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開催終了『キリスト教は同性愛を受け入れられるか』 を読む

詳細

2007年09月19日 22:56 更新

日本基督教団・第117回神奈川教区定期総会(2007.2.24)で「『同性愛者やその他の性的少数者』への差別をなくすための取り組みを進める件」が可決されたことを受けて、性差別問題特別委員会では、「第28回女性と男性の共生をめざす集い」のプログラムをサイカー著『キリスト教は同性愛を受け入れられるか』(日本キリスト教団出版局 @4830円)をもとに話し合う、公開しゃべり場Part3として企画しました。読書会ではありませんので、本を読んでいなくても参加できます。

本書の中にはいろいろな立場の意見が述べられています。それを紹介しながら、おしゃべりする時ですので、どなたでもお気軽にご参加ください。


会 場:日本基督教団・川崎教会<川崎市川崎区小川町11-13>
参加費:500円
共 催:日本基督教団神奈川教区 性差別問題特別委員会
        〃            婦人問題小委員会


コメント(27)

  • [1] mixiユーザー

    2007年09月20日 00:20

    川崎は遠いですね〜。
    みなさん楽しんでくださいね。
  • [2] mixiユーザー

    2007年09月20日 00:34

    正直参加したいのですが、愛知県民の自分にとっては、ちと遠かったりするので^^;
    その場が祝福されるように祈らせてくださいね。
  • [5] mixiユーザー

    2007年10月09日 17:03

    残念ながら仕事とかぶってしまい参加出来ませんが
    実り多い集まりになると思いますので、
    一人でも多い方の参加が得られるようにと祈っています。
  • [6] mixiユーザー

    2007年10月10日 00:10

    ゆうりんさんへ
    >性同一性障害は胎児期間に染色体が何らかの損傷を受けたため
    精神的な性と身体としての性が同一せず
    一番苦しむのは当事者です

    教会は 性同一性障害に対して理解力がない場所だと思います。
    また 性同一性障害と同性愛者の区別がつかないのも
    大きな穴だと思います。私は 近頃痛感します。
    教会が牧師が 同性愛者について語るなら
    聖書の御言葉だけで攻めるのではなく
    きちんとした 心理学の知識をつんでから口を開いて欲しいと。。。

  • [7] mixiユーザー

    2007年10月19日 21:58

    今回取り上げられる『キリスト教は同性愛を受け入れられるか』という本の原題は "Homosexuality in the Church" です。
    意味が全然違いますね。日本語版の題は同性愛をキリスト教の枠の外に置いて、受け入れられるか?と聞いていますが、英語の原題は「教会の"中の"同性愛」ということで、同性愛とすでに出会い関わっている教会が、その課題をどう捉えるのかという題名だし、内容もそのようになっていると思います。
    けっこう厚い本ですが、わかりやすいレジメも用意されるようですので、まだ読んでない人も、読む気のない人でも、教会の中の同性愛について考えるきっかけになると思います。ぜひご参加ください。
  • [8] mixiユーザー

    2007年10月23日 13:53

    >4 ゆうりんさん
    >6 やえるさん

    なにを根拠に
    >性同一性障害は胎児期間に染色体が何らかの損傷を受けたため
    と確信していらっしゃるのですか? 今のところ,性同一性障害は,かつてのような出生後のライフヒストリーに主に依存する(という意味で後天的)ではなく,出生前にすでに何らかの原因で決定乃至そちらへの傾向性が強まっているのではないか?と考えている研究者が多いようですが,とはいえ,それすら全般的に同意が得られているわけではなく,まして,先天的要因が染色体の損傷だ,など厳格なところで合意が形成されているわけではないはずです.
  • [9] mixiユーザー

    2007年10月27日 20:37

    同性愛者だろうと、何人であろうと、皆、同じ人間なのでは...。


    神の前では皆、平等なのでは。
  • [10] mixiユーザー

    2007年10月28日 10:12

    同性愛、全然おっけです。
    誰が誰を好きになろうと自由です。
    既婚者はダメよ。
  • [11] mixiユーザー

    2007年11月10日 08:39

    「人は生まれながらにして」罪人と言うことを私達は知っていますから罪を知って神様に告白すれば義とされます。
    同性愛者だけが罪人では無いのだから。
    私達にも罪が有りますが同性愛そのものは罪ということは揺るがないと思います。
    裁きを行われるのは主ですから。

