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開催終了家庭におけることばの大切さ 【大阪】言語造形一日体験講座

詳細

2010年03月02日 17:36 更新

重複して受けとられる方は、申し訳ありません。

大阪での言語造形の一日体験講座のお知らせをさせてください。



言語造形 一日体験講座   〜ことばと呼吸 昔ばなしの語りを通して〜



    ぜひ一度、言語造形を体験してみませんか?!

    言語造形、それはシュタイナーによるアントロポゾフィーから生まれたことばの芸術です。

    子どもたちに語りかけることばの質。

    わたしたちはもう一度、
    自分たちの使っていることばの質・響き・音楽性に注意を払ってみることができます。

    人が頭でことばを話すことをやめるとき、
    人がもっと胸の領域を使って、手足の内的な動きを伴なわせてことばを話すとき、
    ことばは、ことばそのものの生命を取り戻し、
    子どもへと健やかに働きかけていきます。

    それは、情報だけを伝えるものではなく、
    話す人の感情と意欲をも伝えることばです。
    そして言語造形は、ことばそのものの力・生命をも立ち上がらせます。

    親のことばこそが、子どもを包み込む覆いになりえます。

    言語造形は、
    シュタイナーという人から今という時代を生きる人へと贈られた大きな大きな贈り物です。

    その贈り物の一端をまずは、受け取ってみませんか。

    お話を語ることを通して、自分自身のことばと呼吸を改めて
    感じてみまし ょう。きっと小さくない気づきがあるはずです。

    テキストはこちらで用意いたし ます。

    ことばというものを見直してみたい方、
    自己流の話し方を見直してみたい方、
    初めての方もどうぞお気軽に御参加ください!




      日時  3月22日(月・祝) 10:00〜12:30

      講師  諏訪耕志 http://www.kotobanoie.net/profile.html

      参加  3000円

      場所  大阪市立中央会館 和室   
             http://osakacommunity.jp/chuo/kaikanmap.htm    
            地下鉄堺筋線・長堀鶴見緑地線「長堀橋」下車 徒歩8分
            地下鉄堺筋線・千日前線「日本橋」下車 徒歩12分

      お問い合わせ・お申し込み 「ことばの家」 tel&fax 06-6656-3301
e mail info@kotobanoie.net           http://www.kotobanoie.net/

コメント(3)

  • [1] mixiユーザー

    2010年03月05日 20:04

    【淡々と語る?】

      シュタイナー教育においては、
      物語りや昔話を子どもたちに語るときに、
      「淡々と語る」のがよいと言われるのを聞くことがあります。

      この「淡々と」とは、どういうことなのでしょうか。

      特に感情を込めずにストレートに読むように語るということなのでしょうか。

      物語を聴くとき、子ども自身のファンタジーが育まれるように、
      できる限り、大人の側からの恣意や思い込みを排除することが、
      子どもにとって相応しいのは間違いありません。

      しかしだからといって、表情に乏しい、まるで棒読みのような語りでは、
      聴いている子どもは物語を深く味わうことができません。

      そのような綺麗だけれども人間的でないことば遣いは、
      子どもにとって、いや、人間にとって、
      言語感覚・思考感覚・わたし(自我)感覚が育まれることには繋がっていかないのです。

      シュタイナーは、ことばはすべからく、「死んだことば」ではなく、
      「活きたことば」であってほしい、と語りました。

      その「活きたことば」こそが、子どもの肉体をかたちづくり、育む力になっていくのだと。

      その「活きたことば」を話す大人や教師が子どもの側にいることの恵みは計り知れません。

      ここでシュタイナーが言う「死んだことば」は、頭からのみ発せられます。

      「活きたことば」は、頭は静かに抑えられながらも、
      その下にある胸・腕・腹・腰・脚の領域が活発に使われることによって生まれてきます。

      「淡々と」しているのは、頭の領域であり、
      口、喉頭はひたすらことばの一音一音を精確に淡々と発声することに仕えます。

      逆に、その下の領域においては、
      文章に応じて、ことばの意味に応じて、ことばの音韻に応じて、
      相応しい息遣いと身ぶりと動きが繰りなされます。

      「活きたことば」の裏には、必ず、深い呼吸と身ぶりがあります。

      語り手は、恣意から感情を込めて語るのではなく、
      物語りそのもの、ことばそのものに潜んでいる純粋な感情が、
      わたしたち語り手と聴き手の子どもたちを包み込むようにしておのずと立ち上がってきます!

      つまり、頭は冷静に淡々としている。
      脚は活発に歩こうとしている。
      胸はその間のバランスを取って深く活き活きと呼吸することに仕えている。

      その時に、ことばは活き活きと話され、自然な表情が生まれ、
      そこに生じるの息遣いは子どもにとっての最高の栄養になります。

      そのことを理屈ではなく、
      今回の講座の中で、
      からだまるごとを使って皆さんと試していきたいと思っています。

      頭を使うのではなく。
      からだまるごとを使って、
      物語を語ってみましょう!

      新しい皆さんのご参加をこころからお待ちしています。
  • [2] mixiユーザー

    2010年03月21日 08:16

    【心臓から下】

      人はお話を聴くとき、どこで聴いているのでしょうか。

      耳で?

      そう、確かに、耳という感覚器官を通して、頭を通して、響きを集中的に受けとっています。

      しかし、耳を含めた頭の領域は、外の世界からものごとを静かに受けとる窓口にすぎなくて、
      本来的に人はからだまるごとで響きを受けとります。

      心臓、肺のある胸の領域で、響きのリズムを感じながら聴こうとします。

      消化器官、新陳代謝を担う器官、手足の領域で、
      その響きは活動的か停滞気味か、
      活き活きとしているか元気がないか、
      そのような精神的な生命のありようを感じながら聴こうとします。

      ところが、話し手が胸もときめかさず、手足も活き活きとさせずにいますと、
      ことばの響きという響きが、聴き手の頭にまでしか届きません。

      このとき、聴き手はとても疲れます。

      わたしたち現代人はどれほど頭と頭だけでやりとりをしようとしているでしょうか。

      特に子どもはこの聴き方が習慣付けられますと、
      だんだんとことばに耳を傾けようとしなくなります。

      ですから、人の心臓へと語りかけなければなりません。

      心臓から下へと働きかけなければなりません。

      そのためには、話し手自身が、
      自らの心臓、そして心臓から下の領域を働かせながら語りかけることを、
      言語造形を通して学んでいきます。
  • [3] mixiユーザー

    2010年03月21日 20:45

    【ことばというものへの繊細さ】

      人が発するひとことひとことが、他者のこころに波紋を拡げていきます。

      その波紋というものを、人のこころはとても繊細に感じています。

      それが幼児となりますと、こころでは感じていません。
      からだで感じています。

      血のめぐり、呼吸のめぐり、食べ物のこなし、
      それらで実に繊細に感じています。

      こまやかなからだのなりたちそのものが
      側で話されることばの一音一音によって働きかけられ、かたちづくられています。

      幼児においては、こころではなく、からだそのものが周りのすべてに帰依している、祈っている、
      そう言えます。

      その帰依、祈りをもって、毎日子どもたちは自分のからだを創り上げていきます。

      わたしたち子どものそばにいる大人は、
      そのような幼児が本来持っている宗教性をどれほど尊重していくことができるでしょうか
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  • 2010年03月22日 (月) 10:00〜12:30
  • 大阪府 大阪市中央区
  • 2010年03月22日 (月) 締切
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