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開催終了『オレの心は負けてない』上映とお話のご案内@京都

詳細

2007年12月24日 01:39 更新

 京都での上映会のお知らせです。関西在住の方是非!

=====MLよりのご案内 =====

・・以下転送転載大歓迎・・・・

■上映&トーク
ドキュメンタリー映画 
在日朝鮮人「慰安婦」宋神道のたたかい
   『オレの心は負けてない』上映とお話

●日時 2008年1月13日(日)午後1時35分上映(開 場1時20分)
・1時35分〜3時10分『オレの心は負けてない』上映
        (2007年/監督 安海龍/95分)

・3時20分〜梁澄子(ヤン・チンジャ)さん(在日の慰安婦裁判を支える会)のお話
    『宋神道さんと共に歩んだ16年』
     宋神道(ソン・シンド)さんとの出会いと交流、裁判を支える会の活動
     を続けて来られての思い等々を自由にお話していただく予定です。
・お話の後、質疑応答・意見交流(予定)
(4時40分頃終了予定)

●会場:ひと・まち交流館 京都 第4会議室(3階)
〔※定員90名ー開場時の先着順とさせていただきます。〕
    (河原町五条下がる東側)
 案内:http://www.hitomachi-kyoto.jp/access.html
 京阪「五条」駅下車徒歩8分/地下鉄烏丸線「五条」駅下車徒歩10分
 会場TEL:075-354-8711

●参加費:1000円
●主催:ピースムービーメント実行委員会
  旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委員会
 協賛:女性国際戦犯法廷ハーグ判決を実現する会(ハーグの会)
   
●問い合わせ:
 TEL:075-751-0704(山崎)夜間21:30〜22:30
 E-mail:ANC49871@nifty.com

●映画の紹介
『オレの心は負けてない』
(2007年/監督 安海龍/95分)

(在日の慰安婦裁判を支える会のHPより) 

詳細は、http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7486/

 この映画は、中国で7年間、日本軍の「慰安婦」を強制された宋神道さんが、戦後の
日本で沈黙の半世紀を生き、日本政府を相手に10年の裁判をたたかった過程を描くドキ
ュメンタリーである。

 宋神道さんは1922年、朝鮮の忠清南道に生まれた。満16歳の時(1938年)、騙されて
中国中部の武昌で「慰安婦」をするよう強制される。19歳の時に初潮を迎え、その後た
びたび妊娠。漢口で子どもを産むが、中国人に預けて岳州に移動。「部隊付き」として
、応山、長安などに出かけることもあった。咸寧で日本の敗戦を知るが、行く宛もなく
、「結婚して日本に行こう」という日本軍人の言葉に一縷の望みを託して日本へ。しか
し1946年春、引き揚げ船で博多港に着いた後、ほどなくその軍人に放り出されてしまう
。その後、宮城県在住の在日朝鮮人男性河再銀さんに救われ、河が亡くなる1982年まで
共に暮らしたが、現在は独り暮らし。1993年4月、日本政府に対し「謝罪文の交付」と
「国会での公式謝罪」を求めて提訴した。

この裁判を支援するため、1993年1月「在日の慰安婦裁判を支える会」が結成された。「支える会」は、代表は決めない、事務所を持たない、専従も置かない、という「ないない三原則」に則って活動した。 映画は、宋さんと「支える会」が出会い、共に泣き、笑い、歯ぎしりしながら裁判をたたかう過程、そしてこの裁判を通して宋さんが歩んだ被害回復の過程を描き出す。裁判は、1999年10月東京地裁、2000年11月東京高裁で請求棄却、2003年3月に最高裁でも上告を棄却され、敗訴が確定したが、敗訴確定後の最後の裁判報告集会で宋さんは言った。 「裁判に負けても、オレの心は負けてないから」 裁判に負けても、負けた気がしない。そう言い合える関係が、宋さんと支える会、支援者たちとの間で築かれた10年だった。 しかし、「慰安婦」問題はまだ終わっていない。国家犯罪を犯した国が、責任を負っていないからである。 宋さんは今も、この日本で、二度と戦争をしてはならない、自分のようなオナゴをつくってはならないと、訴えている。●梁澄子(ヤン・チンジャ)さんのプロフィール〔トーク〕1957�年生まれ。通訳・翻訳業、「在日の慰安婦裁判を支える会」、「下関判決を生かす会」世話人。一橋大学講師。在日の日本軍「慰安婦」被害者としてただ一人裁判を起こした宮城県在住の宋神道(ソン・シンド)さんの裁判支援を行ってきた。98年、関釜裁判の下関判決を勝ち取ったのを契機に、日本軍性暴力被害者の各国の裁判、韓国・中国・台湾、フィリピンなどの被害者たちの裁判の支援団体のネットワーク・「下関判決を生かす会」をつくり、世話人として活躍。著書には「海を渡った朝鮮人海女ー 房総のチャムスを訪ねて」           (1988年 新宿書房)( 金栄 梁澄子 共著)他※在日の慰安婦裁判を支える会  http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7486/

=====MLよりのご案内おわり=====

 お断りm(__)m

〔※定員90名ー開場時の先着順とさせていただきます。〕

 ということですので、お早めに!