    全ての人が罪を告白し、信じて義とされるように伝え導くのがクリスチャンではないかな?
    社会に働きかける奉仕もいい伝道だと思います。
  • [12] mixiユーザー

    2007年11月10日 08:53

    >11 ユミさん
    >同性愛者だけが罪人では無いのだから。

    >私達にも罪が有りますが同性愛そのものは罪ということは揺るがないと思い
    >ます。

     まえまえからクリスチャン関係の複数の諸コミュニティでさんざん指摘されているように,もしあなたがプロテスタントなら同性愛性行為と同性愛的性志向の双方について罪だと言う聖書的根拠を,カトリックだとしても同性愛的性志向の聖書・聖伝・その他カトリック教会の現代の教えの根拠を提示しなさいよ.
     同性愛そのもの一般が罪だ,という記述は少なくとも聖書には見出されない,というのは,ここでも,有力な( 十分文献的に信頼できる反論がほとんど提示されていない )主張であってきているのだから.
     自分たちが根拠にする価値があるとするものに見出されない判断を勝手に前提に「××は罪であることはゆるがない」と言っているのなら,それは,単に自己中心的なだけでなく,思考・弁証の方針として無節操に過ぎます.
  • [13] mixiユーザー

    2007年11月10日 11:55

    私はむしろ 聖書から読み取れる信仰的立場は一つ

    つまり正解は一つなんだという前提でモノを言う人たちが危険なんだと

    思いますですねぇ。いづれの立場にせよ、同じ穴の狢ではないかと。

    このコミュで繰り返し語られ 明白になったのは、
    1.同性愛は罪だとみなす信仰的立場の方々
    2.その解釈は客観的ではないと批判的な立場な人々

    この二つの立場には 現在のところ超えられない深い溝がある、と。

    溝は溝として共存できればいいのだけども
    自分の正しさを絶対化すると、
    どこかの教団の某議長のように 
    「戒規違反だ、オープンは出て行け」と勧告したり。。。以下略
  • [14] mixiユーザー

    2007年11月10日 12:18

    13に同意。

    聖書は自分一人で読んで、勝手に納得して、戒めと称して自分や他人を責めたてる拷問器具として使うのが、いちばんポピュラーな利用方法です。

    そして、歴史的に、キリスト教徒に骨の髄までしみついている「上から目線でものを言う姿勢」が色んなところで膠着状態を生む気がします。

    客観的にものを見る姿勢を身につけたら、
    つぎは主観的にものを見る人に対して言葉を選んで接した方が無難かと思います。
    もちろん
    「頭ごなしに怒鳴られて目が覚めました!」
    っていうMな人もいるかもしれないからケースバイケースだけど。

    戒律違反だ、オープンは出て行け勧告の件、まったくトピずれていないと思います。
    差別とはまさにこの部分なのです。
    イエスの食卓に招かれていない人間が存在する、私は招かれているが、と主張するその姿勢。
  • [15] mixiユーザー

    2007年11月10日 14:28

    >13 次郎さん
    > いづれの立場にせよ、同じ穴の狢ではないかと。
    > このコミュで繰り返し語られ 明白になったのは、
    > 1.同性愛は罪だとみなす信仰的立場の方々
    > 2.その解釈は客観的ではないと批判的な立場な人々

    1.と2.とは,双方とも聖書から読み取られえる信仰的立場は一つという独善にたっている,とは私には思われません.
    1.はその立場に立って発言している人が大部分に思われますが,対して,2.にたつ発言者は必ずしもそうではない,と思われます. すなわち,2.からは,
    2−a)聖書からは同性愛は罪ではないという信仰的立場しか導かれ得ない,
    という立場と
    2―b)聖書からは同性愛は罪であるという信仰的立場は必ずしも導かれない( 罪ではないという立場も可能)
    という二つの立場とに細分され,2−b)の立場は信仰的立場は一つとは限らない,という前提に立ってはいないだろうからです.
     実際,同性と寝ることを禁じたレヴィ記を根拠にするなら,他の諸規定も同等に守れ,と揶揄する人は,後者も厳格に守るべきという主張とあわせるなら前者も効力があるだろう( 少なくとも使徒会議等での減免規定を度外視すれば ),という原理上の信仰的立場の多元主義を採っている,と思われます. 主な批判点は,後者は無視して前者は固持するといったご都合主義が信仰的立場としても不適切だ,というものだ,と私は理解していますし,私自身の主要な論点もそこです. ( 後者も厳格に守っているユダヤ人のキリスト者には,この論法によるユダヤ人男性成人間の同性愛実行についての説得・論破は難しく,この論法によってではこの論題については平行線を辿るだろう,と思います. )
  • [16] mixiユーザー

