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開催終了「技術への問い」第一章を読んでみよう読書会

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2010年12月08日 22:42 更新

「技術への問い」M.ハイデッガー 訳者 関口浩を読んでみようexclamation



 図書館だと帯がないかも知れないので、こんな感じです。

 「現代技術の本質は集-立(ゲシュテル)にある!!人間を閉じ込めるこの命運からの脱却は可能か?」

 「立ち戻る歩みの意味するところは、西洋的思索の原初においてなお思索されぬままに、とどまらざるをえなかったが、それにもかかわらず、すでにそこで名付けられ、そのようにしてわれわれの思索にひそかに伝えられたあのものへと参入することなのである」

 訳者後記によると。

1.「技術への問い」
 1953年の講演がもとになった、ハイデッガーによる技術論の総論というべきもの。収録されている「講演論文集」の導入的内容。

 満場の人々から嵐のような歓呼の声が上がった。
 人びとはもっとハイデッガーの話を聞きたがっていた。
 私はハイデッガーと彼の後援者とをめぐる疑念と悪意の輪が打ち砕かれたかのように感じた。
 これはひょっとすると公開の場でのハイデッガーの最大の成功だったかも知れない。

 この講演はハイデッガーにとって大きな転機となった。
 このように、彼は自らの思索の説得力をもって、戦後の思想界にふたたび確固とした地歩を築いていったのである。


 となっています。翻訳がいいのでわかりやすいとされています。

 とりあえず、6週間とって、第一章 技術への問いP7〜P60(54頁)にチャレンジです。

 読んでいる頁を明記して、
 感想文、レジュメ、疑問などをコメント欄に書く。
 
 多分、なにか上手いノウハウが生まれるかも知れないので、新しい章のトピ立て(MC)はリレーで交代です。

コメント(165)

  • [126] mixiユーザー

    2011年03月10日 23:44

    あ、露山露さんに、いいところをもっていかれたw

    >《42-43》

    ここ、先をまだ読んでいないですが興味深いです。

    >神をさえひとつの原因に下落させてしまうかもしれない。

    ハイデガーはもともとカトリック教徒で神学を学んでいたと思いますが、、これ自分の過去をダブらせて述べているのだと、私は「勝手解釈」しています。一神教の強化に便利な論理の問題点を、ビシっ!と指摘したところと見ております。
  • [127] mixiユーザー

    2011年03月11日 15:04

    >126りょさん

    >あ、露山露さんに、いいところをもっていかれたw

    失礼(笑)。
    神を下落させてしまうというところは、
    不動の動者とか一者のことを言ってるのかな? とぼくは
    漠然とよみながしていましたが、なるほどねえ。

    たしかに、
    神さまがそんな論理で考えられたら、ありがたみがうすくなる。
    (あ、じしん?)
  • [128] mixiユーザー

    2011年03月15日 22:23

    >自然を諸力の算出可能な作用関係として示すこと

    (工学的に意味不明なことを言っているかもしれないけど、)結果論であるが、放射線を熱に変えて発電する原子力発電は人間が上手く活用するための現代技術であるという認識は誤りであるということではないか。この作用因の正当性に目を向ける時、それがいったい何なのか捉えることが難しくなる。

    原子力が自然なのかはよくわからないけど、それは別の地震と津波という大自然の力よって狂わせられた。原子力が安全であるという絶対神話は崩れるべくして崩れた気がしないでもない。もう少し福島原発事故の事実が明らかになってから、よく考えてみることにしよう。
  • [129] mixiユーザー

    2011年03月22日 22:55

    《44》

    人間の作ったものであるかぎり存立するという見かけ[Anschein]見かけはいつわりの仮象[Schein]をもたらす。したがって、人間はいたるところで自分自身に出会うという外観[aussehen]が生じる。

    人間は集-立の挑発にしたがっている。自分自身が呼びかけられた者であることを見落としている。どのようにして自分の本質にもとづいて語りかけ出で-立つのか、あらゆる聞き逃しをしている。

    「人間は今日、じつのところは、まさに自分自身、すなわち自分の本質にはもはやどこにおいてもけっして出会えないのである。」
  • [130] mixiユーザー

    2011年03月26日 17:03

    《45》

    集-立は、用立てというあり方での開蔵へと指図する。それにより、他の開蔵の可能性をすべて伏蔵する。とりわけポイエ−シスとしての開蔵を伏蔵するが、もし集-立が支配するなら、開蔵そのものをも伏蔵するし、不伏蔵性(真理)がそれ自体の固有性を出来させるかのものをも伏蔵する。

    集-立は真理の輝きと働きとを塞ぎ立てる。それゆえ、用立てへと駆り立てる命運は危険なのである。集-立を命運と危険という意味で思索することがいまではなじみあるものになっているかもしれない。
  • [131] mixiユーザー