コメント(27)

  • [4] mixiユーザー

    2007年12月28日 08:50

    氷河さん

    >もぐらさんは朝鮮人に騙されたことを知らなかったんでしょうか?
    >ちょっと調べれば分かるコトだし、普通に公開されてる情報ですけどねぇ…

     知っていますよ。

    そして、軍が多くは現地業者を通じて「女性集め」をしたことも知っています。
    ですから、印象操作というのはあたらないかと。
    当時、朝鮮半島は日本の占領下にあり、日本軍の許可(ないしは指示)なくこういうことなどできなかったということも、ちょっと調べればわかることです。

    http://www006.upp.so-net.ne.jp/nez/ian/

     より、引用します。

    =====引用=====
    慰安婦の徴募はいろいろな手段で行われました。日本の国内で行われたと同 じ様な「身売り」もあり、なるべく穏便な手段で集めるのがやはり基本 ではあったでしょうが、「○月×日までに慰安婦××名送れ」などという軍 の電文(例えば台電935号)も残っているように、軍の命令系統を通じた 指令です。徴集現場も、員数あわせには手段を選 んでおれなかったでしょう。強姦事件で軍規の乱れを防ぐためと理由づけた のですから、十分な数の慰安婦を確保することも軍事作戦の一部だったのです。
    =====引用オワリ=====

    >それとも、知っててそういう印象操作まがいの書き方をしたのでしょうか?

     なお、ご案内はMLをコピペしたもので、ワタシの書いたものではないのです。
    しかし、ここにご紹介したのはワタシですから、もちろんワタシへのご質問は当を得たものと思います。ご理解いただけたでしょうか。


    http://www2.ocn.ne.jp/~ricky.mv/private_room/pvr01.html

     は、よい資料をご紹介くださいました。お礼を申し上げます。
  • [7] mixiユーザー

    2007年12月28日 15:44

    氷河さん

    >日本軍が女性集めしていたから、彼女が騙された相手が朝鮮人だという事柄を
    >書かなくてもいい、っという風にはならないです。

     堅苦しくいえばそうでしょうが、軍がその指示系統を使って女性集めをしたことは
    あきらかで、責任は日本軍にあります。
    中には、軍で慰安所の開設のしかたを教わったという、兵士の証言もあり
    日本軍主導で慰安所が設置されたことは明らかです。



     氷河さんは『松本大本営」というのをご存知ですか?
    もし良ければググって下さい。

     要するに旧日本軍が本土決戦になったときに大本営を移す為に
    用意した、結局使われなかった施設後ですが、ここにさえ「慰安所」が
    用意されていました。
    このことは如実に「慰安所」が日本軍主導運営されていたことを
    しめしています。


    >【軍慰安所従業婦等募集に関する件】
    >1938年3月4日付け陸軍省兵務局兵務課起案という陸軍省公文書があります。

    >そこでは主に、

    >1)慰安婦の募集を派遣軍において統制すること
    >2)慰安婦の募集に任じる人物の選定を周到適切にすること
    >3)慰安婦の募集実施にあたっては、関係地方の憲兵及び警察当局との連携を
    >密にすること


     すくなくとも、氷河さんは「慰安婦」徴収が日本軍主導で行われたということは
    お認めになるわけですね。


     もちろん、女性を占領軍の男性への性のサービスに差し出すわけですから
    できるだけ、現地の人々に対しても穏便にすむよう、そういう指示がだされは
    しました。
    しかし、日本軍が軍紀が緩み切っていて、戦地では民間人の殺害、強姦(いずれも
    国際法で禁じられている)も守れなかったことは数々の兵士の陣中日記で明らか。
    そのような指示もほぼ空文化していたことは、さまざまな元兵士の証言であきらかです。

     まぁ、こういうところなどは映画を実際鑑賞してどれほど説得力のあるものか
    見てから、感想を述べ合ってもいいのではないですか。

     ワタシは、まだ見てません。
    できるだけ見に行こうと思っています。
  • [9] mixiユーザー

    2007年12月28日 16:48

    氷河さん

    >日本兵はレイプではなくて、きちんと代金を払って、女性のサービスを受けたのです。
    >その日本軍を相手に商売をしていたのが朝鮮人の斡旋業者です。


     彼女らへの『報酬』はほとんど軍票という形で支払われ
    終戦とともに紙くずとなりました。
    また、当時の公娼制度は決して、対価を払えばいい、というやりたい放題ではなく
    厳しい法規制のもと営業がされておりました。
    年齢、本人の意思、辞める自由などなど。。。


     また、その朝鮮人悪徳業者を使って慰安所を運営していたのは日本軍です。
    朝鮮人の中に自国の女性を占領軍に差し出す悪徳業者がいなかったとはいいません。
    ですが、それらもすべて日本政府が朝鮮半島を支配していたころのことで
    あることを、ご勘案ください。

     また、日本兵が直接朝鮮半島から「拉致」という形で女性を徴収した典型的な
    例も証言されています。
    伊藤孝司さんというジャーナリストが朝鮮半島で取材した事を
    伊藤さんの講演会で聞きましたので、そのとき聞いた内容の報告を
    日記から転載します。