    2007年11月10日 16:24

    14
    「主観的/客観的」?
    「相対的なモノの見方/絶対的なモノの見方」かと。。。

    15

    2にa)b)あれば、1にもa)b)はありますですね。
    1)に批判的であると (1a)だけが目立つのかもしれません。

    問題は
    「1にせよ2にせよ、aが問題なのだ」なのか
    「文献解釈的に信頼性の低い主張である1が問題なのだ」かですね。

    現在のところ 13は、上で、12は下だと私は理解しております
  • [17] mixiユーザー

    2007年11月10日 16:32

    11 ユミさん

    私はレズビアンなんですけどー

    聖書に明確に女性同士の愛 禁じたくだりありますか?
    で
    聖書を機械的に解釈すると恐ろしいことになるから
    注意なさったほうがいいです

    聖書で培った知性と理性 祈りによる聖霊の導きなどによって
    よーく自分の頭で考えてください
  • [18] mixiユーザー

    2007年11月10日 16:36

    >16 次郎さん
    > 2にa)b)あれば、1にもa)b)はありますですね。
    > 1)に批判的であると (1a)だけが目立つのかもしれません。

     確かにそうですね. 現にはあまり私は目にしていませんが,「自己の信仰上は同性愛は罪である,しかし,他者の信仰上においてはそうでないかもしれない.」という立場はありえますね.

    > 現在のところ 13は、上で、12は下だと私は理解しております
     12での私は,信仰内容の議論は平行線を辿りやすいので,より決着のつきやすい(しかも同性愛に関してはその禁止は読み取れない,という自分に有利な方向にある,と私は思っている)>下<にまつわる批判をしています.
     13での次郎さんは,私が読む限り,>上<にまつわる批判をなさっていらっしゃるようです.
     あるいはこの問題は正解が一つの場合なのかもしれませんが,少なくとも安易に正解は一つに違いない,という前提を立てて,それへの懐疑なしに他者を論難する論法は,生産的でも平和的でもないですね. ( あくまで平和な交わりを重視する人々と違い,私は,議論が生産的なら平和的でなくてもやる価値がある,と思っている派ですが,生産的ですらないのでは何をかいわんや,でしょう. )

  • [19] mixiユーザー

    2007年11月10日 16:41

    13 次郎 さん

    もっとセクシャルマイノリティの信仰共同体や教会が増えればいいんですけどね
    日本では幸い 過激な信仰の人に襲撃されたりは皆無ですから
    ほっといてくれれば。。。。という感じです 自分らの信仰は守るので。。。ってね

    その意味で今回の企画はありがたいですね
    理解の裾野が広がるので
  • [20] mixiユーザー

    2007年11月10日 16:59

    同性愛が罪であるっていう聖書箇所はないし、
    そもそも同性愛者、異性愛者という区分け自体が間違っていると思う。
    どちらかが正しく、どちらかが間違っているという判断もすることは出来ないし
    もし姦淫の罪を同性愛者のことを言っていると考えているとすれば大きな間違い

    人が人を愛するって言う行為を忘れている人に
    大いなる神を愛するということを言っているとすればその人は偽善という罪を犯していると思う。
    『互いに愛しなさい』という言葉通り人が人を愛するからこそ
    本当の神の観言葉がわかると思うし。同性愛者でも異性愛者でも
    相手が男性か女性かの違いだけで同じ人を愛していることには変わりはなし。

    あとセクシャルマイノリティってそんなに簡単な問題でもないし
    病気ということで片付けれる問題でもなし。
    すべての性に関する問題があって同性愛、異性愛っていう
    ひとくくりに収めることも出来ないと思う。
    もし、ひとくくりに収めようとする人は性に関して無知だとおもう。
  • [21] mixiユーザー

    2007年11月10日 18:37

    16次郎様
    ありゃ本当だ。おっしゃる通り。言葉を慎重に選べと言う台詞がそっくり自分に帰ってきました。

    キリスト教は割礼とか食事規定とか、目に見えるメンバーの証がないから、何とかして連帯したいんじゃないかと。で、愛で連帯すればいいものを、タブー禁止事項で連帯しようとする。「私は聖書の〇〇せよ(あるいは、するな)という言葉を信じている」というのは自由だけど、それだけじゃもの足りなくて、自分と同じ意見の人を求めて安心したい人は多いんじゃないかなと。その心理は理解できても
    「同性愛は罪だ!これは真実だ!」
    って言うことで、
    誰かが救われ、
    この場が信仰の励まし合いの場にできるとでも本気で思ってるのかな?
  • [22] mixiユーザー

    2007年11月10日 19:23

    「少年を誘拐するのは罪だ!
     誘拐された少年を児童売春させるのは罪だ!
     誘拐されて児童売春させられている少年を買春するのは罪だ!
     これらは真実だ!」

     これならわたしはタブー条項での連帯,個人的にはOKです.