    2011年04月01日 22:48

    《46-47》


    「しかし、危険のあるところ、救うものもまた育つ。」

     ヘルダーリン『パトモス』


    集-立の支配は真理のあらゆる輝きを塞ぎ立てることに尽きるはずはない。
    救うものの成長をそれ自体のうちに蔵しているにちがいない。

    危険をいっそう明らかな眼差しをもって洞察することが必要となる。
    これに応じて、われわれはもういちど技術について問わねばならない。
  • [132] mixiユーザー

    2011年04月06日 15:28

    《48-49》

    集-立が技術の本質であるというときの「本質」とは、どのような意味なのか。たとえば、樹木という一般的な類に、現実的・可能的なカシワやブナやカバが含まれる。それと同じように、集-立という技術の本質に、蒸気タービンやラジオの放送局が含まれるのだろうか。そうではない。機械や装置、配電盤を扱う作業員や設計事務所の技術者は、構成部分として集-立に属するけれども、集-立は、なにかの類として技術の本質であるのではない。

    集-立は、挑発する開蔵であり、生み出す開蔵であり、開蔵の命運なのである。命運という意味は、そのつど、突如として、あらゆる思索にとって説明不能なしかたで、挑発する開蔵と生み出す開蔵とに分けられ、人間へと割り当てられる、ということである。集-立は、命運的にポイエーシスを塞ぎ立てる。そういうわけで、集-立は類やエッセンティアとしての本質ではない。技術の「本質」とされるものを、われわれは別の意味で考えなくてはならない。
  • [136] mixiユーザー

    2011年04月12日 01:56

    本質(ヴェーゼン)について。

    われわれは、家政(ハウスヴェーゼン)、国家体制(シュターツヴェーゼン)と言う。本質を発揮しつつ存続する[wesen]しかたである。もともと動詞のヴェーレン(存続)から「村役場」を意味する名詞へと派生した。本質と存続は意味上でも音声的な語形成においても同じものである。

    ソクラテスとプラトンは、なにかあるものの本質を存続するものという意味で、本質発揮するものと考えている。彼らは存続するものを永続するものと捉え、永続するものを、眼前に生じるあらゆる事物のものとにあってありつづけるものとしてもちこたえるものとみなす。

    さらに彼らは、このありつづけるものをエイドスとしてイデアを発見する。

    イデアという本質に対して個々の現実的または可能的な様々な家はイデアの変容体であり、それらは永続しない。

    アリストテレスは(プラトンのイデアを)それはなんであったか、という問いへの答えとしての本質[エッセンティア]にのみもとづかなければならないと主張する。

    本質を発揮するあらゆるものは存続する。存続するものは永続するものだけだろうか。このような理念が技術的なものの上を漂い、神話的な抽象概念を意味しているかのような見かけが生じる。
  • [138] mixiユーザー

    2011年04月12日 02:56

    ↑「家」を例えとして説明しています。

    現実的な「家」は変化するが、イデアとしての家は本質的で変化しない。

    (と、プラトンは考えた。)

    《50-51》
  • [139] mixiユーザー

    2011年04月17日 16:15

    《52-53》

    技術においてその本質を発揮し続けているものとして、集-立は存続するものである。ただ叶えられたものだけが存続する。ならば、集-立は叶えるものなのだろうか? 集-立は、挑発する開蔵へと収集する命運であり、挑発は叶えることとはちがう。用象として用立てるよう挑発することも人間を開蔵へと導くひとつの派遣である、ということに気づかないので、こんな失敗した問いが思い浮かぶ。

    集-立は、このような命運として、人間を自分からは発明することも作ることもできないものに関与させる。人間存在にとってだけでなく、あらゆる開蔵そのものにとって、この命運が最大の危険である(他の開蔵の可能性を伏蔵してしまうから)。その場合でも、この派遣はなお叶えることであると言うことが許される。この命運のうちに救うものが育つことになるなら、なおさら許される。

    開蔵のあらゆる命運は、それ自体の固有性を出来させる。開蔵の出来は、叶えることの関与を必要とする。開蔵へと派遣するこの叶えるものは、どのようなしかたであれ、それ自体救うものである。というのも、この救うものは、人間に自分自身の本質の最高度の尊厳を見させ、人間はそこにみずからの固有性を委ねるから。

    集-立は、開蔵の唯一のしかたであると誤って思われている用立てへと人間を拉致しようと脅かし、そのようにしてみずからの自由な本質の放棄という危険へと人間を突き落とすものである。しかし集-立の、このような極度の危険においてこそ、叶えるものへの人間のもっとも親密で破壊しえない帰属性が輝き現れるに至る。
  • [140] mixiユーザー

    2011年04月25日 03:12

    《54-55》

    技術を道具とみなすかぎり、それを操ろうという意志に固執したままにとどまる。これにたいして、道具的なものがどのようにして因果的なものの一種としてその本質をはっきしつづけているのか問うなら、そのように本質を発揮しつづけるものを開蔵の命運として経験する。