    =====転載=====
     ワタシが一番記憶にとどめておきたい話は、やはり、典型的な「拉致」という形で連れていかれ性奴隷被害者となった女性たちの話だった。伊藤さんは97年に取材したとき、そういう典型的な「拉致」による被害者を何人か、取材しておられた。その中で。
     97年に取材したシン・タルリョンさん。安倍の「暴力的な強制はなかった」というその「暴力による強制」を再度くわしく話を聞いて発表しようと、伊藤さんは彼女と、その連行場所を探しに行った。彼女は台湾の慰安所で性奴隷被害者となったが、そこで記憶障害をおって記憶がまだらになってしまった。それは健康状態にもよるが、憶えている部分と憶えていない部分があり、戦後、なんとかテグまでは帰って来た。テグあたりに住んでいたことは憶えていたが自分の家が見つからない。そのままずっと肉親とも会えずにテグで生活していた。そのことを知った伊藤さんは彼女を連れて、おそらくこのあたりだろうと、役所や昔からそのあたりに住んでいた人たちの話をたよりに、尋ね歩いてなんとか彼女の家を見つけたという。現在は他の人が住んでいたという。
     その家のすぐちかくで彼女は連行されたから、その連行場所が確認できた。そこは畑であったそうだが、彼女はそこでお姉さんとヨモギを摘んでいた。貧しいがためにお腹の足しにするために。そのとき後ろから忍び寄ってきた日本兵たちによって、羽交い締めにされ近くに停めてあった幌つきトラックに放り込まれ、そこにいた朝鮮人の女性達と一緒に、それぞれ違う慰安所に連れて行かれたという。
     そして、そのことを証言してくれた人がいた。当時からそこに住んでいたお爺さん二人を見つけて、話を聞いたら「シンという名前の姉妹が兵隊に連れて行かれたということが、昔あった。」ということを証言してくださった、という。

     おそらく、こういう「暴力による強制」は他にもたくさん、あったろう。

    =====転載おわり=====

     というお話でした。
    もちろん証言ですから、評価は人によって分かれましょう。
    しかし、ワタシは伊藤さんを通じて聞いたシンさんのハナシをウソと思えないのです。

     さて、議論の宋さんの場合ですが、百歩譲って直接な雇用関係はなくともバックに
    日本軍の力があったと、ワタシは思います。
    簡単な映画紹介文を読んで、彼女の直接の加害者が誰かを推量するより
    映画を見てそのへんのいきさつを確かめた方が、いいのではありませんか?

     もちろん、その映画への評価は人それぞれだとおもいます。


     ※なお『松本大本営』と書きましたが、正しくは「松木大本営」というのが
    正しいそうですね。訂正しておきます。
  • [10] mixiユーザー

    2007年12月29日 00:01

    横レス失礼します。

    強制連行とは無理矢理連れて行くことです。
    つまり拉致と同じ意味です。
    元慰安婦が連れて行かれた手口はいろいろです。

    1.第三者の手引きで連れて行った。
     これは北朝鮮拉致被害者の、小住健蔵さん、原敕晁さん、久米裕さんのケースと同じです。

    2.仕事を紹介するといってだまして連れて行った。
     これは同じく福留貴美子さん、石岡亨さん、松木薫さん、有本恵子さんのケースと同じです。

     拉致事件被害者の多くは、手錠をかけられたり無理矢理引っ張られたのではありません。
     この点では慰安婦の人たちもそうだと政府や氷河さんなどは言います。

     拉致事件の場合、実行犯は多くの場合北朝鮮政府職員ではなく、在日朝鮮人や日本人でした。
     慰安婦の場合も、だましたのは軍ではなく、日本人や朝鮮人の軍指定業者でした。

     企画、実行者の人選、指示、許可、監督、資金供与を官権が受け持ったのはどちらも同じです。
     実行行為だけ、民間人が行ったのです。

     目的地まで官権の輸送手段で運ばれたのも、両者に共通しています。
     慰安婦は軍艦や軍に調達された輸送船。
     拉致被害者は工作船や、旅費は共和国政府もちの民間機。

     これでは、拉致事件被害者の多数は、いわゆる「狭義の強制連行」にあてはまらなくなってしまいます。
     しかし政府も、もちろん私も、北朝鮮拉致事件は「拉致=強制連行事件」だと考えています。
     氷河さんもそうではないでしょうか。
     それと同じ意味において慰安婦も拉致であると私は判断しています。
     氷河さん、慰安婦のみ、どうして拉致でないのでしょう。

     拉致されてからの境遇はどうですか。

     行動が制限され、帰国を拒まれていた点は同じです。
     拉致被害者は住むところを与えられ、給料を支給されていました。
     慰安婦の人たちも同じです。
     慰安婦は借金漬けだったから、もっとひどい待遇でしたけど。
     どちらも自由意思で滞在していたのではありません。
     強制的にそこに住まわされたのです。

     拉致被害者は逆らわない限り身分を保証されましたが、逆らえば命の保証などない境遇でした。
     そして望まぬ仕事を強制されていました。
     慰安婦も同じです。
     逆らえば殺されるような境遇で、望まぬ仕事をさせられていました。
     ですから拉致被害者と慰安婦、どちらも奴隷状態であったと言えます。
     許し難い蛮行だと思います。

     北朝鮮は拉致の事実は認めましたが、政府に実行責任はないといいます。
     日本政府は総理大臣が謝罪の手紙を書き、元慰安婦の申請に応じて、政府と民間の寄付金からなる償い金を送りました。
     ここが両国政府のちがうところです。