     って,礼拝形式の一致でも目指せば害がすくなさそうなのになぁ… 
    全部同じでなくても,大部分同じミサ式文が採用されている日本のカトリック教会と聖公会みたいに…

     あるいは,聖書の日々の通読箇所を一致させるとか.

     同性愛,酒・煙草,中絶あたりが連帯のための弾劾対象として最もよく使われるネタかな? ( 右へ行くほど被害者の被害度?が強くなる,とも思えるような気が… )
  • [23] mixiユーザー

    2007年11月11日 00:31

    そうそう。そうなんですよ。
    キリスト教、そんなコップの中の嵐で騒いでるヒマないだろうにっていつも思ってしまう。おのおの歩み寄らなきゃならないのに、
    「私だけが絶対、他はまちがい」
    ってそれぞれが思ってどうすんだっての。ぷんぷん。ぷんすか。

    通読箇所の一致ってよさげですね。
    クリスマスになると世界中の教会でルカ読んでるみたいなのって、確かに連帯感あるもんなー。

    ところで、あんまり過ぎたイベントのコメントが長くなってもあれかしら。
    最後に、この本でもこのサイトでも何度も言及されてるソドムの罪について今一度おさらいをば。

    お前の妹ソドムの罪はこれである。
    彼女とその娘たちは高慢で、食物に飽き安閑と暮らしていながら、貧しい者、乏しい者を助けようとしなかった。(エゼキエル16:49)

    つまり、こゆこと。

    1)貧しい人を助けず、自分はお腹いっぱい食べながら、
    2)自分の罪は認めようとせず、
    3)同性愛者は罪に定める。

    ↑こういう「困ったちゃんクリスチャン」はソドムの罪より重いと言わざるを得ないのですな。
  • [24] mixiユーザー

    2007年11月17日 19:04

    12
    白飴姫さま
    お気に障られたらごめんなさい。
    人が人を愛する事は素晴らしいと思います。
    前後を良く読んでみて下さいw
    人は皆生まれながらに罪人と言うことは、私達は知っています。ここに書いたことが誤解受けているようですが私にも罪があります。同性愛が罪でないという心も分かる気がします。
    私は罪だと知っていてもそれは止める事が出来ないものがたくさんあります。

    神様の最初の計画は男と女に創造された。と記してある所なのですが。

    「誇る者は主を誇れ」と言うことを私自身戒めております。
    白飴姫様に主が共にいつも居て下さりますように。アーメン
    私の為にお祈り下さい。m(__)m
    父なる神様。私の数多い、自分でも気が付かない罪をお赦し下さい。
    イエス様の御名を通して祈ります。アーメン
  • [26] mixiユーザー

    2007年11月17日 21:01

    >24 ユミさん
     正直,投稿24の全体としての論点がよくわからないので,(少なくともさしあたり)わかるところにのみコメントします.