    人間が開蔵することを必要としているのは、<叶えるもの>である。本質においてその本質を発揮しつづけるものが、この叶えるものとして、それ自体の固有性を出来させるということを、われわれが熟慮するならば、次のことが示される。

    1.集-立は用立てることが荒れ狂うように挑発する。(用立の止がたさ)

    2.集-立はそれ自体のほうから、叶えるものとして、それ自体の固有性を出来させる。(救うものの控えめさ)

    用立の止めがたさと救うものの控えめさという、技術の両義的な本質に目を向けると、星々の相関関係(星の運行の秘密)を発見する。そうした相互関係において、開蔵と伏蔵とが、すなわち真理としてその本質を発揮しつづけているものが、それ自体の固有性を出来させるのである。
  • [141] mixiユーザー

    2011年05月05日 17:22

    《56-60》

    真理の相互関係へのまなざしにおいて、われわれは危険に目を向け、救うものが育つことに目を向ける。警戒するよう呼びかけられているわれわれは、立ち止まって、ささやかさのうちで、救うものの成長を保護することで警戒している。

    技術の本質は開蔵を脅かすが、人間の行為はこの危険に応対できない。しかし、救うものが危険に親縁でもある本質をもっているだろうことを人間は熟慮できるので、あるいは、原初的に叶えられた開蔵が、危険のただなかで、救うものを最初の輝きにもたらしうるかもしれない。

    ギリシャで諸芸術は、叶えられるかぎりの開蔵の最高の高みに登りつめた。諸芸術はたんにテクネ−と呼ばれ、唯一にして多様な開蔵であった。それは敬虔であり、真理の支配とその保護とにたいして従順であった。

    芸術がテクネ−と呼ばれるのは、芸術が開蔵のひとつであり、ポイエーシスに属するからだ。ポイエーシスという名称を最後に持ち続けたものは、ポエジー(詩人的なもの)である。詩人的なものが、真なるものを美しいものへと開蔵する。

    芸術は、詩人的な開蔵のうちに呼び出されるべきなのだろうか。しかし芸術が、極度の危険のただなかで、それ自体の本質の最高の可能性を叶えられるかどうかは、誰も知ることができない。

    技術への本質的な省察と、技術との決定的な対決とは、芸術の領域で生じる。芸術的な省察が、われわれが問うている真理の相互関係にたいしてそれ自体を閉ざさない場合にかぎるが。

    われわれは問いつつ証言する。われわれが技術においてその本質を発揮しつづけているものをたんなる技術を前にしてなお経験できず、芸術においてその本質を発揮しつづけているものをたんなる美学を前にしてもはや見守れない、という苦境にあることを。

    技術の本質について熟慮すれば、それだけ芸術の本質は秘密に満ちたものとなり、いっそうわれわれはよく問うようになる。問うことは、思索の敬虔さなのだから。
  • [156] mixiユーザー

    2012年03月14日 10:03


    技術の仕立ては
    >>人間を自己の自由なる本性[成存]の放棄に突き落とす。

    著書を読めてないのに、恐縮ですが
    原発問題…科学も技術も、本性を確かめることが重要だと実感します。

    お疲れ様です。
  • [160] mixiユーザー

    2016年06月19日 15:11

    ※副管理人です。


    >>[159] βητα さん


    このイベントトピックですが、期間を延長しましょうか?

    2017年末まで編集が可能ですが、どうしますか?
  • [162] mixiユーザー

    2016年06月20日 19:38

    >>[161]


    了解しました。

    必要なら言って下さい。

    良い取り組みと思いますので。
  • [163] mixiユーザー

    2016年07月14日 12:49

    >>[161]

    こういう形で哲学書を読み込んでゆく試みはいいことだと思います。

    ぜひ、東浩紀『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』
    セーレン・キルケゴール『不安の概念』
    エマニュエル・レヴィナス『実存から実存者へ』
    なども機会がありましたら、よろしくお願いします。
  • [164] mixiユーザー

    2019年12月30日 09:42

    2019年の現在では関口浩の翻訳よりも、森一郎の翻訳による講談社学術文庫版「技術とはなんだろうか」の方が入手しやすい。
    そして、こちらの方が日本語として格段に読みやすいので、私としては講談社学術文庫版を推薦します。
  • [165] mixiユーザー

    2020年01月01日 23:03

    本作品のキーワードであるゲシュテル(Ge₋stell)を関口訳では「集-立」としている。
    これは正確な訳なのだろうけれども、意味やイメージが掴みにくい。
    森訳ではこれを「総駆り立て体制」としており、存在者をいわば徴用物資として顕現されるように人間を急き立てる、顕現させることの一つのあり方、という理解が容易となるような訳語となっている。
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  • 2011年01月12日 (水) 開始2010年12月8日
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