     最も多額の寄付金を拠出したのは自衛隊員だと聞きました。
     不十分のそしりはありましょうが、自国の戦争犯罪についてここまで責任を追及した国は日本以外にありません。
     良い行いは謙虚に胸を張り、不十分なところは更に追求するというのが正しい態度だと思います。

     なのに、国際社会では日本を攻撃する誤ったネガティブキャンペーンが繰り広げられ、一定の支持を獲得しています。
     それは、慰安婦の歴史を否定する言動が日本に根強くあるからです。
     誤った情報を正しいと思わせるような、一部の心ない人たちの言動により、せっかく日本が積み上げてきた行為が台無しになってしまっています。

     私はとても残念でなりません。 
  • [13] mixiユーザー

    2007年12月29日 03:31

    氷河さんに知っていただきたいことがあります。
    氷河さんの説や疑問を★で示し、それに回答する事実関係を☆で示します。
    おおまかな説明を書いていますが、それに対応する原文は※印で示して、次のコメント欄にまとめます。

    資料はすべて『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成1 警察庁関係公表資料・外務省関係公表資料』からの抜粋です。
    重要部分に【 】を附して強調しています。

    ★氷河説
    業者と慰安婦が直接な雇用関係にあるわけで、日本政府は運営とは別です。

    ☆事実
    日本軍と慰安婦は直接の雇用関係にありました。

    ◇ 慰安所は陸海軍が直接、「経営監督」すると明記してあります。※1

    ◇ 軍自体が経営していた慰安所があります。※2

    ★氷河氏の疑問
    日本軍と慰安婦の強制を関連付ける資料をお願いします。

    ☆事実
    コメント10を参考にしてくだされば有り難いです。

    ★氷河説
    メディアは朝鮮人悪徳業者の犯罪にも、もっと声を上げるべきだと思うのです。

    ☆事実
    慰安婦募集は非人道的で当時の社会通念から著しくかけはなれたものでした。
    契約書を後にひとつ資料としてかかげておきましょう。※3
    前借金で身分をしばる、「身売り」という契約です。
    こういう契約をむすんでも、明治時代から民法上は無効であるとされているようなひどい契約です。
    この事態にあたり、当時の日本国内の警察はどういう反応を示したでしょうか。
    山形県、茨城件、群馬県、和歌山県、兵庫県、福岡県ほかの警察資料が公開されています。

    ・このようなことは軍部の方針としては、にわかに信じられない。
    ・こんなことを公然とされては銃後の一般民衆、とりわけ出征兵士を送り出した家庭はどう考えるだろうか、
    ・更に一般婦女子の身売りを防止しようという精神にも背くものである。
    (原文資料 ※4 ※5)

    特に高知県は厳しい考えを打ち出しています。

    ・・・中には軍当局と連絡があるかのようなことを言って中国行きの女性を募集する者が増えている。
    軍の威信にかかわるようなことを言う業者は絶対にこれを禁止する。
    売春目的で渡航しようとする者には、身元証明書を発行しない。
    (原文資料 ※6)

    このように、警察も本来ならば厳しく取り締まりたかったのです。
    慰安婦募集は、それほどひどい行いだったのです。
    しかし調べると実際に軍が内務省と組んでひそかにそういうことをやらせていることがわかった。
    しかも陸軍参謀本部の調達課長がじきじきに警察本部に出向いて、募集に協力してくれと頼んでいます。
    そこで、違法な募集なのに、警察は手出しができなくなってしまったのです。

    強制的募集を命令した文書は、当然のことですが、ありません。
    だまして連れていったり、身売り契約で連れて行ったり、もちろん暴力的に連れて行ったりすれば、刑法第226条の国外移送罪に該当します。
    またその事情を知っていて女性を受け入れた側も、刑法第227条の被拐取者収受罪に問われるおそれがあります。
    ですから違法行為を命令する文書など、公的機関がつくるはずがないのです。
    違法行為は命令ではなく、黙認の形で行われたのです。
    中には営業免許もない者に軍が慰安婦募集を許可してしまっていて、警察が仕方なくこれを見逃したケースさえあります。
    (※7)

    違法行為や強制がなかったのではなく、国家機関はそういうことをしないタテマエになっているので、事実がなかったかのように書類上の帳尻を合わせているだけなのです。
    軍の要請だから、違法行為として摘発できなかっただけなのです。
    もしも軍の関与がなければ業者がどんな扱いをされるのか、その実例があります。
    第一次上海事変の時、売春に従事することを申告しないで長崎から15人の日本人女性を上海へ送った事件がありました。
    これは「海軍指定慰安所」の経営者でしたが、国外移送誘拐罪で有罪の確定判決を受けているのです。
    (※8)
  • [14] mixiユーザー

    2007年12月29日 03:39

    ※1
    ◇ 慰安所は陸海軍が直接、「経営監督」すると明記してあります。

    『外務省警察史 在南京総領事館』抜粋(昭13)
    「陸海軍ニ専属スル酒保及【慰安所ハ陸海軍ノ直接経営監督スルモノ】ナルニ付領事館ハ干与セザルベキモ一般ニ利用セラルル所謂酒保及慰安所ニ就テハ此ノ限リニアラズ此ノ場合業者ニ対スル一般ノ取締ハ領事館ソノ衞ニ当リ之ニ出入スル軍人軍属ニ対スル取締ハ憲兵隊ニ於テ処理スルモノトス尚憲兵隊ハ必要ノ場合随時臨検其ノ他ノ取締ヲ為スコトアルベシ」