    > 人が人を愛する事は素晴らしいと思います。
    > 前後を良く読んでみて下さいw
     人が人を愛することと当該の問題とはどういう関係があるのですか?
     同性愛乃至同性愛者は本来は同性を愛する性向がある(者)のことであり,現に愛することではありません. したがって,あえて,この同性愛(者)が問題とされているコンテクストで愛のすばらしさを解くとしたら,「人が人を愛する傾向はすばらしいと思います」,であるはずです.
     次に,同性愛(者)と言ったときに,(不適切なものも含めれば)論者によって三つの可能性が考えられます. 第一に上記のとおり同性を愛する傾向(を持つ者),第二に同性を心情的に性愛的に愛している状態,第三に同性と肉体的性交渉を持っている状態/行為の三者です. 
     ここで「人が人を愛することはすばらしい」といわれるとき,まず考えられるのは「他者を性愛的にではなく心情的に愛している状態」乃至その下位概念に属する状態でしょう. これは,同性愛(者)であろうとそうでなかろうと生じ得るものですから,同性愛(者)についての議論には関係ない,と思われます. ここで「人が人を愛することはすばらしい」という文からして,その傾向性を(賞賛する立場はあり得るでしょうがここでは)賞賛しているのでない事は明らかですから,第一の立場もこの議論には関係ない,と思われます. すると残される可能性は第二と第三の立場です. 
     「人が人を愛することはすばらしい」は「人が人と性交渉を(愛の基に――という条件を挿入する譲歩をしてもよいです)することはすばらしい」という立場は考えられ得ますが,ユミさんはそれを採られますか? もし,同性間でもこのことが言えるのだとしたら,性交渉を実践している同性愛者(の行為)について,一方では「すばらしい」事が他方では「罪」でもある,が帰結します. だとしたら,罪であるに「すばらしい」とはどのようなことか私は当惑します. なぜなら,ある事が,それ自体としてすばらしいという賞賛は,それが忌避すべき罪ではないことを前提している,と私は理解しているからです. そして,この性交渉全般の礼賛が否定されるなら第三の立場もとり得ない,事が帰結します.
     最後に,第二の立場についてです. 「人が他人に性交渉に至ない性的愛情を持つことは一般的にすばらしい」が「人が人を愛することはすばらしい」と同義なら,同性愛者が同性愛の愛情を同性に向けなおかつそれがすばらしい,という帰結を確かに持ちます. しかも,同性愛に関して,性向については問題視しないキリスト教徒の少なからずがなおも問題にしている性行為の実践には及んでいないのだから,後者の価値観による批判を受けない,という利点をこの立場は得ます. 
     しかし,第一に「人が人を愛することはすばらしい」で性的でない愛情でも性交渉に至る愛情でもなく性的でありかつ性交渉に至らない愛情を――専らにではないにせよ――意味する,と考える立場は少数ではないでしょうか? もし,それが少数なら,この立場に賛同する人も少数だ,ということです.
     また,ユミさんは「同性愛そのものは罪ということは揺るがない」とおっしゃっているのですから,第三の立場の場合と同じく「すばらしい」かつ「罪である」という私には矛盾に思われる問題をこの立場もはらんでいます.
     ゆえに,この文句はいずれの解釈を取ろうとも適切に理解不可能だ乃至は偽だと私には思われます。
  • [27] mixiユーザー

    2007年11月17日 21:15

    >24
    (1) 私は罪だと知っていてもそれは止める事が出来ないものがたくさん
    あります。

    (2) 神様の最初の計画は男と女に創造された。と記してある所なのですが。

    (3) 「誇る者は主を誇れ」と言うことを私自身戒めております。


    (2)は「が」で終わっているので,前後何れかと論理的関係にあるように一見思われますが,「記してあるところ」が「とめることが出来ないものがたくさんある」こととも「戒めている」こととも私には論理的関係を見出しえないので,(2)単独に対して(ただし同性愛は罪だとの文脈は意識して)コメントします. ( もし,それらの間に論理的関係があるならどれとどれとの間にいかなる関係があるのかをご教示ください.)

     仮に神様の最初の計画は男と女に創造された事に同性愛が罪であることの根拠を求めるとしたら,現に人の創造に関する神の計画は男と女かつそれだけという性における二分法に基づいていた,ということを意味するはずです. そして,実現までにその計画から外れたとしたら施工者の責任でしょうから,(神の責任による失敗がなければ)少なくとも一遍は神は人を男と女ただその二種類に現に創造した,ということになりますね. ここで,創造された男と女とは,アダムとイヴ二人だけなのか,その子孫まですべてなのかの二つの可能性が考えられます. 前者であれば,二分法もその二人についてだけ(聖書の当該箇所のみを典拠にする限り)いい得ることです. したがって,同性愛(者)の問題も,アダム及びイヴ以外の後代の人間については,この箇所は何ら言及乃至示唆を与えていません. 他方,その子孫まで,ということになるなら,なぜ現に半陰陽者(インターセックス:IS)の人々が存在するのでしょうか? しかも,ISの人の中でもまれとはいえ,精巣と卵巣の何れをも具有する人も存在します. これは,創造時の人についての計画がその後まで男と女とその二つのみにあらしめることをふくむのであれば,その計画の失敗を示している事を意味するはずです. そして,男女両性のみに創造する計画が失敗し現在ではその厳格な二分類法が無効化しているのであれば,その計画を典拠に同性愛について何かを判断することも無効だ,と私は思います.
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