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開催終了路上生活者支援コンサート

詳細

2005年08月22日 01:04 更新

http://sumidanokai.hp.infoseek.co.jp/

 8月27日に隅田川、桜橋下で路上生活者のための支援JAZZコンサートが開かれます。僕も半年に何回かくらいですが、主催者の馬場さんが毎週行っているアウトリーチを手伝ってきました。アウトリーチとは、ちょっとした食料を配布しながらホームレスの人たちと話をし、いろいろな悩みを聞いたり、一緒になって彼らが苦しんでいる問題の解決について考え、それを通して現在の社会構造の矛盾点を見出していこう、という社会学的な調査とボランティア活動のことです。

 現在、隅田川沿いのテラスには、1000軒のブルーシート、ダンボールハウス、テントが並び、この社会システムのほとんどのセイフティネットから零れ落ちた人々が、過酷な路上生活を強いられている状態です。就職したくても高齢のために働き口がない。家族にも頼れない。病気や怪我を治すための保険にも加入していなければ、お金もない。さらには石原都知事を中心とする景観美化(花火大会!!)のためにハウスを撤去されたり、排除されたりする。徹底して異物を排除し、資本主義に回収可能なモノ、管理可能な人間だけを選別し、そのレベルや規格に合わない人間は人間ではないと暗黙に決め付け、対処する行政。無関心、無関係だと決め付け、「自己責任」の名で無慈悲な断罪をする一般市民。その果てしない悪循環のループの中で、アルコールの酩酊だけが彼らの唯一の安らぎとなり、ほとんど自殺か他殺かわからない状態で凍え死に、川に飛び込み、野たれ死んでいく多くの人々・・・・・

 こういった人々を少しでも支えるために「隅田の会」はさまざまな活動を行っています。今回のコンサートも募金や、ボランティアで成り立っています。もし興味がある人はボランティアに参加しませんか?僕にメールをください。内容は炊き出しの準備や調理、会場の設営でそれほど大変なものではないです。僕も参加するので現地で会えると思います。よろしくお願いします。




あ、それと、

馬場さんの書いている「隅田川通信」はすごくおもしろいの転写しておきます。ちょっと長いですが良かったら読んでください。






「もうどうにもならないという感じだね。失業した。二進も三進もいかなくて、アパートを出て初めて道路で寝た。もちろん何とかなると思ってたさ。わずかな預貯金を切り詰めて凌いだ。だけど俺はもう使いものにならないのかな。どこも雇ってくれない。60近い年齢のせいもあるんだろうけど。建設現場も駄目。条件が55歳までなんだ。・・・生きているのが恥ずかしい。」
路上生活2年目になるというHさんはぼそりと呟く。

人は時に、絶対的不条理の中に放り込まれる。ただ天を仰ぐしかなくなる。現在、浅草、上野、山谷、隅田川には住居をなくした男たちが佇む。僕らはそこでささやかな支援活動を続けている。


絶対的不条理と言えば、以前『CUBE』というSF映画があったのを思い出す。それは次のような場面から始まる。

男は空っぽの部屋で目覚める。周囲を見るが、その前後の記憶がないため、どうして自分がここにいるのか分からない。男は起き上がる。左右、前後、上下の壁にそれぞれ扉がある。一つの扉を開けると別の部屋があり、同様に扉が六つある。その扉の向こうにまた部屋がある。行けども部屋また部屋であり、そこは迷路になっている。
果たして出口があるのかどうかも分からないまま、長い間、彷徨する。疲労困憊し、苦悩する。必死に出口を求めるうちに飢えと渇きがくる。しかも足を踏み入れたある部屋には、危険なトラップ(罠)が仕掛けられている。火炎や、刃になった網が迫り来る。進退窮まり、ただ逡巡する。外に出たい、自由になりたいと願う。これは国家による策略なのか、それともモルモットのように実験されている状態なのかを考える。しかし謎は明かされないまま、絶対的不条理の空間で命がけの試みを続けるしかない。そんな筋たてであった。