    ※2
    ◇ 軍自体が経営していた慰安所があります。

    『独立攻城重砲兵第2大隊本部 12月陣中日記』
    「慰安施設は兵站の経営するもの及び軍直部隊(大隊本部のこと)の経営するものの二ケ所ありて、定日に幹部引率の許におおむね一隊、約一時間配当なり。」

    ※3
    ◇慰安婦身売り契約書

    群馬県知事発内務大臣・陸軍大臣宛
    「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」

             契約書
    一、稼業年限
    一、契約金
    一、上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於テ酌婦稼業ヲ為スコト。
    一、賞与金は揚高ノ一割トス(但シ半額ヲ貯金スルコト)
    一、食費衣裳及消耗品ハ抱主負担トス。
    一、年限途中ニ於テ解約ノ場合ハ元金残額違約金及抱入当時ノ諸費用一切ヲ即時支払ヒ申スベキコト
    右契約条項確守履行仕ル可ク依而契約証書如件。
      昭和 年 月 日
      本籍地
      現住所
                   稼業人
      現住所
                   連帯人
           殿
            金員借用証書
    一、金
    右之金員拙者要用ニ付キ正ニ請取借用仕候事実正也然ル上ハ返済方法ハ別紙契約書ニ基キ           酌婦稼業ヲ為シ御返済申ス可ク万一本人ニ於テ契約不履行ノ節ハ拙者等 連帯者ニ於テ速カニ御返金仕ル可ク為後日借用証書依而依如件
       昭和 年 月 日
      本籍地
      現住所
                  借用主
      現住所
                  連帯者
             殿

    ◇警察の不信感

    ※4
    如斯ハ軍部ノ方針トシテハ俄ニ信ジ難キノミナラズ、斯ル事案ガ公然流布セラルゝニ於テハ、銃後ノ一般民心殊ニ応召家庭ヲ守ル婦女子ノ精神上ニ及ボス悪影響少カラズ。更ニ一般婦女身売防止ノ精神ニモ反スルモノ

    ※5
    本件果タシテ軍ノ依頼アリタルモノカ全ク不明ニシテ、且ツ酌婦ノ稼業タル所詮ハ醜業ヲ目的トスルハ明ラカニシテ、公序良俗ニ反スルガ如キ本件事案ヲ公々然ト吹聴募集スルガ如キハ皇軍ノ威信ヲ失墜スルコト甚シキモノアリト認メ、厳重取締方所轄湊警察署長ニ対シ指揮致置候


    ◇高知県警察が県下警察に指示した取締方針。

    ※6
    支那各地ニ於ケル治安ノ恢復ト共ニ同地ニ於ケル企業者簇出シ、之ニ伴ヒ芸妓給仕婦等ノ進出亦夥シク、中ニハ軍当局ト連絡アルカ如キ言辞ヲ弄シ、之等渡航婦女子ノ募集ヲ為スモノ等、漸増ノ傾向ニ有之候処、軍ノ威信ニ関スル言辞ヲ弄スル募集者ニ就テハ絶対之ヲ禁止シ、又醜業ニ従事スルノ目的ヲ以テ渡航セントスルモノニ対シテハ身許証明書ヲ発給セザルコトニ取扱相成度
    (史料4 高知県知事発内務大臣宛「支那渡航婦女募集取締ニ関スル件」1938年1月25日付)

    ◇軍の圧力で違法業者を見逃した記録

    ※7 「醜業婦渡支ニ関スル経緯」

    一、十二月二十六日内務省警務課長ヨリ兵庫県警察部長宛『上海徳久■■■、神戸市中野■■■ノ両名ハ上海総領事館警察署長ノ証明書及山下内務大臣秘書官ノ紹介名刺ヲ持参シ出頭スル筈ニ付、事情聴取ノ上何分ノ便宜ヲ御取計相成度』トノ電報アリ
    一、同月二十七日右両名出頭セルガ内務大臣秘書官ノ名刺ヲ提出シ徳久ハ自身ノ名刺ヲ提出セズ且身分ヲモ明ニセズ。中野ハ神戸市福原町四五八中野□□ナル名刺ヲ出シタルガ、同人ノ職業ハ貸座敷業ナリ
    一、同両人ノ申立ニ依レバ、大阪旅団勤務ノ沖中佐ト永田大尉トガ引率シ行クト称シ、最少限五百名ノ醜業婦ヲ募集セントスルモノナルガ周旋業ノ許可ナク、且年末年始ノ休暇中ナルガ枉ゲテ渡支ノ手続ヲセラレ度キ旨ノ申述アリ
    一、兵庫県ニ於テハ一般渡支者ト同様身分証明書ヲ所轄警察署ヨリ発給スルコトヽセリ
    一、神戸ヨリ乗船渡支シタルモノナキモ陸路長崎ニ赴キタルモノ二百名アル見込ミ
    一、一月八日神戸発臨時船丹後丸ニテ渡支スル四、五十名中ニ湊川警察署ニ於テ身分証明書ヲ発給シタルモノ二十名アリ
    一、周旋業ノ営業許可ナキ点ハ兵庫県ニ於テハ黙認ノ状態ニアリ

