社会清華大学の新人文社会科学学院353室
言語:主に日本語(部分的に中国語)
報告題目:竹内好から学ぶこと 
報告者;孫歌氏(中国社会科学院)
報告要旨:
 竹内好は生涯の著述活動において、多くの名文を残しているが、それらが名文であるのも、その決定的な要素が文章の観点や結論にではなく、問題提起の仕方にあるからなのである。竹内好は終始一貫して歴史を確定不変の実体とみなすことなく、同時に、知識人の言論が直接に社会現実を左右できると直観的に考えることもなかった。こうした前提において、竹内好は「後知恵」的な歴史読解の態度を拒否し、生涯にわたり進歩的知識人が扱おうとしなかった政治的に正しくない問題を含んだ、多くの今日からみて依然として「問題」である問題を検討した。日本には、竹内好が刺激した少なくとも二つの世代があって、それは戦後に成長した世代と戦後に生まれた世代であるが、後者は68年の学生運動の主力でもあり、今日そうした人間と交流すると、彼らは依然として、竹内好が彼らの中国そして中国革命イメージの起点となっていると語ることがある。
 
 竹内好の著作を読んでみれば、人々は彼の真に透徹した知見が、同時代史において「どうしなければならないか」を教えることでも、彼が生きていた時代に処方箋を与えることでもなく、歴史の流動性に対して高度な感受性を表現していることに気づくだろう。竹内好は日本の近現代史に一つの不確定性に満ち、それゆえに転化の契機に満ちた輪郭を描き出そうと試み、日本の同時代史により理性を備えさせるであろう転化の要素を確認しようとつとめた。このことによってわれわれはその時代の歴史の複雑性を観察しうる歴史文献を手に入れることとなったが、竹内好と同じ一つの時代を歩んできた日本人によって、そのすでに過ぎ去ってしまった時代と彼の論考の間の本当のつながりは証明されている。
 
 竹内好の中国イメージは確かに「美化」のきらいがあり、日本における同時代のある進歩的知識人らの西洋「美化」と同工異曲の妙があるが、それらはみな特定の歴史段階の中で土着文化に対して新たに設計を施そうと試みたときにとった戦略であった。もし竹内好の中国イメージに中国の歴史が持つ流動性に対する把握が欠けていたとしたら、彼が自らを一般の「日中友好人士」と区別することは難しかっただろう。実際、5、60年代にかけて、彼は「中共の金をもらっている」というデマによって中傷されることが確かにあったが、その後竹内好に対して精読を欠く性急な学者もまた彼の中国イメージに含まれる理想化された部分を一方的に強調し、彼の「歴史観」そのものは無視した。しかし、竹内好の歴史観とは、彼のさまざまな正しいあるいは誤った結論のような「できあいのもの」ではなく、言うなれば、それは彼が自らの歴史観に固定したもの言いを与えなかったことであり、われわれは彼のテクストの精読を通して、そしてその時代の歴史的コンテクストを再構築することによって、彼の歴史観を慎重にスケッチすることしかできないのである。
 
ここで、歴史読解の技量が求められるのであるが、竹内好とは、まさにわれわれが歴史読解の訓練を行う際の手助けとなる最良の対象でもあるのだ。
 戦後日本の思想史において、竹内好ほど相反する評価を受けている人間もめずらしい。日本ないし国際的な学術界の範囲において、竹内好が生きた同時代から今日に至るまで、われわれは竹内好の多面的要素をトータルな全体像として有機的に組み立てたというものを得がたいままでいる。彼を親中知識人と見なす者があれば、一方で彼を「大アジア主義」の現代的アジテーターとみる者もあり、彼を「反近代」的土着主義者とみなす者があれば、一方で彼を特異なモダニストあるいはポストモダニストとみる者もあり、彼をナショナリストと考える者があれば、一方で彼を深い位相における意味でのインターナショナリストと考える者もあり、彼を日本における戦後民主社会の樹立と反天皇制の精神的領袖と考える者があれば、一方で彼を天皇制軍国主義の擁護者と考える者がいるなど、と。
 
 こうしたさまざまに対立する見方が生み出されたのは、竹内好が同時代の左、右両派知識人のいずれとも異なっていたからである。彼をこの二つの政治的な分類に繰り入れることはできないが、かといって彼は現実の政治問題の外に超然としているわけでもなかった。彼は、たとえば「大アジア主義」の理念(竹内好にとってみれば、処理しようとした思想課題は「大東亜共栄圏」ではなく、歴史上理念として存在しその後軍国主義イデオロギーへと変質した「大アジア主義」であった)のように、保守派ないし右翼知識人と見なされる人間のみが扱う類の問題を敢えて扱ったが、彼はまた日本土着の天皇制イデオロギーと直接つながりを持つ「日本浪漫派」思潮の境界を内在的につきとめたいと考え、「相手の発生根拠に立ち入って、内在批評」するという思想的な闘争のスタイルを作り出そうと試みるとともに、これが「敵を倒す唯一の方法」であると強調した[ この竹内好が1950年代はじめに著した「近代主義と民族の問題」は1950年代末に橋川文三によって本当の意味で日本浪漫派批判の契機を推し進めたと称されたが、橋川文三の『日本浪漫派批判序説』は、現在においても日本浪漫派研究の必読書である。]。さらに東洋知識人があたかも本能的に受け入れていたかのようであった「民主」についての西洋化されたイメージに対してさえ、竹内好はまたかなり大胆なやり方でそれを明治天皇の『五箇条の御誓文』へと転換させようと試みたのである。上述したこうしたさまざまな試みは、都合のよい断片だけをとりだす読みに、少なからずつけいる隙を見せることにもなり、一点だけをとりだして攻撃する学者が出てきた。反対に竹内好から思想資源を汲み取ろうとする学者になると、しばしばそうした竹内好に不利になる事実を避けて、彼の主な功績を論じてきた。つまるところ、かりにひとりの人間が同時にいく組みかの対立する要素に分裂させられてしまっているとしたら、問題があるのはその引き裂かれてしまった対象ではなく、われわれの認識論そのものであり、日本、中国を問わず、われわれの知的訓練は十全に竹内好を扱う思想的な手だてを提供できていないといえる。
 

まさにこのような基本状況にあるため、今日においても竹内好は全体的に扱われるまでに至っていない。彼に対する断片的な読みによる批判も、深さを欠く「多少のことには目をつぶる」的な擁護も、「竹内好研究」を成り立たせるには不十分である。問題は「竹内好研究」という学術的な視野を打ち立てるかどうかではなく、われわれがまさに認識論を調整する契機を失いつつあるのではないかという点にある。日本および中国の学界において、近年相継いで竹内好に対する関心が見られる。こうした状況を踏まえ私たちは、竹内好の仕事からなにを学ぶべきなのかを報告することにする。

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