僕は、この映画を絵空事として片付けられなかったのを覚えている。ふとホームレス問題と結び付けて考えてみた。
路上生活者は絶対的不条理空間に放り込まれた囚人に似ている。
この不況の中、全てを失い、路上に転落する。必死に出口を探し、毎日を送る。焦燥感に駆られながらも、行く手が阻まれ、どうにもならず路上にとどまりつづける。
すなわち「家を失う」ことは、単に住居を失った状態を表すのではなく、家族・友人といった関係、帰るべき故郷、心身のまどろむ場所、住民票・保証人など己を証明する根拠の喪失も意味する。
生活基盤が崩壊すれば、再起は難しくなる。多くは失業によって路上生活に至ったが、路上にいる事実により社会的信用は失墜し、さらに就職が困難になる悪循環に陥る。
全国で失業者は400万人ほど、路上生活者が2万5000人ほど。失業者200人に1人ぐらいの確率か。
果たして路上までの距離は遠いのか。


路上での眠りは危険と背中合わせである。
深夜、浅草寺の仲見世にダンボールハウスが並ぶ。去年5月、酔っ払いがタバコを投げ込み小火が起こった。
また今年7月、隅田川沿いで少年らによる路上生活者のリンチ殺人があった。
熟睡は難しい。辛い現実を忘れる時間さえ持てない。なけなしの金で酒に溺れる者も現れる。


世間も厳しい。
全ては「怠け者」「無能力」故、自ら招いた結果であり、むしろ好んでこの生活を送っているとみなす。自己責任とする考え方が世間一般では主流である。
当事者にしても「世間に顔向けできない」「人の目が気になる」と思い、「不甲斐ない」「恥ずかしい」と自責の念に駆られる。自殺者も出る。
しかし本当に自ら招いた結果なのか。
未だ路上とは遠くて近い位置の失業者、フリーター、ニートも精神がぶったるんでいるからなるのか。
人は時代の風に流され漂う。この蟻地獄のようなデフレスパイラルに翻弄される。


ホームレス現象は個人の責任のみに帰属されるべきものではないだろう。
むしろそれは文化、歴史、政治、経済、文化資本、エス二スティー、ジェンダー、交通等様々な要因が絡まり、過剰決定された社会問題だと僕らは考える。
経済の失政による不況、産業構造の変化といった社会のうねりを前に、個人の意思はあまりに無力である。


バブル経済という未曾有の人災後、国の負債額は、国債のほか諸々の債権を含め、約1200兆円に膨れ上がった。
すなわち国民1人につき913万円の借金である。負債の利子は1分間で3000万円、1時間で18億円になるという。
また一般会計予算では毎年30兆円の赤字が累積される。
現在、国民の金融資産総額は1400兆円と言われるが、やがてはそれを注ぎ込んでも埋められなくなる。

昨今、書店では「国家破産」の言葉を冠した本が並ぶ。
これらは「ハイパーインフレの時代が来る」と警告するが、果たして狼少年の叫びと片付けていいものか。
それとも本当にロシアやアルゼンチンの再現になるのか。


いずれにしろ僕らの行く手は遮られている。
不条理の真っ只中で、方向感覚を失い、漠然と不安に怯え、ただ自助努力で出口を探す。
路上生活者と僕らの距離はそんなに離れてはいない。
破滅へのカウントダウンは始まっている。

隅田川沿いテラスはさながら難民キャンプだ。
およそ10キロの距離に1000軒ほどブルーシート小屋が並ぶ。
この光景はますます拡大するだろう。
僕らは無力極まりないが、様々な人と手を携え、諦めずに草の根からセーフティネットを作りたいと考える。
今後も路上の先輩たちとともに出口を探し続けるだろう。

                                                         (文責 馬場)


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