    ◇ 軍の圧力がなければ捕まっている記録

    ※8 外務省レファレンス参照
    時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件[和歌山県知事](昭和13・2・7)
  • [18] mixiユーザー

    2007年12月29日 04:35

    氷河さん

    これでおわかりになったと思いますが、業者の悪質さは許し難いものですが、業者が日本人であれ朝鮮人であれ、いずれにせよカタギではありません。

    裏街道を渡る稼業の連中を指定し、許可を与え、庇護し、その悪質な商売を推進していた、あるいは黙認していたのが官憲ですから、やはり責任は官にあるのです。
    業者の悪質さを暴くのは読み物としては面白いかもしれませんが、歴史から教訓を汲み取るとすれば、やはり官の責任を主体にすべきでしょう。

    官の関与がなければ、業者は女性を集めることができず、渡航制限されていた場所に女性を送り込むことも出来なかったのですからね。


    [写真]左 陸支密『副官より北支方面軍および中支方面軍参謀長宛通牒案』

    後から5行目
    「募集の方法 誘拐に類し 警察当局に検挙取り調べを受くるものあり」

    [写真]中 『常州駐屯間内務規定』

    表題が「第九章 慰安所使用規定」

    [写真]右 同じ文書

    「実施単価および時間」が決めてあります。
    業者の規定ではなく、軍の内務規定で決められているのです。
  • [19] mixiユーザー

    2007年12月29日 08:00

    氷河さん

    >いや、違います。
    >業者と慰安婦が直接な雇用関係にあるわけで、日本政府は運営とは別です

    ちがいませんよ。
    どろさんが適切に書いてくださったように
    集めるのは現地の業者をつかったでしょうし
    現地では業者の運営する慰安所もあったでしょうが
    軍の力をバックにもたねば(あるいは軍に後押しされねば)
    できることではありませんでした。
    軍が開設し運営をした慰安所も多くあったことも
    どろさんの資料が示すとおりです。
    でなければ、先述の「松木大本営」に慰安所が用意されてた説明がつかない
    ではありませんか。

     ですから、ワタシは日本軍が非難されて当然だと思っています。
    もちろん、同胞女性に対して非道の行いをした朝鮮人業者を悪くないという
    つもりは毛頭ありません。彼らもまた非難されるべきです。
    しかし(何回も申すように)彼らを使って女性集めをし
    慰安所を組織的に持った旧日本軍の所業は、われわれ日本人がもっと
    しっかり認識しなければいけない過去の汚点であると考えます。


    >私はどちらが正しくて、どちらが悪者かという最初から決まった価値観を押し付けられたくはありません。

     僭越ながら、それはワタシがあなたに申し上げたいことです。
    ワタシは、押し付けてませんよ。
    映画を見て、個々に評価しようではありませんか、と二回も申し上げております。

    ワタシはあなたに、ひとつの価値観を押し付けるつもりなど毛頭ありません。
    映画を見て、酷い捏造映画だ!と評価するのもあなたの自由です。

     どうやら、お互いの考え方の違いも明確になったようなので
    このへんでここでの氷河さんとの対話はオワリにしたいと思います。
    氷河さんの質問にはワタシとしては精一杯お答えしたつもりですので
    どうか、一方的な終了宣言お許しを。
  • [21] mixiユーザー

    2007年12月29日 09:32

    氷河さん

     ごめんなさい。軍と慰安所の直接つながる資料でしたね。

    http://www.awf.or.jp/pdf/0051_2.pdf


     の30、31ページ(原資料のページでなく、ファイルのページ)あたりをごらんください。
    「従業員雇入(解雇)届」
    「従業員名簿」
    などなど、軍が直接関与していないどころが、
    軍にがんじがらめに管理されていたことがこれらの資料でお分かり
    いただけると思います。
  • [22] mixiユーザー

    2007年12月29日 10:34

    唐行きさんの時代を生きた女性「北川サキ」と会い共に貧しい生活をしていた
    サキの家で共に暮らし、サキの心の扉を開き聞き込み調査をした”貧しい日本の女性史研究家がいた”

    引用文
    からゆきの労働条件
    からゆきさんとして有名な北川サキの、大正中期から昭和前期のボルネオ島の例では、一人2円の内、娼婦の取り分は2分の1、その内で借金返済分が4分の1、残りから着物・衣装などの雑費月10円を出すのに、20人の客を取る必要があった。「返す気になってせっせと働けば、そっでも(それでも)毎月百円ぐらいずつは返せたよ」 というから、最少で月110人に相当する。 (フィリピン政府の衛生局での検査の場合、週一回の淋病検査、月1回の梅毒検査を合わせると、約24円が娼婦負担にさせられていた。)普段の客はさほど多くないが港に船が入ったときが、どこの娼館も満員で、一番ひどいときは一晩に30人の客を取ったという。 泊まり無しで2円。客の一人あたりの時間は、3分か5分、それよりかかるときは割り増し料金の規定だった。(接待時間ではなく、性交労働時間だったと思われる)現地人を客にすることは好まれず、かなり接客拒否ができたと見られる。しかし、月に一度は死にたくなると感想を語り、そんなときに休みたくても休みはなかったという。
    日本の円の価値は、この時期は安定していたが、ブロック経済(又は満州事変)と前後して急低下して日華事変の頃まで6割のレベルが続き、欧州戦争開始以後さらに低下している。

