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開催終了06年社会学専攻シンポジウム

詳細

2006年12月03日 17:26 更新

日時 12月13日(水)15:10〜
場所 法政大学多摩キャンパス社会学部棟
発表者とテーマ
 兼子諭(社会学専攻博士課程)
 「多文化主義」論の整理と中心的論点の抽出‐「多文化主義」概念によって問題とされるのは何か?
 渋谷淳一(社会学専攻博士課程)
「メコン」地域主義の形成〜錯綜する「地域」形成〜
コメンテーター
 佐藤成基(法政大学助教授)
 本田親史(明治大学/法政大学非常勤講師 社会学専攻OB)
司会
 西田善行(社会学専攻博士課程)

発表概要
「多文化主義」論の整理と中心的論点の抽出‐「多文化主義」概念によって問題とされるのは何か?
兼子諭(社会学専攻博士課程)

1 はじめに
本発表は、近年さまざまな領域でその重要性が提示されている「多文化主義 multiculturalism」概念の理論的検討を目的とする。そのため本発表では、代表的な多文化主義論者であるチャールズ・テイラーやウィル・キムリッカ、およびその批判的立場として著名ディヴィド・ホリンジャーなどの議論を検討することで、本概念で示される諸議論の中心的な論点の抽出を試みる。

2 それぞれの議論の概要
まずはそれらの論者の議論の概要を提示する。
テイラーによれば、「多文化主義」は「承認の政治」によって主導される社会運動であり、その本質には近代化およびその主要な産物である国民国家のもとでのアイデンティティ構築における不平等性や不正義の克服、およびそれによる社会的不公正の是正を求めるものである。
キムリッカの「多文化主義論」は基本的にはテイラーとの通底性を有するものだが、彼は特にマイノリティの権利是正のために「多文化的シティズンシップ multicultural citizenship」を提唱する。彼のシティズンシップ論の中核的テーマは既存の国民国家体制のもとでその解消が憂慮されるような文化の保護であり、そのための文化の担い手となるコミュニティの永続化や保護となる。
これらの代表的な「多文化主義者」に対して、ホリンジャーはアメリカの「多文化主義」運動を中心に検討を行いその批判を試みる。ホリンジャーによれば、それらの運動はマイノリティの保護という観点から重要性が認められるものの、その保護のための社会政策が有する「構築的」側面への注意が必要とされる。よって、ホリンジャーはマイノリティ保護に優先されるべき課題として国民国家レベルでの社会的公正を構築、そのための公民的アイデンティティの形成を主張する。

3 これらの議論から明らかになる「多文化主義」論の中心的論点

さて、以上の概要から明らかになる「多文化主義」論の主要な特徴は以下の通りである。第一に、「多文化主義」概念は、特に「文化」の定義問題のために、その概念規定の一般化が著しく困難である。そのような概念的困難は、「多文化主義」論が目指すのが、「文化」の保護なのか「文化」の具体的担い手なのか、またその担い手は「個人」なのか「コミュニティ」なのかというという論点に序実に表れることとなる。
第二に、「多文化主義」論は、その中核的意識とは近代国家国家に対する歴史的・根本的懐疑という側面を有しており、その点にテイラー・キムリッカとホリンジャーの最も顕著な対比が表れることとなる。それは、ホリンジャーが国民国家体制における公民的アイデンティティの(再)構築といった点を優先的課題とするのに対して、テイラーやキムリッカはこの歴史的過程が、実際には公民的アイデンティティは排他的で不平等なアイデンティティを制度化してきたのであり、まさにマイノリティ側のアイデンティティ形成とそのための社会的資源の供給の必要性を提示するといった形でまとめられる。
 よって、「多文化主義」論の中心的な論点は、近代化過程における国民国家形成のもとでのマイノリティへの抑圧に対する歴史的反省、およびその克服の方向性へと収斂される。そして、そこでは例えばキムリッカにみられる既存の国民国家の解消(ここでは具体的に「多民族共存を志向する連邦国家への転換」)といった主張に対してどのような見解や解釈が可能かといった点が、最も重要な問題として浮上することになるだろう。


「メコン」地域主義の形成〜錯綜する「地域」形成〜
渋谷淳一(社会学専攻博士課程)