    サキは幼い頃にボルネオに売られていった。これは実話である。
    売春業者から前金を受け取ったサキの兄はその金で風呂も台所も居間もある家を建てた。登記は兄の名義で、サキの帰れる家ではなく、サキはボルネオで体を売って稼いだ金はサキが売られる時の前金で兄が建てた家の返済にあてられていた。
    当時、土地の痩せた尼崎の農村で家を建てられる経済力を持つ者はいなかった。

    貧しく教育を受けられないサキは読み書き、料理、裁縫など女が習得しておかなければならないことを全て習得する間がないままボルネオに売られて連れて行かれた。
    当時、ボルネオに行く前に普段食べることが出来ない「白米」を腹いっぱい食べられたことがなによりの報酬であった。実に悲しい報酬であった。
  • [23] mixiユーザー

    2007年12月29日 19:14

    氷河さん

     失礼しました。
    先の資料、リンク先を間違えました。

    http://www.awf.or.jp/pdf/0051_3.pdf

    このリンク先のP30以降(原資料ではなくファイルのページの)を
    ごらんいただければ、

    「従業員雇入(解雇)届」
    「従業員名簿」
    また、
    「検黴」(性病検査)の成績までのっています。

    P21
    「軍政規定集」となっております。
    「検黴」成績結果報告は○○憲兵分隊御中に
    なっており、被検者の雇い主が軍関係者であることはあきらかです。
    このように、軍が直接関与していないどころが、
    軍にがんじがらめに管理されていたことがこれらの資料でお分かり
    いただけると思います
  • [24] mixiユーザー

    2008年01月19日 10:00

    <ご報告>映画「オレの心は負けてない」上映&梁澄子さんのお話「宋神道さんと共に歩んだ16年」に参加して



     映画「オレの心は負けてない」と梁澄子(ヤン・チンジャ)さんのお話を聞きに、13日(日)京都の「ひと・まち交流館」へ行って来ました。

     いままで、数回「証言集会」に参加してきたので、今回も宋神道(ソン・シンド)さんの重いハナシを受け止めるつもりで、京都へいきました。。。が。
     案に相違して、上映中はすすり泣きの声と爆笑の声の交錯!

    なぜ?
     そもそも、なんで「オレの。。。」なの?強制連行されて強制労働させられた男性のハナシじゃなく、慰安「婦」のハナシがなんで「オレ」なの?とアタマの片隅にありましたが。。。

     それは「宋神道さん」という、強烈に魅力的なキャラにあります。
    早口の韓国語なまりの日本語。で、ご自分のことはいつも「オレ」、小さい頃からガキ大将タイプの宋さんの勝ち気で明るい性格、ポンポン飛び出すホンネ、記者や放送関係者がいようが、カメラがまわってようが、いつ飛び出すかわからない「放送禁止用語」。

     というわけで、開場はずっと笑いにつつまれていました。
    それと、この映画は宋さんの受けて来た「性奴隷」としての被害の証言ではなく、宋さんと彼女の裁判を10年にわたって支えて来た「在日の慰安婦裁判を支える会」(以後「支える会」)の二人三脚(?)の記録なのです。
     で、映画の中身をくわしく述べるのも野暮というもの。
    是非、この映画を見て「宋神道さん」というキャラに触れてください。
    そして、支える会の奮闘を見てください。泣けて笑えて感動すること保証付き。


     というわけで(こればっかり!)これ以後は、梁澄子さん(「支える会」で宋さんに主に関わって来た在日で一橋大学講師)のお話の中で注目すべき点を、ご報告いたします。(もちろん、勉強になったこと満載のお話でしたが、ワタシとして「これは忘れんとこ!」と思った事を二つほど)

     まず、宋さんと梁さんの出会いは、梁さんたち「支える会」へ「仙台に一人元慰安婦らしい女性がいる」と第三者から電話があったこと。「支える会」では、本人からの申し出でないので訪れるのは止めようと判断したが、梁さんが秘密で訪問したのがきっかけ。
    その時の宋さんからの初めての言葉が「お前は朝鮮人か?オレは朝鮮人はきらいだ。」だったといいます。
     梁さん曰く「針の入るほどのすきまもないくらい厚いよろいを着た人」というのが宋さんの印象だったといいます。それくらい、容易には解けない不信感(朝鮮人にも日本人にも)のかたまりだったそうです。過去の話を聞くにしても、裁判のハナシを勧めるにしても、なかなか信頼してもらえない。
    カマかけられるわ、ハナシをそらされるわ、ウソはつかれるわ「言い方はなんだけど、なんでこんな『いやな婆さん』のために闘わなくちゃならないの?」(梁さんが言ったのです、もぐらじゃありません(^^;))と思うこともあったとか。「支える会」のご苦労は察して余りあるものですが、宋さんのうけてきた扱いを境遇を考えれば、宋さんが鎧を着た人になっても当然だろうなとも思いました。そんな「支える会」へ宋さんから「オレは『支える会』の人をいちばん信用しとるよ」の言葉が出たのは5年目。5年かけて勝ち取った「信用」なのです。本当に頭がさがります。
     梁さんはいいました。
    「普通、市民活動グループは仲間割れが結構あると聞きますが、ワタシたちはいつも仲が良かったです、っていうのも何もワタシたちが特別なわけじゃない。共通の敵、ひとつは「日本国」という強大な権力、ひとつは「宋さん」というこれまた手強いおばあさん。これらを相手に闘って来たからです。」と言われるくらい、初めのころの宋さんはなかなか信頼してくれなかったそうです。

    (続く)
  • [25] mixiユーザー

    2008年01月19日 10:00

    (続き)


     で、前置きが長くなりましたが、梁さんのお話で勉強になったこと。

    (1)元性奴隷被害者の記憶について

     宋さんは、非常に記憶力がいいそうです。当時の戦況や軍隊のことをきくと
    すべてかなり細かく憶えている。軍隊については「第○大隊、第×分隊」と言うような数字まで正確に言えるそうです。で、梁さんたちは、宋さんの証言記録を歴史学者吉見義明さんに検証してもらったそうですが、吉見さんもびっくりするくらい正確であったそうです。「ちょうどそのころ、その地域でそう言う戦闘があった」とか「たしかに、第○大隊はそこに駐屯していた」というように。
     ところが宋さんが話であいまいなところが二つある。
    1.初めて兵の相手をさせられた時の状況
    2.宋さんは何回か妊娠し、死産、堕胎もあったが、2人だけ生まれた子供が
    いる。それがどこでなのかあいまいである。

     宋さんに「いちばん苦痛だったことは?」と聞くと弾が飛んで来る所で兵を相手にセックスしなければならなかったこと。。。などが出て来る。
    他の多くの性奴隷被害者のように「初めて兵の相手をさせられたこと」が出てこない。
     でも、裁判を闘うには、これは必ず聞かれるので女の弁護士が二人掛かりで「初めての時のことをおしえてください」と聞いても、ハナシをそらす。
    さらに、聞いても今度は「なんでそんな事聞くんだ、それじゃもう裁判はやめだ!」と怒り出す。それでもさらに(一人の弁護士は半泣きで、もう一人は
    極めて冷静に「それで?」)追求すると、逃げられないと知った宋さんの目が宙をただよい、わぁ〜〜〜っと号泣(宋さんのすすり泣きは見てきたが、号泣は後にも先にも一回きりだったという)して、「オレはもうだめだ、もうだめだ」と言ったといいます。つまり、本当にその部分の記憶が欠けているのです。
     梁さんがジュディス・L・ハーマンが主張する「複雑性外傷後ストレス障害」の診断基準にあてはまるということを説明してくださいました。
    くわしい、心理学的な説明はここでは省きますが、あまりにもつらい経験はその人の記憶を狭窄する、つまり狭めてしまう。記憶が欠けてしまうことがあるそうです。
    2.の二人の赤ちゃんが生まれたこともおそらくそれで場所の記憶がないのでしょう。せっかく生きて生まれた赤ちゃんを自分の手でそだてられない苦悩。

     よく、「『元慰安婦』を名乗る人は証言がころころ変わって信用できない」という批判がありますが、証言は彼女らのこうした心理的な障害も考慮にいれて聞く必要がありそうです。


    (2)慰安所が誰によって設置・運営されたかについて

     もちろん、軍直営の慰安所もありました。
    隊が移動する時は、移動する前に移動先にまず「慰安所」を作るのが通例で、それは隊の副官がまず先に行ってやる仕事だったと役割まで決まっていたそうです。なぜか、というと「慰安所」がないまま兵たちを移動させると、その移動先ですぐさまレイプが起き、駐屯先で地元と穏便にやっていけなくなる、というのがその理由だったそうです。
     ところが、軍が直接かかわるとどうしてもトラブルが起こる。軍人は「女」の扱いも「客」の扱いも素人であったから。そこで、朝鮮の(現地の)買春業者を呼んで、直接の仕事を彼らに当たらせたということです。
    ですから、よく「あれは朝鮮の業者のしわざだった。軍は直接関与していない」は、まったくのまちがいで、「軍が『現地業者』を使って運営・管理した」が正確な所だそうです。
     くりかえしになりますが、軍直営の「慰安所」もあったのです。
    「慰安所」運営の仕方を軍で指導されたという、元兵士の証言もあります。




     宋さんと「支える会」、お互い手探りしながらも、きっちり10年の
    裁判闘争を闘い抜いた記録映画、ぜったいおすすめです。
  • [26] mixiユーザー

    2008年01月19日 18:19

    公娼制度が日本で廃止されたのは敗戦後まもなくのこと。
    五木寛之の小説「青春の門」で赤線が描かれている。
    あの頃、血液が売れた時代でもある。血液を売って売春宿で娼婦を買う訳だ。
    昔は貧しい農村部から若い小娘がやむなく売られていった。
    まだ「まびき」があった時代。くち減らしに子供を殺す時代だっただけに、
    言葉が出てこない、、、

    先進国の中では今日でも国営で売春宿が経営されている。

mixiユーザー
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  • 2008年01月13日 (日) 1:20 p.m.開場 1:35 p.m.上映 3:20 p.m.お話 4:40p.m終了予定
  • 京都府 ひと・まち交流館 京都 第4会議室(3階)
  • 2008年01月13日 (日) 締切
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