 国際社会において、越境的枠組みとしての「地域」が恣意的に想像され、様々な活動が成されている。国際河川メコン河が流れる中国雲南省、ミャンマー、タイ、カンボジア、ラオス、ベトナムの空間においても同様である。
 この「地域」においても、国家間における地域協力の制度化という意味での地域統合と、特定の地理的領域における人・モノ・カネの移動の活性化という意味での地域化のプロセスの中で、「地域」を形成しようと志向する地域主義を形成するに至った。
 振り返れば、この「地域」の持つ領域はアジアにおける冷戦の中心地であり、ASEANデバイドとして問題化される低開発地域である。しかしながら、そうした問題や課題の裏で紆余曲折を得ながらも、脈々と「メコン河地域」は想像された。
 「メコン河地域」の形成を、近年アジアの地域主義研究で批判されているように単線的な発展として捉えることは不適当である。ここではいくつかの発展の路線がありそれらが錯綜しながら全体を構成していることを提示し、「メコン河地域」の形成を読み解きたい。

 一点目は域外国家主導の「地域」形成路線である。戦後から1970年代半ばまでは、アメリカと国連という域外主体による開発援助の調査や計画、融資などのベースとなる組織の設立という要請と、域内国家(下流四カ国)の需要が一致した形で、メコン委員会(1957年)が誕生する。この路線はアメリカのベトナム戦争敗退により大きく後退する。しかしながら欧州各国による援助は今日まで継続する。日本による1950年代から今日に至る多角的な協力もこの路線である。

 二点目は国際機関によるものである。1950年代の初頭、メコン河の調査・開発に熱意を見せたもう一つの主体は国連、および当時設立されたばかりのECAFEである。この当時の開発計画の立案、メコン委員会の組織化は彼らによるところが大きい。その後、この役割は国連開発計画に引き継がれ、メコン委員会が崩壊するまで資金援助と共に事務局長を派遣し続けた。1990年代前半にはアジア開発銀行が大メコン圏構想を提示し、開発部門を担うことになる。また1990年代後半になるとASEANもメコン河開発に積極的な関与を志向しASEAN・メコン河流域開発協力会議を設けている。

 三点目は域内国家によるものである。上述したように1970年代半ばから、域外からの影響力の急速に低下する。しかし冷戦における所属の差がありながらも域内各国が国際機関の補助を得ながらも信頼醸成の道を継続する。1991年には様々な要因が交錯する中で国家間の対立によりメコン委員会を崩壊させるが、1995年までにより国家主導の形態をとったメコン河委員会へと再び組織する。また大メコン圏にみられるように、国際機関の地域協力においてもサミットの制度化などを通じて主導的な役割を果たすようになる。

 四点目は地域社会からのものである。メコン河の開発においては1970年代より開発による環境問題がメコン委員会により指摘されていたが、 1990年代になると国際NGOの働きや住民運動により顕在化する。これを契機に内外のNGOやPOsなどに媒介されたボトムアップ型地域主義も住民を巻き込みながら展開されている。とくにそれらの運動が「メコン河地域」単位での活動を企図し、既に述べてきたような地域的な機構や枠組みに対して訴え掛けを起こしているのが特徴である。

コメント(5)

  • [1] mixiユーザー

    2006年08月03日 15:13

    報告者っぽい
  • [2] mixiユーザー

    2006年08月03日 16:08

    この時期に東京にいれるようにしたいと思います。
    トップの写真は橋なんですね。
    ぼくには錦帯橋に見えます。
  • [3] mixiユーザー

    2006年10月15日 21:45

    日程ですが現在12月13日(水)が最有力、というより、
    これでほぼ確定です。
    発表をお願いする方と、コメンテーターをお願いする方に
    正式に要請を行った後、公表したいと思います。
  • [4] mixiユーザー

    2006年11月13日 11:35

    発表予定者の皆様、上記の概要やタイトルに
    変更を希望される方はここに書き込むか
    西田までご連絡ください。
  • [5] mixiユーザー

    2006年12月17日 11:46

    シンポジウムは無事終了しました。皆様のご協力に感謝します。
mixiユーザー
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  • 2006年12月13日 (水)
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